2017年 01月 11日
森と庭園の英国史 |
カントリーサイドに住み、庭いじりにいそしむ。田舎に住まないまでもカントリー・ウォーキングやガーデニングを楽しみ、丹精した庭を開放したり私有地に遊歩道を設けるなど、自然と遊ぶ術に長けたイギリス人――『ピーター・ラビットのおはなし』刊行から百年を経た今、英国庭園の成り立ち、プラントハンターの活躍、カントリーサイドの景観に欠かせない森や兎、ジェントルマンと狩りの関係などを通して、イギリスの田舎はなぜ“絵”になるのかを探る。(カバー袖の紹介文より)
たいして珍しいことは書いてないだろうなんて高をくくっていたのですが、これまで読んだ英国の庭の本とは切り口が違っていて、初めて聞く話も多く、面白かったです。
著者の専門はイギリス中世史ですが、刊行している本からしてこれまでずっとイギリスの森と兎に焦点をあてて研究してきたようで、森はともかく兎の話をこんなに詳しく書いてある本を読んだのは初めてかも。野兎(hare)と穴兎(rabbit)の違いもようやくわかりました。
プラントハンターの話はほんとに面白い。世界中に出かけていって珍しい植物をみつけては持ち帰るそのエネルギーと野心は、帝国主義国家イギリスが世界の海に乗り出していって植民地を獲得した歴史や、大英博物館のあの厖大なコレクションや、先日読んだ『森のきのこ採り』の作者のもとにキュー植物園からオファーがきたエピソードにもつながる根を持っています。
このあたりのことは他人事とは思えません。いま、東京オリンピックのためと称して、上野公園のこども遊園地と樹木や千代田区の街路樹、馬事公苑など、都内のあちこちで住民の反対にも関わらず、古くて立派な樹が切り倒されています。長い長い年月に耐え、立派に育ち、人々に木陰を提供してきた樹木を抹殺し、代わりに広い道路やガラス張りの建物を建てることで日本の良さをアピールできるなんて、本気で行政は考えているのでしょうか。
話がそれてしまいましたが、イギリスの森を壊滅状態にした元凶のひとつは軍艦建造なわけですが、軍艦に最も向いている木材はオークなんだそうです。しかも、伐採してから約三年の年月をかけて充分に乾燥させたオークでないと、菌類の繁殖で船があっという間にダメになってしまうらしい。
ここであれっと思い出すのがピープスさん。彼は海軍省の役人だったので、あの日記にも艦船建造用の材料調達に頭を悩ますところがありましたっけ。と思っていたら、やはりこの本でもピープスさんについて言及されていました。
イギリス海軍は艦船建造用の木材が不足していることに危機感を募らせ、知識人に依頼して森と木材の増産を奨励する講演を行わせたりしていたらしい。そして、その講演を精力的にしていたジョン・イーブリンはピープスさんの親友だったんだそうです。でもって、このイーブリンもピープスさん同様、日記作家として知られているらしい。読んでみなくては。
この本のいいところは、専門的な用語が出てくると、たいていルビとして元の英語のかな表記がついていること。ああ、あの単語はこう訳すのかとわかります。もちろん、著者が使っている用語が唯一絶対ではありませんが、専門書ではなく新書の形をとっているだけあって、一般読者が見て納得のいく言葉になっているので、訳語を探すときの参考になります。
【誤植メモ】 p.142 9行目 兎の足せいか⇒兎の足のせいか
森と庭園の英国史 (文春新書)
作者:遠山茂樹
出版社:文藝春秋
ISBN:4166602667
たいして珍しいことは書いてないだろうなんて高をくくっていたのですが、これまで読んだ英国の庭の本とは切り口が違っていて、初めて聞く話も多く、面白かったです。
著者の専門はイギリス中世史ですが、刊行している本からしてこれまでずっとイギリスの森と兎に焦点をあてて研究してきたようで、森はともかく兎の話をこんなに詳しく書いてある本を読んだのは初めてかも。野兎(hare)と穴兎(rabbit)の違いもようやくわかりました。
プラントハンターの話はほんとに面白い。世界中に出かけていって珍しい植物をみつけては持ち帰るそのエネルギーと野心は、帝国主義国家イギリスが世界の海に乗り出していって植民地を獲得した歴史や、大英博物館のあの厖大なコレクションや、先日読んだ『森のきのこ採り』の作者のもとにキュー植物園からオファーがきたエピソードにもつながる根を持っています。
ある推計によれば、1500年にイギリスで栽培されていた草木はおよそ二百種ほどだったが、1839年には一万八千種にのぼっている。十九世紀後半までに植物の種類が大幅に増えた背後には、プラントハンターの活躍があった。女性が家庭に閉じ込められ、学問や知的活動に携わることが白い目で見られていたヴィクトリア朝に、(裕福な場合に限るものの)女性に許されていた趣味や活動に博物学や旅行があります。これに対する著者の寸評が面白い。
