2020年 10月 05日
ハロー、ここにいるよ |
陽気で賑やかな家族の中でヴァージルひとりだけ大人しくて目立たない。気弱で思ったことを口に出せないのだ。勉強ができないので学校でもはみだし者で、苛めっ子チェットの標的になっている。そんなヴァージルが打ち明け話をできるのはおばあちゃんのロラと「霊能者」のカオリだけ。そんなヴァージルにも好きな女の子ができた。週に一度通教指導クラスで一緒になる難聴のヴァレンシアだ・・・。ニューベリー賞受賞作。
おばあちゃんが語る奇妙なフィリピン民話や、霊的なことにのめりこんでいるカオリのさまざまな儀式をとりいれることで、ちょっと幻想的で、それでいてユーモラスな味わいを出しています。カオリの妹ユミが妖精パックみたいな役割をしているのも愉快。
フィリピン民話はおばあちゃんの作り話みたいなものが多いし、カオリの霊能力だって本人の思い込みにすぎない可能性が高いんだけど、子供の日常生活のつらさをダイレクトに描くより話に入っていきやすくなっています。実際につらい思いをしている子供たちが読むのなら、こういうほうがいいですよね。
それにしても子供にとって親の存在ってものすごく重大だなあと改めて感じました。子供は親を選べないのに、親の性格や考え方が子供の生き方を決めてしまうことが多い。
ヴァージルの母親は陽気で愛情深い人ではあるものの、おおざっぱな性格なので繊細なヴァージルの気持ちを理解できない。(愛称のつもりで)「カメ」と呼ぶことで、息子がどれほど傷ついているかわからない。(性格の異なる親子の間の齟齬)
苛めっ子チェットの父親は、他人の弱みを笑いものにするような人間で、「秀でたものがない人間は価値がない」が口癖で、弱者は食物連鎖のいちばん下で誰かにふみつけにされて当然だと考えています。チェットはそんな父親に承認されるべく弱い者をいじめます。とはいえ自分にも弱い部分があることはわかっているので、自分の意のままにならない相手に出会うと怖れ、排除しようとします。(親の誤った価値観の刷り込み)
ヴァレンシアの母親は、一見、娘を守ろうとしているように見えますが、実際には娘は自分の一部だと考え、自分の意のままに動かそうとしているだけです。(一卵性母娘)
子供の親になるって大変な仕事なのに、そんなこと考えもしない親が世の中に多すぎるよね。教師や医師に免許が必要なように、親にだって免許が必要だと思うなあと思ったけど、ひょっとしたら人生の最初のほうで親と戦う(あるいは折り合いをつける)ことが子どもにとっての教育になるのかしら。
なにはともあれ、読んでるだけでも苛々させられたぐじぐじのヴァージルが、大きな試練をくぐりぬけたことで最後に一皮むけたのはハッピーエンドと言えるでしょう。まあ、まだまだこれからだけどね。
ハロー、ここにいるよ
原題:Hello, Universe
作者:エリン・エントラーダ・ケリー
訳者:武富博子
出版社:評論社
ISBN: 978-4566024663
by timeturner
| 2020-10-05 19:00
| 和書
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