2016年 04月 10日
鉞子(えつこ) 世界を魅了した「武士の娘」の生涯 |
『A Daughter of The Samurai(武士の娘)』(以下「元本}と表記)を読んで杉本鉞子にすごく興味を惹かれてネットであれこれ調べているうちにこの本を知りました。著者はTVプロデューサーですが、海外に出て人生が変わり日本を変えた幕末明治の群像を描くミニシリーズを企画制作した際に杉山鉞子の存在を知り、自身も長岡の出身だったことから取材を始めたのだそう。杉本鉞子は日本では無名に近いため資料がほとんど残されていない中、日本とアメリカの両方で徹底的に取材してまとめたことがよくわかる力作です。
「元本」には書かれていなかった、東京の女学校を卒業してから結婚のために渡米するまでの「空白の五年間」にはとにかく驚きました。全額給費生として女学校に受け入れてもらったので、卒業後5年間は奉仕勤務をする義務があり、浅草の小学校で低学年の生徒を教えていたのだそうです。
考えてみれば元家老とはいえ没落した武士で、しかもいわゆる「武士の商法」で次から次へと事業に失敗した稲垣家ですから、娘を贅沢な女学校に行かせるお金などなかったはずです。そうした経済的な事情についてはほとんど書かれていなかったので、てっきり裕福な親戚に援助してもらったのだろうと気楽に考えていました。いやはや、鉞子さん、日本にいるうちから強い女性だったんですね。
また、どうも出来が悪かったらしい兄について「元本」では必要最低限のことしか触れられていなかったのですが、こちらでは赤裸々に失敗続きの破天荒な人生が語られています。
いちばんうれしかったのは、フローレンス・ウィルソンについてきっちり書かれていたこと。
「元本」でMotherと書かれていたのは、フローレンスの母親のこともあれば、フローレンスが投影されていたこともあったという説明に納得しました。そもそも「元本」の原稿自体、ほとんど共著といえるほどフローレンスが協力してできたものなんだそうです。英語のネイティヴチェックという以上に、日本、それも長岡に二年滞在したこともあるフローレンスが読んでアメリカ人にわかりやすいよう、アメリカ人の心に訴えかけるようにとのアドバイスがあったから、ベストセラーになるほどの作品に仕上がったわけです。それなのにフローレンスは自分の名前を出すことを頑なに辞退したのだとか。
それにしてもフローレンスと鉞子の友情の深さには驚かされます。今のようにインターネットや携帯もなく、飛行機で半日もあれば日本からアメリカに行ける時代ではなかったからこそ、人と人の結びつきは濃く深くなりえたのでしょうか。運命的な出会いでもあったのでしょうね。
「元本」はいったん日本に帰国した鉞子がふたりの娘を連れて再びアメリカに渡ったところで終わっていますが、この本ではその後のニューヨーク生活や、フローレンスも伴っての最終帰国、娘ふたりの結婚、第二次世界大戦、戦後の生活から鉞子の死までが書かれています。
戦争中、鉞子は東京・青山の借家を離れ、長女・花野が結婚して住んでいた神戸の小寺敬一邸に身を寄せていたのですが、この小寺敬一というのは神戸の資産家の御曹司で、コロンビア大学に留学していたときに花野に出会い、帰国後も実業界には出ずに大学教授の暮らしを選んだそうです。で、この人の神戸の家というのは、あのヴォーリズが手がけているんですよね。残念ながらこの家は解体されてしまったそうですが、解体前に撮った写真を載せている個人ブログがありました。ブログの方も書いていらっしゃいますが、本当にどうしてこんな素晴らしい建物を壊してしまったのでしょう。
さらに、戦争が深まり、関西への爆撃もひどくなったころ、花野夫妻と鉞子、千代野は小寺家の山荘に移るのですが、その山荘もヴォーリズ設計。まあ、なんてすてきな住環境。といっても戦争中ですから燈火管制で真っ暗では夜景を楽しむどころではなかったでしょうが。こちらは「六甲山荘」として保存され、Wikipediaにも掲載されています。こちらに写真がたくさん掲載されています。
財産といったら身につけた教育だけだった花野ですが、こうして幸せな結婚をしました。妹の千代野も負けていません。こちらは福沢諭吉の孫と結婚しました。こちらは慶應の英語教師です。物質主義、拝金主義をよしとしなかった武士の娘・鉞子に育てられたふたりらしい夫選びと言えますね。千代野は戦後、病弱な夫を助けて収入を得るため自ら売り込みに行って進駐軍の通訳の仕事を得たといいますから、そんなところにも母親の血が流れているなあと思いました。
ところで、この本の「まえがき」を読んでいたら、司馬遼太郎が『武士の娘』の翻訳の素晴らしさに感動し、翻訳者の大岩美代にあてた手紙の中で「ああいう文体の日本語はもはやほろびようとしていますが、あの美しさを、あれほどみごとにお書きとめ下さったことは、われわれの日本語のために、大岩さんにどれだけ感謝していいかわからぬ気持ちです」と書いているのを知り、これは翻訳版も読まなくちゃなあという気になっています。
今年の3月にPHPから新訳版が出て、そちらには元々の翻訳版では割愛された部分も載っているそうなのですが、実際に鉞子と会ったこともある大岩さんの日本語のほうが杉本鉞子の日本語をよくわかっていると思うので、やっぱりちくま版かな。
鉞子(えつこ) 世界を魅了した「武士の娘」の生涯
作者:内田義雄
出版社:講談社
ISBN:4062183188
