2016年 08月 28日
ナボコフの文学講義(上) |

「ナイトの動き」とか「独特のえくぼ」とか「警句的抑揚」といったものをオースティン本人がこれほど自覚的に書いていたのどうかはわからないけれど、とにかくナボコフはそうなんだろうね。いやはや、すごい。私なんかが言えることは何もないので、「わ!」と思ったところをひたすら引用します。
二流の読者というものは、自分と同じ考えが心地よい衣裳をまとって変装しているのを見て、快く思うものだからである。しかし、本当の作家、惑星をきりきり舞いさせ、眠っている人間を造型しては、その眠っている男の肋骨を熱心にいじくりまわすような人、そういう種類の作家には、自分の自由になるような既成の価値はなに一つないのだ。翻訳はわかりやすかったのですが、オースティンの本の引用は訳者がオリジナルに訳したようで、言葉の使い方がかなり古めかしく、違和感を感じるところもありました。英国国教会に関する言葉で、寺禄、僧職、住職という訳語が使われているのは仏教くさくてちょっと変だよなあ。
良き読者とは想像力と記憶力と辞書と、それからなんらかの芸術的センスをもった人のことである。
読者の場合、想像力といっても少なくとも二種類ある。では本を読む際、この二つの想像力のうち、どちらを使ったら正しいのか見てみよう。まず比較的に低次の種類の想像力がある。これは単純な情緒に援けを借りるもので、決定的に個人的性格のものだ(情緒的な読み方というこの第一の想像力の区分のなかにも、さまざまな変種がある)。つまり、われわれ自身の身の上、ないしはわれわれが知っている、あるいは知っていた人の身に起こったことを、思い出させてくれるからというので、小説のある場面にいたく感激するといったていのことだ。さらに、読者が自分の過去の一部として、郷愁をこめて思い出す国なり、風景なり、生活様式なりを喚び起こしてくれるというので、ある小説を大切に思うというのも、そうである。あるいは、これが読者がなしうる最悪のことだが、作品中のある人物と一体になったような気持になること。このような低い想像力は、わたしが読者に使ってもらいたくないものである。
多くの読者、特に女性読者は、明敏で繊細なファニーがエドマンドのような鈍物を愛するなんてことは赦しがたいと思うだろう。が、わたしはここでもこう繰り返していっておくにとどめる、小説の読み方で最悪なものは、小説人物を実在の人物でもあるかのように心得て、彼らと付き合う、そういう子供じみた幼稚な読み方であると。
オースティンは人の態度や身振りを描写するとき、(たとえば「微笑んでいる」「見つめている」といった)分詞や、「茶目っぽい微笑を浮べて」というような語句を適切に使っているが、それも、括弧的に挿入するだけで、まるで芝居のト書きのように、「彼は言った」「彼女は言った」を省いている。この手法を彼女は、サミュエル・ジョンソンから学びとったのだが、『マンスフィールド荘園』では、この小説全体が芝居に似ているので、たいへん適切な工夫たりえている。
特に、ファニーの心の反応を扱う際に、オースティンは、わたしがチェスの用語から借りて「ナイトの動き」と呼ぶ工夫を使っている。それはファニーの将棋盤のように錯綜する感情の世界で、心が急激に右から左へ動くさまを活写する方法を意味する。
オースティンの文体の要素のなかで顕著なのは、わたしが「独特のえくぼ」と呼びたいと思うもので、それは平明な説明文の構成部分のあいだに、そっと微妙な皮肉【アイロニー】の文章を挿入することによって得られる。
もう一つの要素は、わたしが「警句的抑揚」と呼ぶものだ。それはやや逆説的な考えを機知をこめて表現する、簡潔できびきびした一種のリズムのことである。この声の調子はぴりっとしていて、やさしく、乾いていて、なおかつ音楽的であり、力強く完結でいながら、澄明で軽やかだ。
まるで真綿でそっとくるんだ貝殻のコレクションのような彼女の小説
『荒涼館』と『ボヴァリー夫人』は、いつか、もう少し時間にゆとりがあるときに原典を読んで再挑戦するつもりです。あ、でも、『荒涼館』の章の最初のほうですごく納得のいくパラグラフがあったのでそこだけ引用。
『荒涼館』を読みながら、われわれがやるべきことは、ただ気を楽にして、あとは背筋に任せておくことだ。本を読むとき精神を使うのはいうまでもないが、芸術の喜びが生まれる場面は、肩甲骨のあいだにある。背筋のあのささやかな戦慄こそ、人類が純粋芸術や純粋な科学を進化させながら手にしえた最高の感動の形であることに、間違いはない。背筋とその疼きを崇拝しようではないか。われわれが脊椎動物であることを誇りにしようではないか。
ナボコフの文学講義 上 (河出文庫)
原題:Lectures on Literature
作者:ウラジーミル・ナボコフ
訳者:野島秀勝
出版社:河出書房新社
ISBN:4309463819
by timeturner
| 2016-08-28 20:00
| 和書
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