2017年 09月 30日
土屋政雄講演会「わたしの翻訳作法」 |
神保町で翻訳家・土屋政雄さんの講演会があったので行ってきました。
土屋さんの翻訳はもう神業の域で、凡人がどんなに努力してもあのレベルには到底届かないし、お話をうかがったからといって自分の翻訳技術が向上するとの期待もしてはいないのですが、とにかく生身の土屋さんを拝見して、お話をうかがいたいと思いました。これって、もう、ほとんど恋(^^;)?
土屋さんが訳された本を全部読んでいるわけではありませんが、読んだ本の訳は全部好き。忘れられた巨人、日の名残り、ダロウェイ夫人、ねじの回転、終わりの感覚、わたしを離さないで……断トツに好きなのが『日の名残り』。あれはもうカズオ・イシグロが乗り移ったとしか思えない翻訳でした。
神保町には昼過ぎに着いたので余裕だと思っていたのですが、あちこちの書店で本を見ているうちに時間がたち、おまけにタブレットの時計が遅れていた(!)ので、会場に着いたらもうお話が始まっていました。大失敗。
もっとも、喉の調子が悪く声が出にくいので、途中で席を外すかもしれないといった前置きの段階で、翻訳の話には入っていなかったので一安心。
この講演会の内容は主催者であるアルクが来年刊行の翻訳事典(だったかな?)に掲載するそうなので、ここではあまり詳しいことは書きません。(わずかとはいえ1500円払ったのだからそこまで気をつかわなくてもいいかなとも思うけど)
初めのほうは意外や意外、Google翻訳に関する話でした。純文学系の作品を手掛けられることが多いので、あまりIT関係には関心がないようなイメージだったのですが、初めは実務翻訳から入られて、IBMの社外翻訳を30年なさっていたというのを聞いて、なるほどと思いました。
しかしなあ、実務翻訳を30年やってカズオ・イシグロって凄いですよね。講演が終わってからの質疑応答でどなたかが実務から文芸に移ったきっかけを聞いてくれたのですが、翻訳エージェントを通じて中央公論社から論文の翻訳以来があり、そうした論文をいくつか手がけているうちに文芸の声がかかったそうです。「この人ならできる」って編集者が考えるほどよくできた翻訳だったんだろうな。
Google翻訳の話は、軽い導入としては面白かったんですが、下準備をしすぎたせいか、軽くはすまなくて、かなり時間を喰ってしまい、最後のほうは急ぎ足になってしまった感がありました。土屋さんとしてはGoogle翻訳の話からファイルサイズの話に持っていきたかったんだろうと思いますが、話しているうちに例として出した訳例にひとこと言わずにはすまなくなっちゃったという感じ。言葉に関しては並々ならぬ執着を持ってる方だなと思いました。「ゲームは有限、言葉は無限」、だからチェスや将棋では人間よりコンピュータが有利でも、翻訳の世界ではまだまだ人間が最強という話もされましたが、土屋さんが言われる「言葉は無限」は、本当に無限なのですね。
で、講演のタイトルになっている「わたしの翻訳作法」ですが、二本の柱があるそうです。
1)読者の意識の中で論理がスムーズに流れるか
2)原文と訳文のファイルサイズがほぼ同じか
1はまさにその通りで、私が翻訳書を読んでいていつも不満を言うのはこれが出来ていない本の場合なんですよね。論理がスムーズに流れていて、作者が言っていることがすっと理解できれば、物語の力にひっぱられて最後まで読み、「ああ、面白かった!」で終わります。ところが、それがうまくいっていなくて辻褄の合わない非論理的な部分が出てくるから、「原文はどうなってるんだろう」と苛々して止まってしまう。
土屋さんは、1を達成するためにはかなり「暴れる」んだそうです。ひとつのパラグラフをプロレスやボクシングのリングに見立て、文章の順番を変えてみたり、別の言葉で言いかえたり、とにかく暴れまくる(推敲する)。ただし、別のパラグラフにまで影響は及ぼさないし、絶対に原文の意味と違うことは書かない。それはすべて、読者にすんなり読んでもらうため。
