2016年 07月 15日
バイリンガル |
ふつうは二か国語を母国語同様に話せる人をバイリンガルと呼びますが、考え方を変えると日本語しか喋れない人でもある種のバイリンガルなんじゃないかなあ、とふと思いました。
友達と会話しているときと、仕事先の人や目上の人と話すときとでは違う話し方をしますよね。日本語の場合、単語が違うだけでなく敬語や丁寧語というものもある。私たちはこれを自然に使い分けています。会社の会議で部長に何か訊かれて「超やばいっす」なんて答える人はいないでしょう。で、そういう使い分けは学校の授業で教わるわけではなく、自然に身についてましたよね。家庭や学校で見聞きするうちに覚えたり、本を読んでいるうちに覚えたり。
ふだんの言葉とよそゆきの言葉、どちらもきちんと使い分けられる人ほど社会生活をスムーズにおくっているんじゃないかなと思います。
ところが、外出先で見聞きしたり、わが家のそばにある高校でのようすを見るにつけ、今では子供のそばできちんとした話し方をする大人がいなくなっているような気がします。親や先生が子どもと同じ喋り方をしている。これじゃあ社会に出てから戸惑うよね。
正しい話し方の本があれだけ出版されているのも納得できます。でも、二十歳すぎてから本を読んで覚えようとしても難しいですよね。付け焼刃だからすぐにボロが出る。かわいそうだなあと思います。
だから本だけは子どもに迎合せず、きちんとした言葉で書かれている必要があるのではないかと思うのです。ラノベやコミックのように娯楽のために読み捨てるものなら、子どもにとって身近な言葉で書かれているほうがいいのかもしれないけれど、子どもの成長を助ける意図がこめられた本なら、書き方にも注意を払うべきではないか、と。
難しい漢字や熟語の読みや意味、使い方、自分のまわりにはいないような人たち(上流階級の人、インテリの学者、江戸っ子)がどんなふうに喋るのか、それに正しい敬語の使い方も、本を読んでいるうちに覚えられます。逆に言えば、書く側は間違った日本語を書かないようにしなくてはならない。翻訳の場合も同様ですよね。時々、小説を読んでいて「あれ? こんな言い方あったっけ?」と思う日本語に出会うことがあります。最近では「そば耳をたてる」という表現を目にしました。読み慣れている人なら「ああ、訳者の筆(タイプ)がすべって〈聞き耳をたてる〉と〈耳をそばだてる〉が合体してしまったんだな」と思うでしょうが、あまり本を読んでいない人だと、そういう言い回しがあるんだと思いこんでしまう。怖いです。
先日、原田勝さんの翻訳勉強会に出たときに、「超」や「やばい」は児童文学の訳語として許容されるかどうかという話が出ました。
「やばい」はもうずっと昔から使われている言葉だからOKだけど、「超」は最近のはやり言葉だからぼくは使わないかなあ、と先生がおっしゃって私は納得したんですが、若い方々はそうなのかなあという顔でした。「超」が最近の言葉だという認識がないという。
それで、家に帰ってから「超(チョー)」について調べてみたら「1980年代前半に主に男子小学生の間で、続いて1980年代後半から少女を中心にスラングとして単純な強意を表す用法が流行した」とWikipediaに書いてありました。「やばい」のほうは江戸時代から使われてはいたものの「格好悪い」という意味の若者言葉として使われだしたのは1980年代、「凄い」という意味で否定・肯定両方に使われるようになったのは1990年代だそう。なんだ、どっちも同じくらい長く使われてるんじゃないか。1980年に小学生だった人は今ではもう40代ですよね。1980年代後半だとしても30代。
でも、だったら書き言葉としてもふつうに使っていいかというと、ちょっと違うような気がする。あくまでも若者言葉としての定着であって、使ってる若者本人も公の場で使っていい言葉だとは認識していないですよね。「ら抜き」とは違う。
課題で問題になったのは小学生の一人称部分で、会話とほとんど変わらない文章だから現代小説だったら使ってもかまわない場面だと思う。でも、この小学生は1959年のアメリカの白人中流家庭の小学生なんです。まじめで頭もいいけど吃音症のために引っ込み思案という設定です。その子が日本の1980年代以降の若者言葉である「超」や「やばい」を使うかどうか……悩ましいです。
それとは別に、今月末にある単発の翻訳講座の課題でも四苦八苦しています。YA小説で現代アメリカの高校生の一人称語り。学校生活をメインに描いていて、若者スラング的な言葉も使っているので、ここはやっぱり若者言葉だろうねとは思うものの、いまの若者に笑われないような若者言葉がわからない。ネットで調べてはみたけれど、初めて見るようなものも多くて、正しい使い方ができるとは思えないし、よしんば使えたとしても、一年後には死語になっている可能性が高いから怖くて使えない。かといって今の若者だったら絶対使わないような言葉(ジーパンとか)を使って呆れられたくない。これまた悩ましいです。
なーんて現実逃避していないで、また課題に戻ります(^^;)。
