2018年 11月 21日
ランドスケープと夏の定理 |
21世紀後半の地球。天才宇宙物理学者である姉テアに、なにかにつけて振りまわされる数学者の弟ネルス。大学四年生の夏に日本でおこなわれた実験の結果、魂を分裂させられたネルスは、それから三年後、宇宙空間に浮かぶ国際研究施設にいる姉から呼び出された・・・。
物語自体はめっちゃ軽く、エンタメ系の少年少女向きコミックにありそうな内容なんだけど、それを表現しているのがハードな物理や数学の理論(あるいは理論もどき?)なので、理数系だめだめの私はその外観を見ただけでビビっちゃって虚心坦懐に楽しむことができない。
理数系の頭を持った人には、その部分こそがジューシーでおいしいんだろうと思うと、なんか物凄く悔しいんですけど。
テアとネルスは、知性を数億年先まで発展させた〈理論の籠〉を翻訳しようと試みる。そのため「翻訳」という言葉が何度も出てきて、翻訳に興味がある私としては「へえ!」と思いながら読んでいたのだけれど、物理の人が考える「翻訳」と文学の人が考える「翻訳」は、同じ言葉でありながら天と地ほども違うのかもしれないと思った。
翻訳というのは、翻訳元と翻訳先を連絡させる行為だ。翻訳の結果、二つのテクストは融合し、翻訳語には――時間順序を無視すれば――どちらが原典でどちらが翻訳なのかの区別はつかなくなる。こんな翻訳、理想的ではあるけれど、数字での翻訳では可能でも文字での翻訳では不可能だ。
今回、誤植には気づかなかったのだけれど、読んでいて辻褄が合ってないんじゃないかと思える個所があった。私が正確に読めていないだけかもしれないけど。
p.126 9-10行目
ぼくも翠雨(高性能AI)に話しかけようと思ったが、今彼女は理論地図の計算の真っ最中だ。情報収集はメガネに初めから搭載されている廉価版の制御知能に任せて、ぼくは別のことをしよう。
p.126 15行目
そのあいだにも、翠雨がインターネットから確度の高いニュースを集めてきてくれた。⇒翠雨ではなく廉価版の制御知能では?
一応の状況を把握したぼくは、論文や雑誌や書類が撒き散らされたベアトリスの机にスペースを作り、台所の棚からクラッカーを取り出して、洗った皿に載せてコーヒーカップといっしょに並べた
p.130 16-17行目
研究室に戻ると、ベアトリスも電話連絡が一段落したようで、机に置いておいたサンドイッチを頬張りながら首をゆっくりと回した。⇒サンドイッチではなくクラッカーでは?
ランドスケープと夏の定理 (創元日本SF叢書)
作者:高島雄哉
出版社:東京創元社
ISBN:4488018289
by timeturner
| 2018-11-21 19:00
| 和書
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