ああ、このへん、前に中野さんの講義で称賛されていた『日の名残り』の大胆不敵な訳文の話とぴったり一致します。
2については、土屋さんの訳文は原文と同じか少な目なファイルサイズであることが多いのだそうです。よく、英語の文章を日本語にすると1ページが1ページ半から2ページに増えると言われますよね。実際、たいていの本は原作のページ数より翻訳書のページ数のほうが多い。そういう中で聞くと、最初はびっくりします。
でも、「Beautiful」は9バイトですが、「うつくしい」は10バイト、「美しい」は6バイトと聞くと、あ、そうかと思いますよね。ひらがなだらけの訳文なんて絵本以外にはないのだから、大人向けの本で漢字がそれなりに使えるのなら、減って当たりまえかも。しかも、英文では必ず使わなくてはならない人称代名詞は日本語ではかなり省略できます。そう考えれば増えるのはおかしいという気になってきます。
土屋さんによると、文章のデータは人間の体重のようなもので、だから、ファイルサイズは健康のバロメーターだと言います。原文を標準体重と考えると、それより多すぎても少なすぎてもよくないんですって。それと、自分の訳文の平均ファイルサイズを知っていれば、訳し漏れがあったときに気づきやすいともおっしゃっていました。うーん、それはどうかなあ。1パラグラフ抜かしていたら気づくかもしれないけれど、1語くらいじゃわからないですよね。
翻訳とはぜんぜん関係ない話ですが、IBMで仕事をしていらしたので、パソコンを導入されたのはかなり早かったそうです。日本人では二番目ですよと営業の方に言われたそう。一番目は誰かというと小松左京さん。まだ第一世代だったので一千万円はしたんじゃないかとのこと。土屋さんが買われたのは第二世代だったけど、それでも300万円くらいしたそうですが、元はとれたとおっしゃっていました。
英語を喋れたほうが翻訳家としては得、理解のレベルが違うからという言葉にもうなずきました。会話文など訳すときには、どういうニュアンスでその言葉が発せられたのか身をもって知っていれば絶対に強い。そういう意味で言えば、英語が喋れて、なおかつ現地で生活したことのある人はすごく得だと思う。ただし、英語が喋れれば翻訳ができるというわけでは絶対にない。
ふだんどんな本を読んでいますか?という質問がQ&Aで出ました。そしたらなんと、ほとんど読まないというお返事が! 仕事をしているときは忙しくて本を読んでいる暇はないし、そうでないときは気楽に読めるものを図書館で手当たり次第に読んでるらしい。図書館でと正直におっしゃるところがいいですね。
強いてあげると、いちばん多く読んでいるのが児童文学だそうです。児童文学の翻訳がいまいちばん上手だとおっしゃってました。あとは時代小説とラノベだそう。
なんかわかるなあ。自分が訳しているのと同じようなものを読むと、訳文が気になって楽しめないんでしょうね。その点、児童文学も時代小説もラノベも、読者がすんなり読めることを大切にして書かれているから、ストレスなく読めるのだと思う。
ご自分が訳された本の中でいちばん好きなのは、オンダーチェの『イギリス人の患者』だそうです。あれを読んだときに、この人はもうこれ以上の作品は書けないだろうと思ったけど、やっぱりそうでしたね、とおっしゃってました(^^;)。
あ、それと、これは会場から声にならない溜め息のような音がもれた回答。校正ゲラではどのくらい手を入れるかという質問に対して、いっさい手はつけない(ただし、編集者からチェックが入った場合は別)、完全原稿で入稿したのだから、と。建前はそうであるはずだけど、実際にできている人がいるってすごいなあ。
土屋さんの翻訳はもう神業の域で、凡人がどんなに努力してもあのレベルには到底届かないし、お話をうかがったからといって自分の翻訳技術が向上するとの期待もしてはいないのですが、とにかく生身の土屋さんを拝見して、お話をうかがいたいと思いました。これって、もう、ほとんど恋(^^;)?
