トランクの中の日本 |
アメリカ在郷軍人会の圧力で中止となった、スミソニアン博物館での原爆写真展を再現した写真集です。1990年からアメリカで、ついで1992年からは日本各地で写真展が開催されたそうですが、私は見ていません。
この本のことを知ったのは、ローマ教皇フランシスコがこの写真集にも載っている「焼き場に立つ少年」の写真を印刷したカードを昨年末に配布したというニュースを目にしたことがきっかけです。「核なき世界」を訴えてきた法王は、この写真の裏に「... il frutto della guerra(戦争が生み出したもの)」という言葉と自らの署名を添えました。キャプションには「亡くなった弟を背負い、火葬の順番を待つ少年。少年の悲しみは、かみしめて血のにじんだ唇に表れている」と書かれているそうです。
原爆投下後の広島・長崎の写真はこれまでにも見てきましたが、この写真は初めてだったので、どういう人がどういうシチュエーションで撮ったのだろうと調べてみたら、この写真集がヒットしたというわけ。
真珠湾攻撃のときに19歳だったオドネルは、敵である日本をやっつけてやりたいと海兵隊に入隊しました。4年後、サイパンから船に乗って侵攻のため日本に向かった彼は、船上で広島と長崎への原爆投下と日本軍降伏のニュースを聞き、進駐軍として佐世保に上陸します。
日本の現状を記録のため写真撮影するようにとの命令を受け、初めは大いに喜び、好奇心いっぱいで歩き回ったオドネルですが、被害のすさまじさを見るにつれ、心が重く沈んでいくようすが、撮られた写真とそれに添えられた談話から伝わってきて、なんとも言えない気持ちになります。
被害に遭った日本人への同情が湧きあがるのは当然なのですが、その被害をもたらした軍隊の一部であるオドネル青年の心の痛みにも同情してしまうからです。
23歳という若さでこんなものを何か月も見続けなくてはならなかったなんて……普通の兵士だったら目をそむけ、いやなものは極力見ないようにして過ごすこともできたでしょうが、記録を命じられたからには常にレンズを通して現場を直視しなくてはならないわけですからトラウマになって当然です。
おまけに彼は、広島・長崎を歩き回った際に放射能を大量に浴びたために、戦後20年もたってから体調を崩し、ひどり痛みと闘い、入退院を繰り返すことになったのだそうです。そうした結果、あの写真を葬り去ってはいけない、あの記憶を忘れてはいけないとの使命を感じたのでしょう。
彼のような経験をしていない戦後生まれの私たちも、こうして彼の写真と言葉を見ることで、戦争の悲惨と虚しさを追体験することができます。ローマ教皇がカードを配ったのも、「忘れてはならない」という世界中の人々への警告だったのだと思います。
トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録
原題:Japan 1945, Images from The Trunk
写真:ジョー・オダネル
聞き書き:ジェニファー・オルドリッチ
訳者:平岡豊子
出版社:小学館
ISBN:4095630132