2017年 09月 20日
須藤かく―日系アメリカ人最初の女医 |
明治生まれの青森出身の女性が英語を学び、アメリカに留学して医学を修め、医師となる・・・まるで小説かドラマのような人生をおくった須藤かく(ひらがなだと埋もれてしまうので以後カクと表記。カバー写真中央の女性)の評伝です。作者はカクと同郷の弘前出身の歯科医でアマチュア史家。
B5判62ページの薄い本で、二段組に文字がぎっしりとはいえ、その半分くらいは資料や注釈で、カクについての記述は多くはありません。それというのも資料が少なく、はっきりしたことがほとんど知られていないから。
並外れた生き方をした人ではあるものの、日本で活躍したわけではなかったので、記録が残されなかった、あるいは残されていたとしてもアメリカ国内になので、日本人にはほとんど知られていなかったようです。
そうした中をごくわずかな手がかりでも見逃さずに丹念に調べていった著者の根気に感心しました。それ以上に、明治時代にこれほど思いきった決断をくだした須藤カクという女性には讃嘆の念しかわきません。
なにしろ、彼女が英語を学びたいと弘前から上京したのが10歳のときですよ。男の子ならともかく、当時の女の子がそんな志を持てたのはどういうわけなのでしょう。また、それを許し、応援した親もすごいと思います。
前に読んだ『A Daughter of The Samurai』の杉本鉞子も長岡から上京し英語を学びますが、これは結婚相手がアメリカ在住だったから。その後アメリカに渡ったのも結婚のためですから、これは当時の考え方からは外れていません。
医学を学ぶためにアメリカに留学したのは30歳のときだというのですが、それまでの20年間を横浜でどう過ごしていたのかについては触れられていません。記録がないのでしょうね。10歳から18歳までは学校で学んでいて、それ以降は教師として、あるいは伝道師として働いていたのでしょうか。杉本鉞子のように奨学金をもらっていて、それを労働で返したとも考えられます。
ところで、この本のサブタイトルはちょっと誇大広告的なところがあります。カクがアメリカから帰国して医籍登録(当時、男性は医学校を卒業するだけで医師の資格を得られたが、女性は私立の医術予備校に通い、医術開業試験を受けるか、外国の医学校を卒業して医籍登録をする必要があった)をすませたのは明治31年で、登録番号は55番。つまり、「日本で初めての女医」ではありません。
また、1902年に再渡米してから1963年に102歳で亡くなるまでアメリカに住んでいましたが、市民権をとれたのは1953年ですから、「はじめての日系アメリカ人女医」でもありません。さらに言えば、カクと一緒に留学した阿部はな(カバー写真左側の女性)は医籍登録番号が54番なので、「アメリカに渡り、死ぬまでアメリカで暮らした女性の中でいちばん最初に医師の資格をとった人」でもありません。強いて言えば「アメリカに渡り、死ぬまでアメリカで暮らして、市民権をとった女性の中でいちばん最初に医師の資格をとった人」でしょうか(^^;)。
杉本鉞子にフローレンスがいたように、カクにはアデリン・ケルシーという指導者がいました。裕福な農園主の娘で、医師の資格をもち、宣教医として中国、日本に派遣されてきた人です。共立女学校では校医をしており、カクと阿部はなが留学する際には一緒に渡米し、アメリカでの生活を共にしました。その後、再渡米したのちもケルシーが亡くなるまで共に暮らしています。
村岡花子が学んでいた東洋英和にも、熱心なキリスト教伝道者の女性たちが教師として働いていましたが、明治の日本にはそうした外国人女性がかなりの数いたのだろうなと思うし、日本の女性の教育にはかりしれない貢献をしたのだと思います。
彼女たちが見知らぬ未開地にやってきて、献身的に働いたのは、表面的には宗教的な使命感に導かれてのことなのでしょうが、それだけじゃないという気がします。
明治の日本で女性の地位が低く、窮屈な生き方を強いられていたのと同様、ヴィクトリア朝の欧米でも女性にはわずかな自由しか与えられていませんでした。中流以上の出身で、高等教育を受けた女性なら、広い世界を自分の目で見てみたいと考えるようになる人が出てくるのは当たり前。貴族や富豪の娘なら家族そろっての世界周遊旅行や、使用人をたくさん引きつれての大名旅行ができますが、そこまで行かない場合はなんらかの後ろ盾と名目が必要です。
その際にもっとも「使えた」のが「キリスト教の伝道」だったんじゃないでしょうか。教会・病院・学校といった受け皿があるので女性ひとりでも安心して出かけられるし、周囲を説得するにも好都合。進取の気性と好奇心にあふれるインテリ女性たちが、日本にやってきて、進取の気性と向学心にあふれた女性と出会う。多少年が離れていたって「心の友」になるのが当然ですね。
だれか、そうした国境を越えた「心の友」たちの話をまとめて本にしてくれないかな。
【誤植メモ】 p.62 17行目 多くに方⇒多くの方
須藤かく―日系アメリカ人最初の女医
