2017年 01月 15日
しつけのない国、しつけのできない人びと |
ニューヨーク在住40数年の江戸っ子芸者喜春姐さんが、日本からやってくる躾のできていない若者たちと、そういう子供を外国に送りだした躾のできない親たち、さらにはどんどんダメになっていく祖国日本について思うこと、言いたいことを綴るエッセイ集。1998年刊行で喜春さんは2004年に亡くなりました。
中村喜春さんの『江戸っ子芸者一代記』は読んだ記憶があるのですが、記録がみつからない。まあ、とにかく、ものすごい努力家で、語学の天才で、もちろん対人関係にかけては名人という、すごい人です。
そんな人から見れば今どきの若い子なんておよそ頼りなくて、相手にする気にもならないんじゃないかと思うんですが、そうじゃないのね。あきれながらもちゃんと受け入れて、本来は親がするはずなのにできなかった躾をしてあげてる。それも上手に。
読んでいると、こんな年配の方ががんばっているのに、彼女より年下の私がただ腹立たしく傍観するだけで、なんの努力もしないのは恥ずかしいことなんじゃないかという気がしてきます。
でも、日本人としてのしっかりした素養があり、異国であるアメリカでも敬意をはらわれ、自立して生きている喜春さんと、まともなアイデンティティもなく、どこの馬の骨ともしれない婆さんに注意されるのとでは、受け止め方が全く違ってきますよね。そう考えると無力感がつのって暗~い気分になってくる。
全体的にかなりアメリカ寄りで、アメリカは何もかも素晴らしいというあたりが私なんかから見ると「ちょっとなあ」と思いますが、高いインテリジェンスと豊かな人間性をもつ喜春さんだからこそ、そういう善いアメリカ人とめぐりあい、善いアメリカを知ることができたんだろうとも思う。そういう喜春さんがもし存命だったら、トランプ大統領の出現にどういう反応を示したか知りたい気がします。なんだか今のアメリカは喜春さんが「日本のいやなところ」と思っていた要素をどんどん増しているような気がするのです。
とはいえ、ただ感覚的に「アメリカがいい」と言っているわけでなく、税制や行政の住民対応、学校教育など、具体的な例をあげてきちんと説明しているところは、さすがだなあと感心しました。年をとると数字のこととか面倒くさくなって、税制のことなんて真剣に考えようとしなくなるものなのに。
しつけのない国 しつけのできない人びと
作者:中村喜春
出版社:海竜社
ISBN:4759305459
中村喜春さんの『江戸っ子芸者一代記』は読んだ記憶があるのですが、記録がみつからない。まあ、とにかく、ものすごい努力家で、語学の天才で、もちろん対人関係にかけては名人という、すごい人です。
そんな人から見れば今どきの若い子なんておよそ頼りなくて、相手にする気にもならないんじゃないかと思うんですが、そうじゃないのね。あきれながらもちゃんと受け入れて、本来は親がするはずなのにできなかった躾をしてあげてる。それも上手に。
読んでいると、こんな年配の方ががんばっているのに、彼女より年下の私がただ腹立たしく傍観するだけで、なんの努力もしないのは恥ずかしいことなんじゃないかという気がしてきます。
でも、日本人としてのしっかりした素養があり、異国であるアメリカでも敬意をはらわれ、自立して生きている喜春さんと、まともなアイデンティティもなく、どこの馬の骨ともしれない婆さんに注意されるのとでは、受け止め方が全く違ってきますよね。そう考えると無力感がつのって暗~い気分になってくる。
全体的にかなりアメリカ寄りで、アメリカは何もかも素晴らしいというあたりが私なんかから見ると「ちょっとなあ」と思いますが、高いインテリジェンスと豊かな人間性をもつ喜春さんだからこそ、そういう善いアメリカ人とめぐりあい、善いアメリカを知ることができたんだろうとも思う。そういう喜春さんがもし存命だったら、トランプ大統領の出現にどういう反応を示したか知りたい気がします。なんだか今のアメリカは喜春さんが「日本のいやなところ」と思っていた要素をどんどん増しているような気がするのです。
とはいえ、ただ感覚的に「アメリカがいい」と言っているわけでなく、税制や行政の住民対応、学校教育など、具体的な例をあげてきちんと説明しているところは、さすがだなあと感心しました。年をとると数字のこととか面倒くさくなって、税制のことなんて真剣に考えようとしなくなるものなのに。