土屋さんが訳された本を全部読んでいるわけではありませんが、読んだ本の訳は全部好き。忘れられた巨人、日の名残り、ダロウェイ夫人、ねじの回転、終わりの感覚、わたしを離さないで……断トツに好きなのが『日の名残り』。あれはもうカズオ・イシグロが乗り移ったとしか思えない翻訳でした。
神保町には昼過ぎに着いたので余裕だと思っていたのですが、あちこちの書店で本を見ているうちに時間がたち、おまけにタブレットの時計が遅れていた(!)ので、会場に着いたらもうお話が始まっていました。大失敗。
もっとも、喉の調子が悪く声が出にくいので、途中で席を外すかもしれないといった前置きの段階で、翻訳の話には入っていなかったので一安心。
この講演会の内容は主催者であるアルクが来年刊行の翻訳事典(だったかな?)に掲載するそうなので、ここではあまり詳しいことは書きません。(わずかとはいえ1500円払ったのだからそこまで気をつかわなくてもいいかなとも思うけど)
初めのほうは意外や意外、Google翻訳に関する話でした。純文学系の作品を手掛けられることが多いので、あまりIT関係には関心がないようなイメージだったのですが、初めは実務翻訳から入られて、IBMの社外翻訳を30年なさっていたというのを聞いて、なるほどと思いました。
しかしなあ、実務翻訳を30年やってカズオ・イシグロって凄いですよね。講演が終わってからの質疑応答でどなたかが実務から文芸に移ったきっかけを聞いてくれたのですが、翻訳エージェントを通じて中央公論社から論文の翻訳以来があり、そうした論文をいくつか手がけているうちに文芸の声がかかったそうです。「この人ならできる」って編集者が考えるほどよくできた翻訳だったんだろうな。
Google翻訳の話は、軽い導入としては面白かったんですが、下準備をしすぎたせいか、軽くはすまなくて、かなり時間を喰ってしまい、最後のほうは急ぎ足になってしまった感がありました。土屋さんとしてはGoogle翻訳の話からファイルサイズの話に持っていきたかったんだろうと思いますが、話しているうちに例として出した訳例にひとこと言わずにはすまなくなっちゃったという感じ。言葉に関しては並々ならぬ執着を持ってる方だなと思いました。「ゲームは有限、言葉は無限」、だからチェスや将棋では人間よりコンピュータが有利でも、翻訳の世界ではまだまだ人間が最強という話もされましたが、土屋さんが言われる「言葉は無限」は、本当に無限なのですね。
で、講演のタイトルになっている「わたしの翻訳作法」ですが、二本の柱があるそうです。
1)読者の意識の中で論理がスムーズに流れるか
2)原文と訳文のファイルサイズがほぼ同じか
1はまさにその通りで、私が翻訳書を読んでいていつも不満を言うのはこれが出来ていない本の場合なんですよね。論理がスムーズに流れていて、作者が言っていることがすっと理解できれば、物語の力にひっぱられて最後まで読み、「ああ、面白かった!」で終わります。ところが、それがうまくいっていなくて辻褄の合わない非論理的な部分が出てくるから、「原文はどうなってるんだろう」と苛々して止まってしまう。
土屋さんは、1を達成するためにはかなり「暴れる」んだそうです。ひとつのパラグラフをプロレスやボクシングのリングに見立て、文章の順番を変えてみたり、別の言葉で言いかえたり、とにかく暴れまくる(推敲する)。ただし、別のパラグラフにまで影響は及ぼさないし、絶対に原文の意味と違うことは書かない。それはすべて、読者にすんなり読んでもらうため。
ああ、このへん、前に中野さんの講義で称賛されていた『日の名残り』の大胆不敵な訳文の話とぴったり一致します。
2については、土屋さんの訳文は原文と同じか少な目なファイルサイズであることが多いのだそうです。よく、英語の文章を日本語にすると1ページが1ページ半から2ページに増えると言われますよね。実際、たいていの本は原作のページ数より翻訳書のページ数のほうが多い。そういう中で聞くと、最初はびっくりします。
でも、「Beautiful」は9バイトですが、「うつくしい」は10バイト、「美しい」は6バイトと聞くと、あ、そうかと思いますよね。ひらがなだらけの訳文なんて絵本以外にはないのだから、大人向けの本で漢字がそれなりに使えるのなら、減って当たりまえかも。しかも、英文では必ず使わなくてはならない人称代名詞は日本語ではかなり省略できます。そう考えれば増えるのはおかしいという気になってきます。
土屋さんによると、文章のデータは人間の体重のようなもので、だから、ファイルサイズは健康のバロメーターだと言います。原文を標準体重と考えると、それより多すぎても少なすぎてもよくないんですって。それと、自分の訳文の平均ファイルサイズを知っていれば、訳し漏れがあったときに気づきやすいともおっしゃっていました。うーん、それはどうかなあ。1パラグラフ抜かしていたら気づくかもしれないけれど、1語くらいじゃわからないですよね。
翻訳とはぜんぜん関係ない話ですが、IBMで仕事をしていらしたので、パソコンを導入されたのはかなり早かったそうです。日本人では二番目ですよと営業の方に言われたそう。一番目は誰かというと小松左京さん。まだ第一世代だったので一千万円はしたんじゃないかとのこと。土屋さんが買われたのは第二世代だったけど、それでも300万円くらいしたそうですが、元はとれたとおっしゃっていました。
