2017年 05月 07日
イギリス文学散歩 |

この手の本は山ほど出ているけど、他の本と一線を画すのは、それぞれの章の作家・作品の時代の地図(その時代に作られた地図ではなく、その時代の地名や通りが描かれている)が載っていること。シェイクスピアの時代の話を読むのに現代のロンドンの地図では役に立たないものね。
欲を言わせてもらえば大判だともっとよかったけどね。巻末には人名・作品名・地名・建物名の索引もついている。
1 チョーサーの世界
2 シェイクスピアのロンドン
3 ジョンソン博士のロンドン
4 ディケンズのロンドン
5 ヴァージニア・ウルフのロンドン
6 湖畔詩人
7 ロマン派詩人とヨーロッパ大陸
8 ブロンテ・カントリー
9 トマス・ハーディのウェセックス
10 イングランドの「黒い地方」
11 イェイツとジョイスのダブリン
やはり知っている作品、興味のある作家、訪れたことのある土地の話は興味深く読めまる。だから、2、3、4、5、8は面白かった。9はイングランド北部工業地帯に関する話で、そういえばギャスケルの『北と南』はまだ読んでなかったっけ。
逆に9のハーディなどは、作品をひとつも読んだことがないし、ウェセックスにも行ったことがないので「ふーん」としか思えなかった。
ロンドンの土地はもともとはほとんどが教会や貴族の地所で、それを開発し小分けしていった結果が今の形だということを、以下の記述を読んで思い出した。
1756年、グラフトン公二世が、家畜を牧場からスミスフィールド市場に運ぶために、パディントンからイズリントンまで、新しい道路を設けた。長くニュー・ロードと呼ばれたが、現在のマリラボン・ロードとユーストン・ロードである。グラフトン公の祖父がチャールズ二世の庶子ヘンリー・フィッツロイであり、グラフトン覆辞めの父がアーリントン卿の娘と結婚した。アーリントン卿は娘にサフォーク州ユーストンの地所と、トッテナム・コートの古い館を譲った。トッテナム・コートの土地は、現在のトッテナム・コート・ロードからハイゲイトにまで及んだ。グラフトン公の孫にあたるサウサンプトン男爵が、トッテナム・コートを相続し、18世紀末にフィッツロイ・スクウェアの周辺を開発した。他方これに近接するベッドフォード家所有の地所はヘンリー八世から下賜されたものだが、四代目のベッドフォード伯が17世紀前半にコヴェント・ガーデンを開発した。その孫にあたる人が四代目サウサンプトン伯の娘と結婚し、ブルームズベリーの館を相続した。これには、東西には現在のトッテナム・コート・ロードとサウサンプトン・ロウ、南北にはハイ・ホーバンの通りとユーストン・ロードのあいだにはさまれた広大な土地が付属していた。ベッドフォード家は、17世紀末から19世紀中葉にかけて、ブルームズベリーを宅地として開発した。ブルームズベリー・スクウェアは1661年にすでに造成されていた。その後、18世紀末になって、ベッドフォード・スクウェア、ラッセル・スクウェア、タヴィストック・スクウェア、ウォーバン・スクウェア、ゴードン・スクウェアが開発された。こうしてベッドフォード家の土地は、1830年代には造成が完了した。訳者あとがきによると原著の全訳ではなく、引用文の一部を省略したり、解説を要約したり、スコットランドとバースを割愛(!)したりしたそう。知らない作品でも引用や解説を読んでいるうちにわかってきたり、興味をもったりすることってあるのに、その引用や解説が省略されていたらインスパイアされないよなあ。それにしてもスコットランドとバースを割愛するなんて許せん。スコットやスティーヴンソンやドイルやオースティンが抜かされたってことよね。
ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』が街歩き小説であることは知っていたけど、ジョイスの『ユリシーズ』もかなりこれに近いものだったのね。ジョイスは難解で理解不能と頭から決めてかかっていたけど、ちょっと読んでみようかなという気になった。
ウルフの「街歩き」というエッセイについても触れていて、読んでみたいのだけれど原題がわからない。「Street Haunting」かな? 「The London Scene」かな?
イギリス文学散歩
原題:Literary Landscapes of The British Isles
作者:デイヴィッド・デイシャス
作図:ジョン・フラワー
訳者:早乙女 忠
出版社:朝日イブニングニュース社
ISBN:なし
by timeturner
| 2017-05-07 19:00
| 和書
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