2020年 11月 27日
道行きや |
離婚して子供を連れてアメリカに渡り、カリフォルニアで暮らし、3人の子を育てながら日本とアメリカを行き来して父母を見送り、夫を看取り、やがて成人した娘たちをアメリカに残して日本に帰国。現在は熊本に住みながら東京の早稲田大学で教えている詩人の日々思うことを綴ったエッセイ集。
60代とは思えないめまぐるしい日々だ。ひとところにじっとしていられないというより、長年のノマド生活が身に沁みついてしまい、止まっていると不安になるのかもしれない。
ひきこもり大好きな私とはまるで違う生き方で、だからこそ読んでいてすごく面白い。決して母語と同じようには操れないと自覚しながら英語漬けの日々を送る人がそのつらさを率直に語るのも初めて読んだ気がする。これまで読んできたのは、外国と外国語に興味があって、そのために外国で暮らすことを選んだ人たちが書いたものばかりだったから。人より巧みに日本語を操ることを職業としている人が外国で外国語を使って暮らさなくてはならないなんてね。
そもそも、英語を使って暮らしはじめてからこの方、わたしは人の話を完全に聞き取れたことがないのだった。27歳年上のパートナー・ハロルド・コーエンは、アメリカに帰化したイギリス人だそうで、老いてからの皮肉な物言いはまさにイギリス人の意地悪爺さんって感じ。よくまあ我慢して介護したなあ。義務感ではなく同志愛みたいなものなのかな。
とろとろの鰻に苦いIPAは合わなかったけど、日本語にはよく合った。日本語になら、なんでもよく合った。何をしゃべっても的確だったし、どんな細かい表現だって表現できたし、人がしゃべっていたってそれをさえぎって自分の意見をからませていくこともできた。人の言ったことに不明な点を聴き取ることも、それについて質問をすることもできた。聞いてなくても聞き取ることさえできた。
「女は子宮で考える」という、使い方によっては侮蔑的な言い回しがあるけれど、伊藤さんは脳でも子宮でも、いや、全身の臓器を使って考えているみたいだなあと思った。
目で見ること、耳で聞くこと、鼻で嗅ぐこと、口で味わうこと、子宮で感じることすべてが彼女にとっては思考のもととなり、考える糧となる。そんなふうに60年以上を生きてきた女性の率直な言葉は、飾り気がないのにこちらの心を撃つ。全身全霊で生き、日本語にこだわり続けてきた人の言葉だから、強い、激しい、やさしい。
でも、こんなふうに感じられる人はめったにいないから、なかなか生きにくいだろうなと思う。
春先の山肌にツブラジイの花が黄色く泡立つように咲く、いわゆる「山笑う」頃に森に入ると、押しつぶされそうな空気に包まれる。死骸の匂いのような、何かが腐ったような匂いがヒトの精液の匂いに似ていると気づいた作者の興奮ぶりと周囲の冷淡さのコントラストが面白い。
「山笑う」についてのこの発見を、わたしは人に話さずにいられなかった。人と言えば、今の生活ではまず学生だから、早稲田に行って学生に話し、研究室で話した。話し足りずにエレベーターの中でもまだ話した。(俳句を書いている学生もいたから、わかると思ったのだ)。そしてみんなに当惑された。それにしても、熊本っていいところだね。3年前に旅行で一度行ったけど、今度は森や川を歩く旅をしてみたくなった。(足腰をもっと鍛えないと無理そうだけど)
道行きや
作者:伊藤比呂美
出版社:新潮社
ISBN:4104324035
by timeturner
| 2020-11-27 19:00
| 和書
|
Comments(2)
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ppjunction at 2020-11-28 14:33
新芽が芽吹く並木を歩くと、何故か私には「男臭い」匂いに囲まれた様に思います。それを俳句の「青嵐」に例えたところ、句会が白けてヒンシュクものでした。自由に自分の感性で話せる人と出会えるって嬉しいだろうな。
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timeturner at 2020-11-28 21:01
> ppjunctionさん
早稲田大学に学士入学されて、彼女の講義をとれば思う存分話せるのでは?
伊藤さんも喜びそう(^^)。
詩人としてデビューした頃は、性をおおっぴらに語ることがよしとされていなかったから、彼女への風当たりはかなり強かっただろうと思いますが、折れずに持ちこたえてきた人の強さをこの本から感じました。両親の介護、年の離れた夫の介護を全うした強さも源は同じですよね。
早稲田大学に学士入学されて、彼女の講義をとれば思う存分話せるのでは?
伊藤さんも喜びそう(^^)。
詩人としてデビューした頃は、性をおおっぴらに語ることがよしとされていなかったから、彼女への風当たりはかなり強かっただろうと思いますが、折れずに持ちこたえてきた人の強さをこの本から感じました。両親の介護、年の離れた夫の介護を全うした強さも源は同じですよね。