作者:広瀬寿秀
出版社:北方新社
ISBN:4892972401
B5判62ページの薄い本で、二段組に文字がぎっしりとはいえ、その半分くらいは資料や注釈で、カクについての記述は多くはありません。それというのも資料が少なく、はっきりしたことがほとんど知られていないから。
並外れた生き方をした人ではあるものの、日本で活躍したわけではなかったので、記録が残されなかった、あるいは残されていたとしてもアメリカ国内になので、日本人にはほとんど知られていなかったようです。
そうした中をごくわずかな手がかりでも見逃さずに丹念に調べていった著者の根気に感心しました。それ以上に、明治時代にこれほど思いきった決断をくだした須藤カクという女性には讃嘆の念しかわきません。
なにしろ、彼女が英語を学びたいと弘前から上京したのが10歳のときですよ。男の子ならともかく、当時の女の子がそんな志を持てたのはどういうわけなのでしょう。また、それを許し、応援した親もすごいと思います。
前に読んだ『A Daughter of The Samurai』の杉本鉞子も長岡から上京し英語を学びますが、これは結婚相手がアメリカ在住だったから。その後アメリカに渡ったのも結婚のためですから、これは当時の考え方からは外れていません。
医学を学ぶためにアメリカに留学したのは30歳のときだというのですが、それまでの20年間を横浜でどう過ごしていたのかについては触れられていません。記録がないのでしょうね。10歳から18歳までは学校で学んでいて、それ以降は教師として、あるいは伝道師として働いていたのでしょうか。杉本鉞子のように奨学金をもらっていて、それを労働で返したとも考えられます。
ところで、この本のサブタイトルはちょっと誇大広告的なところがあります。カクがアメリカから帰国して医籍登録(当時、男性は医学校を卒業するだけで医師の資格を得られたが、女性は私立の医術予備校に通い、医術開業試験を受けるか、外国の医学校を卒業して医籍登録をする必要があった)をすませたのは明治31年で、登録番号は55番。つまり、「日本で初めての女医」ではありません。
また、1902年に再渡米してから1963年に102歳で亡くなるまでアメリカに住んでいましたが、市民権をとれたのは1953年ですから、「はじめての日系アメリカ人女医」でもありません。さらに言えば、カクと一緒に留学した阿部はな(カバー写真左側の女性)は医籍登録番号が54番なので、「アメリカに渡り、死ぬまでアメリカで暮らした女性の中でいちばん最初に医師の資格をとった人」でもありません。強いて言えば「アメリカに渡り、死ぬまでアメリカで暮らして、市民権をとった女性の中でいちばん最初に医師の資格をとった人」でしょうか(^^;)。
杉本鉞子にフローレンスがいたように、カクにはアデリン・ケルシーという指導者がいました。裕福な農園主の娘で、医師の資格をもち、宣教医として中国、日本に派遣されてきた人です。共立女学校では校医をしており、カクと阿部はなが留学する際には一緒に渡米し、アメリカでの生活を共にしました。その後、再渡米したのちもケルシーが亡くなるまで共に暮らしています。
村岡花子が学んでいた東洋英和にも、熱心なキリスト教伝道者の女性たちが教師として働いていましたが、明治の日本にはそうした外国人女性がかなりの数いたのだろうなと思うし、日本の女性の教育にはかりしれない貢献をしたのだと思います。
彼女たちが見知らぬ未開地にやってきて、献身的に働いたのは、表面的には宗教的な使命感に導かれてのことなのでしょうが、それだけじゃないという気がします。
明治の日本で女性の地位が低く、窮屈な生き方を強いられていたのと同様、ヴィクトリア朝の欧米でも女性にはわずかな自由しか与えられていませんでした。中流以上の出身で、高等教育を受けた女性なら、広い世界を自分の目で見てみたいと考えるようになる人が出てくるのは当たり前。貴族や富豪の娘なら家族そろっての世界周遊旅行や、使用人をたくさん引きつれての大名旅行ができますが、そこまで行かない場合はなんらかの後ろ盾と名目が必要です。
その際にもっとも「使えた」のが「キリスト教の伝道」だったんじゃないでしょうか。教会・病院・学校といった受け皿があるので女性ひとりでも安心して出かけられるし、周囲を説得するにも好都合。進取の気性と好奇心にあふれるインテリ女性たちが、日本にやってきて、進取の気性と向学心にあふれた女性と出会う。多少年が離れていたって「心の友」になるのが当然ですね。
だれか、そうした国境を越えた「心の友」たちの話をまとめて本にしてくれないかな。
【誤植メモ】 p.62 17行目 多くに方⇒多くの方
須藤かく―日系アメリカ人最初の女医
作者:広瀬寿秀
出版社:北方新社
ISBN:4892972401
by timeturner
| 2017-09-20 19:00
| 和書
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