2017年 10月 23日
月の満ち欠け |
妻と娘を自動車事故で失った小山内は生きる気力を失い、故郷の八戸に戻って母とふたりで暮らしていた。初老となった小山内が十数年ぶりに上京し、東京駅のカフェをめざしていたのは、亡くなった娘と仲のよかった緑坂ゆいとその娘るいにあるものを届けるためだった・・・。第157回直木賞受賞作。
ふーん、これが直木賞か。本屋大賞は無理だろうな。
なんともいえず胡散臭く、気味の悪い小説だった。かなり早い段階でテーマはわかってしまうけれど、それぞれのエピソードがどう展開してどういう結末に落ち着くのだろうという興味でどんどん読ませる。でも、そうしたエピソードのひとつひとつがキモい。あえてそう書いているのだとしたら巧いけれど、それが受賞の理由なのだろうか? ホラー大賞といったものなら大いに納得するんだけどなあ。
運命の恋とか、時を超えた恋とかって、昔からSF小説や映画が好むテーマで、『たんぽぽ娘』に惹かれる若い子、特に若い男性は多いよね。どうしてなのかな。好きな女の子から「何度生まれ変わってもあなたと一緒になりたい」と言われることに憧れる?
まあ、そういう愛に憧れる気持ちはわからないでもないけれど、この本の三角(みすみ)のように七歳の女の子を前にしてもそう思えるのはやっぱり異常。アマゾンの内容紹介に「戦慄と落涙、衝撃のラストへ。」と書かれていたけれど、別の意味で戦慄と衝撃を受けた。落涙はない。
表向きは否定している小山内も、最後には死んだ妻が自分を愛するあまり生まれかわったかもしれないという妄想にからめとられる。あんなふうに突き放された妻がまた生まれ変わって会いたいなんて思うわけないじゃん。どこまで鈍感で図々しいんだか。
そもそも、瑠璃がそこまで三角に執着する理由が納得できるようには書かれていない。自殺と遺書の話がああいう方向に向かうのも不自然すぎる。作者の思惑に合わせてむりやりお膳立てしたようにしか読めない。それを言うなら登場人物全員がゲームの駒のように動かされているような無生物感がある。話を自分の思うとおりに進めるためのテクニックなんだろうけど。
いちばん痛いのは、体を乗っ取られた子供の人格に対する配慮がまったくないこと。その人間の可能性を完全に潰したことになんの後悔も申し訳なさも見せないのが怖い。
【誤植メモ】 p.226 10行目 夢見を体験をした⇒夢見を体験した
月の満ち欠け 第157回直木賞受賞
作者:佐藤正午
出版社:岩波書店
ISBN:4000014080
ふーん、これが直木賞か。本屋大賞は無理だろうな。
なんともいえず胡散臭く、気味の悪い小説だった。かなり早い段階でテーマはわかってしまうけれど、それぞれのエピソードがどう展開してどういう結末に落ち着くのだろうという興味でどんどん読ませる。でも、そうしたエピソードのひとつひとつがキモい。あえてそう書いているのだとしたら巧いけれど、それが受賞の理由なのだろうか? ホラー大賞といったものなら大いに納得するんだけどなあ。
運命の恋とか、時を超えた恋とかって、昔からSF小説や映画が好むテーマで、『たんぽぽ娘』に惹かれる若い子、特に若い男性は多いよね。どうしてなのかな。好きな女の子から「何度生まれ変わってもあなたと一緒になりたい」と言われることに憧れる?
まあ、そういう愛に憧れる気持ちはわからないでもないけれど、この本の三角(みすみ)のように七歳の女の子を前にしてもそう思えるのはやっぱり異常。アマゾンの内容紹介に「戦慄と落涙、衝撃のラストへ。」と書かれていたけれど、別の意味で戦慄と衝撃を受けた。落涙はない。
表向きは否定している小山内も、最後には死んだ妻が自分を愛するあまり生まれかわったかもしれないという妄想にからめとられる。あんなふうに突き放された妻がまた生まれ変わって会いたいなんて思うわけないじゃん。どこまで鈍感で図々しいんだか。
そもそも、瑠璃がそこまで三角に執着する理由が納得できるようには書かれていない。自殺と遺書の話がああいう方向に向かうのも不自然すぎる。作者の思惑に合わせてむりやりお膳立てしたようにしか読めない。それを言うなら登場人物全員がゲームの駒のように動かされているような無生物感がある。話を自分の思うとおりに進めるためのテクニックなんだろうけど。
いちばん痛いのは、体を乗っ取られた子供の人格に対する配慮がまったくないこと。その人間の可能性を完全に潰したことになんの後悔も申し訳なさも見せないのが怖い。
【誤植メモ】 p.226 10行目 夢見を体験をした⇒夢見を体験した
月の満ち欠け 第157回直木賞受賞
作者:佐藤正午
出版社:岩波書店
ISBN:4000014080
by timeturner
| 2017-10-23 19:00
| 和書
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