2018年 03月 26日
公方様のお通り抜け |
寛政四年夏。日本橋から二里西にある戸塚村の大百姓・外村甚平は、近くにある尾張徳川家・戸山下屋敷に御用聞きとして出入りしていた。屋敷は敷地面積十三万坪のうちほとんどが庭園だが、手入れが行き届かず荒れていた。だが、半年後に将軍・徳川家斉が鷹狩のあとで御成りになるという話がもちあがり、屋敷奉行の弾蔵は将軍を喜ばせる仕掛けを考えてくれと甚平に持ちかけた・・・。日経小説大賞受賞。
面白~い。こんな時代小説もあるんですね。水量が一気に変わる不思議な滝、鬼の出る怪しい洞窟、本物そっくりの賑やかな宿場町などなど、江戸時代のアミューズメントパークともいうべき施設を作っていく過程にわくわくしました。
現代人の目から見れば子供騙しな仕掛けですが、寛政の改革で質素倹約が徹底され、楽しみの少ない日々を過ごしていた若者(家斉)はどんなに楽しんだことかとほっこりしてしまいます。
戸山荘庭園はいまの戸山公園の前身で、二代藩主・徳川光友により整美された回遊式庭園で、水戸藩徳川家の小石川上屋敷と並ぶ有数の大名庭園でした。この本に書かれているように、敷地内には箱根山に見立てた築山の玉円峰(現在の箱根山)、東海道の小田原宿を模した建物など二十五景がしつらえられていました。徳川家斉の訪問を受けたのも事実。
この本の最後のほうにちらっと名前が出てくる絵師・谷文晁がこの庭園を描いた「紙本淡彩戸山山荘図」が現存しているそうです。出光美術館の所蔵のようですが、特別な展示会など以外では公開されていないみたい。画像もみつかりませんでした。残念。カバーに使われているのは徳川美術館所蔵の「戸山御庭之図」の一部です。
この本を読んで庭の図を見たいと思うのは人の常のようで、こんなリファレンスへの回答がありました。
庭園のほうも残念ながら数度の火災や水害で荒廃し、尾張藩の財政難などで復興されなかったため、かつての姿を実際に目にすることはできません。
【誤植メモ】 p.58 12行目 腹を切らねばならぬ自体⇒腹を切らねばならぬ事態
公方様のお通り抜け
作者:西山ガラシャ
出版社:日本経済新聞出版社
ISBN:4532171393
面白~い。こんな時代小説もあるんですね。水量が一気に変わる不思議な滝、鬼の出る怪しい洞窟、本物そっくりの賑やかな宿場町などなど、江戸時代のアミューズメントパークともいうべき施設を作っていく過程にわくわくしました。
現代人の目から見れば子供騙しな仕掛けですが、寛政の改革で質素倹約が徹底され、楽しみの少ない日々を過ごしていた若者(家斉)はどんなに楽しんだことかとほっこりしてしまいます。
戸山荘庭園はいまの戸山公園の前身で、二代藩主・徳川光友により整美された回遊式庭園で、水戸藩徳川家の小石川上屋敷と並ぶ有数の大名庭園でした。この本に書かれているように、敷地内には箱根山に見立てた築山の玉円峰(現在の箱根山)、東海道の小田原宿を模した建物など二十五景がしつらえられていました。徳川家斉の訪問を受けたのも事実。
この本の最後のほうにちらっと名前が出てくる絵師・谷文晁がこの庭園を描いた「紙本淡彩戸山山荘図」が現存しているそうです。出光美術館の所蔵のようですが、特別な展示会など以外では公開されていないみたい。画像もみつかりませんでした。残念。カバーに使われているのは徳川美術館所蔵の「戸山御庭之図」の一部です。
この本を読んで庭の図を見たいと思うのは人の常のようで、こんなリファレンスへの回答がありました。
庭園のほうも残念ながら数度の火災や水害で荒廃し、尾張藩の財政難などで復興されなかったため、かつての姿を実際に目にすることはできません。
【誤植メモ】 p.58 12行目 腹を切らねばならぬ自体⇒腹を切らねばならぬ事態
公方様のお通り抜け
作者:西山ガラシャ
出版社:日本経済新聞出版社
ISBN:4532171393
by timeturner
| 2018-03-26 19:00
| 和書
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