歴史や科学のように、事実にもとづき「正当な理論付け」が求められるものは、女性の出る幕ではなかった。同じ事実にもとづくものではあっても、理論付けが不要な〈自伝〉や〈旅行記〉などは女性でも許された。もうひとつ、女性が口出ししてはならない領域があった。〈性(セックス)〉に関する話題である。今の英語ではどちらも「森」を表すforestとwoodの意味的な変遷も興味深い。中世のイギリスではforestは国王が鹿狩りのために設定した広大な禁猟区域(御料林)を意味し、自然景観としての「森」はwoodlandと呼ばれていたのだそうです。今のイギリス人がそんなことを意識して使い分けているとは思いませんが、歴史小説を訳すときには知っておいたほうがいいことかも。parkもforest同様、ノルマン征服を機にイングランドに入ってきた言葉で、当時はとくに矢来で囲まれた鹿の猟園を意味したそうです。「公園」の意味をもつようになるのは、産業革命を経て都市化が進展する十九世紀になってから。
その点、植物は、性とは無関係で、調べたところで知的になりすぎるという危険もなかった。少なくとも当時は、そう考えられていた。植物採集をしたり、草花のスケッチをすることは、フランス語や刺繍を習うのと同様、健全な淑女のたしなみだった。
ちなみに、現在、イングランドには、ピーク・ディストリクト、湖水地方など八つのナショナル・パークがあり、イングランド全土の10パーセントを占めている。ウェールズには三つのナショナル・パークがあり、スコットランドでも二カ所が指定されようとしている。この本の中で(私にとって)いちばん衝撃的だったのはこの部分でした。
日本の「国立公園」とちがい、ナショナル・パークの土地は大部分が国有ではなく、個人の地主やナショナル・トラストなどの組織が所有している。そこでは、人々がごくふつうの日常生活を営んでおり、学校や工場もある。ナショナル・パークに指定されると、パーク全体の景観美を保つために、建物や道路も厳しい規制を受ける。誤解をおそれずにいえば、今日のイギリスのナショナル・パークには、中世の御料林区域に似通ったところがある。
〝イギリスは森の国"という思い込みは、たとえばアーデンの森が登場するシェイクスピアの作品『お気に召すまま』にみられるように、文学作品からきたイメージが大きい。それに加えて、本章の冒頭で述べたように、本来、法制度史的な意味をもっていた〈フォレスト〉と自然景観としての森を意味する〈ウッドランド〉が混同され、実際以上に森の国のイメージが増幅されてきたという経緯がある。現存する森も、そのほとんどが二次林、三次林で、原生林はわずかしか残っていないのである。なにしろブリテン島のおよそ半分は紀元前500年までに開墾されていたのだそうです。その後も開墾はさらに進み、黒死病蔓延後の1350年には国土に森林が占める割合は10パーセントに。海洋王国に必要な船を作るためにも森は伐採され、第一世界大戦では塹壕その他の需要を満たすために大量の樹木が伐採され、その結果、1919年にはイギリスの森林被覆率は5パーセントにまで落ち込んでいたそうです。危機感を募らせた国民と政府により植林や森林保護が勧められ、現在では9パーセントにまで戻り、2025年までにはこれを15パーセントまで上げる計画らしい。
このあたりのことは他人事とは思えません。いま、東京オリンピックのためと称して、上野公園のこども遊園地と樹木や千代田区の街路樹、馬事公苑など、都内のあちこちで住民の反対にも関わらず、古くて立派な樹が切り倒されています。長い長い年月に耐え、立派に育ち、人々に木陰を提供してきた樹木を抹殺し、代わりに広い道路やガラス張りの建物を建てることで日本の良さをアピールできるなんて、本気で行政は考えているのでしょうか。
話がそれてしまいましたが、イギリスの森を壊滅状態にした元凶のひとつは軍艦建造なわけですが、軍艦に最も向いている木材はオークなんだそうです。しかも、伐採してから約三年の年月をかけて充分に乾燥させたオークでないと、菌類の繁殖で船があっという間にダメになってしまうらしい。
ここであれっと思い出すのがピープスさん。彼は海軍省の役人だったので、あの日記にも艦船建造用の材料調達に頭を悩ますところがありましたっけ。と思っていたら、やはりこの本でもピープスさんについて言及されていました。
イギリス海軍は艦船建造用の木材が不足していることに危機感を募らせ、知識人に依頼して森と木材の増産を奨励する講演を行わせたりしていたらしい。そして、その講演を精力的にしていたジョン・イーブリンはピープスさんの親友だったんだそうです。でもって、このイーブリンもピープスさん同様、日記作家として知られているらしい。読んでみなくては。
この本のいいところは、専門的な用語が出てくると、たいていルビとして元の英語のかな表記がついていること。ああ、あの単語はこう訳すのかとわかります。もちろん、著者が使っている用語が唯一絶対ではありませんが、専門書ではなく新書の形をとっているだけあって、一般読者が見て納得のいく言葉になっているので、訳語を探すときの参考になります。
【誤植メモ】 p.142 9行目 兎の足せいか⇒兎の足のせいか
森と庭園の英国史 (文春新書)
作者:遠山茂樹
出版社:文藝春秋
ISBN:4166602667
by timeturner
| 2017-01-11 19:00
| 和書
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