とにかく、日本人というのは、自分は安全な場所にいて、高みから弱いものをいじめるところがあります。噂好きで、平気で人を中傷したり、侮辱するようなことを言ったりします。自分を省みて「いたたた」と思ったのはこんなところ。
今、日本では子どものいじめや自殺に大騒ぎしています。でもこれは、もともと日本人のなかに巣食っていた噂好きないじめ根性が、この息づまるような時代になって子どもたちに吹き出してきただけじゃないかという気もします。
日本のおばあさんを見ていると、「女」を捨ててしまっている人が少なくありません。(中略)身だしなみも構わなくなってしまう。着るものもどうでもいい、お化粧なんて思いもよらない。ヨレヨレのズボンをはいて汚いセーターを着て、おじいさんだかおばあさんだか分からない、そうなってしまう高齢のおばあさんが多いですね。 だけど、そうなっちゃおしまいじゃないのと思います。銀座生まれ銀座育ちの喜春さんは、日本に帰るたびにどんどん醜くなっていく銀座の姿を憂います。私はさすがに昭和初期の銀座の姿など知りませんが、喜春さんが書いているような粋で美しい風情にはうっとりしますし、そういうものをなんの説明もなしにどんどん潰していく経済重視の政策には腹が立ちます。
だいたい、私から見れば、日本のお年寄りは無責任すぎます。ここまで若い子がわがままで傲慢になったのは、お年寄りの責任もあります。お年寄りが若い子を恐れて、物分りのいいおじいちゃん、おばあちゃんになっちゃった。だから日本の若者は、ここまで落ちてしまったのだと断言できます。
もちろん、古い美しさがなくなったのは銀座だけでなく、東京そのものが変わってしまいました。外国の方を案内して、これが東京だと誇れるところも少なくなりました。じゃあ、どうすればいいのかと考えたけど、どうしようもないという答えしか出てこない。そもそも、この本を読んで自らを振り返り、なんとかしようとするべき人たちはこんな本を読もうとも思わないだろうし、たとえ読んだとしても「なに、くだらないこと言ってるんだろう」としか思わないんじゃないかな。日本の先行き、暗いですね。
国にしても町にしても誇れる気持ちというのは、昔からのよさを伝えることで生まれるものです。歴史を大切にしない国や町に、ほんとうの文化は根づかない。
町の中に川が流れていて、ゆらゆらと舟がそこここに漂い、新内や小唄が聞こえてくる。屋形船からは三味線の音が聞こえてくる。そういう環境を残していくことこそが、文化の振興であり、伝統の継承ではないかと思うのです。
これはようするに、粋というものが分かる日本人がいなくなったからなのですね。催しをするにも、新しい建物をこしらえるにしても、粋と野暮の違いがどなたもこなたも分かっていらっしゃらない。何かことをしようとすると、すべてがすべて野暮になってしまう。東京都のお役人にしても開発する企業にしても、みんながみんな下衆っぽい感覚だから、東京は野暮天の都市になってしまったのです。
もしかしたら世界の中で日本ほど、自国の文化にこだわらない国はないのではないかという気がします。こだわらないというより、大切にしないといったほうがいい。外国のものを取り入れるばかりで、習慣から言葉から日本のものは捨てていく。
「自国の文化を踏まえない国際人というのはありえない」、こういう言葉がありますが、まさにその通りだと思います。自分の国の文化を、自分の身のうちにしっかりと蓄えて、そのうえで海外に出て外国の人とコミュニケーションする。それこそがほんとうの国際人というものではないかと、私はそう思うのです。
やはり中途半端なのがいちばんみっともないと思います。無理にアメリカ人っぽく喋り、そのくせアメリカのことをちゃんと理解していなくて、そのうえ自分の国のこともなんにも知らない。そういう日本人はアメリカにいっぱいいますが、はっきりいって同国人として恥ずかしいくらいです。
みんながみんなあんなにブランドものを身にまとっているのは、おそらく世界中で日本人の女性だけです。これはどうしてかというと、自分に自信がないから、ブランドものに頼ろうとしているように思えてなりません。あるいは銘柄ものを見につけて、安心したいのではないかという気もします。(中略)自分の自信をお金で買い集めようとしているかのようです。
しつけのない国 しつけのできない人びと
作者:中村喜春
出版社:海竜社
ISBN:4759305459
by timeturner
| 2017-01-15 19:00
| 和書
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