英語を喋れたほうが翻訳家としては得、理解のレベルが違うからという言葉にもうなずきました。会話文など訳すときには、どういうニュアンスでその言葉が発せられたのか身をもって知っていれば絶対に強い。そういう意味で言えば、英語が喋れて、なおかつ現地で生活したことのある人はすごく得だと思う。ただし、英語が喋れれば翻訳ができるというわけでは絶対にない。
ふだんどんな本を読んでいますか?という質問がQ&Aで出ました。そしたらなんと、ほとんど読まないというお返事が! 仕事をしているときは忙しくて本を読んでいる暇はないし、そうでないときは気楽に読めるものを図書館で手当たり次第に読んでるらしい。図書館でと正直におっしゃるところがいいですね。
強いてあげると、いちばん多く読んでいるのが児童文学だそうです。児童文学の翻訳がいまいちばん上手だとおっしゃってました。あとは時代小説とラノベだそう。
なんかわかるなあ。自分が訳しているのと同じようなものを読むと、訳文が気になって楽しめないんでしょうね。その点、児童文学も時代小説もラノベも、読者がすんなり読めることを大切にして書かれているから、ストレスなく読めるのだと思う。
ご自分が訳された本の中でいちばん好きなのは、オンダーチェの『イギリス人の患者』だそうです。あれを読んだときに、この人はもうこれ以上の作品は書けないだろうと思ったけど、やっぱりそうでしたね、とおっしゃってました(^^;)。
あ、それと、これは会場から声にならない溜め息のような音がもれた回答。校正ゲラではどのくらい手を入れるかという質問に対して、いっさい手はつけない(ただし、編集者からチェックが入った場合は別)、完全原稿で入稿したのだから、と。建前はそうであるはずだけど、実際にできている人がいるってすごいなあ。
by timeturner
| 2017-09-30 20:38
| 学習
|
Comments(4)
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by
八朔
at 2017-10-01 20:55
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完全原稿で入稿、校正ゲラはいっさい手をつけない……本当にため息が出ます。見直しても見直しても思い込みで、間違いをスルーしてしまう……などと言うことがないのですね。読者の意識の中で論理がスムーズに流れるか…これもすごいですね。原文と訳文のサイズが同じ…もびっくりです。「英語を日本語に訳すと、日本語の方が長くなります」と前期の翻訳の授業で習ったので、同じファイルサイズは不可能なんだと思ってました。「作法」という題が付けられている理由が伝わってきました。
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timeturner at 2017-10-02 07:06
> 八朔さん
ねえ、溜息ですよね。推敲については何度も何度もおっしゃっていました。自分で違和感があるところは何度も何度も見直して、違和感がなくなるまで推敲するんだそうです。どんなに時間がなくてもやるっておっしゃっていたから、担当編集者は大変だろうなと思いました(^^;)。
ねえ、溜息ですよね。推敲については何度も何度もおっしゃっていました。自分で違和感があるところは何度も何度も見直して、違和感がなくなるまで推敲するんだそうです。どんなに時間がなくてもやるっておっしゃっていたから、担当編集者は大変だろうなと思いました(^^;)。
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ppjunction at 2017-10-07 23:34
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timeturner at 2017-10-08 15:04
> ppjunctionさん
びっくりしましたよね、あの受賞。
村上春樹はずっと候補に挙がっていたけど、カズオ・イシグロはいきなりでびっくりしました。土屋さんの講演会のすぐあとだったので、なんだか運命的なものを感じたりして(ぜんぜん関係ないけど)。
受賞に関する土屋さんのコメントも読みましたが、土屋さんもまだまだ先だと思っていたようですね。版元の早川書房もあわてているようす。中の人のツイッターで、在庫が本当にゼロになるという事態を初めて経験したと書いてました。増刷が間に合って、たくさんの人がカズオ・イシグロの素晴らしさを知ってくれたらいいなと思います。
びっくりしましたよね、あの受賞。
村上春樹はずっと候補に挙がっていたけど、カズオ・イシグロはいきなりでびっくりしました。土屋さんの講演会のすぐあとだったので、なんだか運命的なものを感じたりして(ぜんぜん関係ないけど)。
受賞に関する土屋さんのコメントも読みましたが、土屋さんもまだまだ先だと思っていたようですね。版元の早川書房もあわてているようす。中の人のツイッターで、在庫が本当にゼロになるという事態を初めて経験したと書いてました。増刷が間に合って、たくさんの人がカズオ・イシグロの素晴らしさを知ってくれたらいいなと思います。