友達と会話しているときと、仕事先の人や目上の人と話すときとでは違う話し方をしますよね。日本語の場合、単語が違うだけでなく敬語や丁寧語というものもある。私たちはこれを自然に使い分けています。会社の会議で部長に何か訊かれて「超やばいっす」なんて答える人はいないでしょう。で、そういう使い分けは学校の授業で教わるわけではなく、自然に身についてましたよね。家庭や学校で見聞きするうちに覚えたり、本を読んでいるうちに覚えたり。
ふだんの言葉とよそゆきの言葉、どちらもきちんと使い分けられる人ほど社会生活をスムーズにおくっているんじゃないかなと思います。
ところが、外出先で見聞きしたり、わが家のそばにある高校でのようすを見るにつけ、今では子供のそばできちんとした話し方をする大人がいなくなっているような気がします。親や先生が子どもと同じ喋り方をしている。これじゃあ社会に出てから戸惑うよね。
正しい話し方の本があれだけ出版されているのも納得できます。でも、二十歳すぎてから本を読んで覚えようとしても難しいですよね。付け焼刃だからすぐにボロが出る。かわいそうだなあと思います。
だから本だけは子どもに迎合せず、きちんとした言葉で書かれている必要があるのではないかと思うのです。ラノベやコミックのように娯楽のために読み捨てるものなら、子どもにとって身近な言葉で書かれているほうがいいのかもしれないけれど、子どもの成長を助ける意図がこめられた本なら、書き方にも注意を払うべきではないか、と。
難しい漢字や熟語の読みや意味、使い方、自分のまわりにはいないような人たち(上流階級の人、インテリの学者、江戸っ子)がどんなふうに喋るのか、それに正しい敬語の使い方も、本を読んでいるうちに覚えられます。逆に言えば、書く側は間違った日本語を書かないようにしなくてはならない。翻訳の場合も同様ですよね。時々、小説を読んでいて「あれ? こんな言い方あったっけ?」と思う日本語に出会うことがあります。最近では「そば耳をたてる」という表現を目にしました。読み慣れている人なら「ああ、訳者の筆(タイプ)がすべって〈聞き耳をたてる〉と〈耳をそばだてる〉が合体してしまったんだな」と思うでしょうが、あまり本を読んでいない人だと、そういう言い回しがあるんだと思いこんでしまう。怖いです。
先日、原田勝さんの翻訳勉強会に出たときに、「超」や「やばい」は児童文学の訳語として許容されるかどうかという話が出ました。
「やばい」はもうずっと昔から使われている言葉だからOKだけど、「超」は最近のはやり言葉だからぼくは使わないかなあ、と先生がおっしゃって私は納得したんですが、若い方々はそうなのかなあという顔でした。「超」が最近の言葉だという認識がないという。
それで、家に帰ってから「超(チョー)」について調べてみたら「1980年代前半に主に男子小学生の間で、続いて1980年代後半から少女を中心にスラングとして単純な強意を表す用法が流行した」とWikipediaに書いてありました。「やばい」のほうは江戸時代から使われてはいたものの「格好悪い」という意味の若者言葉として使われだしたのは1980年代、「凄い」という意味で否定・肯定両方に使われるようになったのは1990年代だそう。なんだ、どっちも同じくらい長く使われてるんじゃないか。1980年に小学生だった人は今ではもう40代ですよね。1980年代後半だとしても30代。
でも、だったら書き言葉としてもふつうに使っていいかというと、ちょっと違うような気がする。あくまでも若者言葉としての定着であって、使ってる若者本人も公の場で使っていい言葉だとは認識していないですよね。「ら抜き」とは違う。
課題で問題になったのは小学生の一人称部分で、会話とほとんど変わらない文章だから現代小説だったら使ってもかまわない場面だと思う。でも、この小学生は1959年のアメリカの白人中流家庭の小学生なんです。まじめで頭もいいけど吃音症のために引っ込み思案という設定です。その子が日本の1980年代以降の若者言葉である「超」や「やばい」を使うかどうか……悩ましいです。
それとは別に、今月末にある単発の翻訳講座の課題でも四苦八苦しています。YA小説で現代アメリカの高校生の一人称語り。学校生活をメインに描いていて、若者スラング的な言葉も使っているので、ここはやっぱり若者言葉だろうねとは思うものの、いまの若者に笑われないような若者言葉がわからない。ネットで調べてはみたけれど、初めて見るようなものも多くて、正しい使い方ができるとは思えないし、よしんば使えたとしても、一年後には死語になっている可能性が高いから怖くて使えない。かといって今の若者だったら絶対使わないような言葉(ジーパンとか)を使って呆れられたくない。これまた悩ましいです。
なーんて現実逃避していないで、また課題に戻ります(^^;)。
by timeturner
| 2016-07-15 15:51
| 学習
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