「元本」には書かれていなかった、東京の女学校を卒業してから結婚のために渡米するまでの「空白の五年間」にはとにかく驚きました。全額給費生として女学校に受け入れてもらったので、卒業後5年間は奉仕勤務をする義務があり、浅草の小学校で低学年の生徒を教えていたのだそうです。
考えてみれば元家老とはいえ没落した武士で、しかもいわゆる「武士の商法」で次から次へと事業に失敗した稲垣家ですから、娘を贅沢な女学校に行かせるお金などなかったはずです。そうした経済的な事情についてはほとんど書かれていなかったので、てっきり裕福な親戚に援助してもらったのだろうと気楽に考えていました。いやはや、鉞子さん、日本にいるうちから強い女性だったんですね。
また、どうも出来が悪かったらしい兄について「元本」では必要最低限のことしか触れられていなかったのですが、こちらでは赤裸々に失敗続きの破天荒な人生が語られています。
いちばんうれしかったのは、フローレンス・ウィルソンについてきっちり書かれていたこと。
「元本」でMotherと書かれていたのは、フローレンスの母親のこともあれば、フローレンスが投影されていたこともあったという説明に納得しました。そもそも「元本」の原稿自体、ほとんど共著といえるほどフローレンスが協力してできたものなんだそうです。英語のネイティヴチェックという以上に、日本、それも長岡に二年滞在したこともあるフローレンスが読んでアメリカ人にわかりやすいよう、アメリカ人の心に訴えかけるようにとのアドバイスがあったから、ベストセラーになるほどの作品に仕上がったわけです。それなのにフローレンスは自分の名前を出すことを頑なに辞退したのだとか。
それにしてもフローレンスと鉞子の友情の深さには驚かされます。今のようにインターネットや携帯もなく、飛行機で半日もあれば日本からアメリカに行ける時代ではなかったからこそ、人と人の結びつきは濃く深くなりえたのでしょうか。運命的な出会いでもあったのでしょうね。
「元本」はいったん日本に帰国した鉞子がふたりの娘を連れて再びアメリカに渡ったところで終わっていますが、この本ではその後のニューヨーク生活や、フローレンスも伴っての最終帰国、娘ふたりの結婚、第二次世界大戦、戦後の生活から鉞子の死までが書かれています。
戦争中、鉞子は東京・青山の借家を離れ、長女・花野が結婚して住んでいた神戸の小寺敬一邸に身を寄せていたのですが、この小寺敬一というのは神戸の資産家の御曹司で、コロンビア大学に留学していたときに花野に出会い、帰国後も実業界には出ずに大学教授の暮らしを選んだそうです。で、この人の神戸の家というのは、あのヴォーリズが手がけているんですよね。残念ながらこの家は解体されてしまったそうですが、解体前に撮った写真を載せている個人ブログがありました。ブログの方も書いていらっしゃいますが、本当にどうしてこんな素晴らしい建物を壊してしまったのでしょう。
さらに、戦争が深まり、関西への爆撃もひどくなったころ、花野夫妻と鉞子、千代野は小寺家の山荘に移るのですが、その山荘もヴォーリズ設計。まあ、なんてすてきな住環境。といっても戦争中ですから燈火管制で真っ暗では夜景を楽しむどころではなかったでしょうが。こちらは「六甲山荘」として保存され、Wikipediaにも掲載されています。こちらに写真がたくさん掲載されています。
財産といったら身につけた教育だけだった花野ですが、こうして幸せな結婚をしました。妹の千代野も負けていません。こちらは福沢諭吉の孫と結婚しました。こちらは慶應の英語教師です。物質主義、拝金主義をよしとしなかった武士の娘・鉞子に育てられたふたりらしい夫選びと言えますね。千代野は戦後、病弱な夫を助けて収入を得るため自ら売り込みに行って進駐軍の通訳の仕事を得たといいますから、そんなところにも母親の血が流れているなあと思いました。
ところで、この本の「まえがき」を読んでいたら、司馬遼太郎が『武士の娘』の翻訳の素晴らしさに感動し、翻訳者の大岩美代にあてた手紙の中で「ああいう文体の日本語はもはやほろびようとしていますが、あの美しさを、あれほどみごとにお書きとめ下さったことは、われわれの日本語のために、大岩さんにどれだけ感謝していいかわからぬ気持ちです」と書いているのを知り、これは翻訳版も読まなくちゃなあという気になっています。
今年の3月にPHPから新訳版が出て、そちらには元々の翻訳版では割愛された部分も載っているそうなのですが、実際に鉞子と会ったこともある大岩さんの日本語のほうが杉本鉞子の日本語をよくわかっていると思うので、やっぱりちくま版かな。
鉞子(えつこ) 世界を魅了した「武士の娘」の生涯
作者:内田義雄
出版社:講談社
ISBN:4062183188
by timeturner
| 2016-04-10 19:32
| 和書
|
Comments(2)
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by
ppjunction at 2016-04-10 22:55
えっ!芥子だったんですか〜!!
茄子だとばっかり!茄子を切って黒い種があると、あ〜と思い出したりしてましたが、記憶って、恐ろしいですね。
”群像を描くミニシリーズ” で一月程前にBSで放映されましたよ。
タイプライターを前にした鉞子とフローレンスと、二人の関係に焦点を置いた番組に仕上がっていて大変興味深かったです。タイトルの「武士の娘」もフローレンスの提案で決まったみたいですね。しかし残念ながら鉞子さんの晩年が出て来ず、気になっていましたので「鉞子」読むの楽しみです。筑摩本は翻訳本と気付かず、気にもせず読みましたが、とても読み易すかったのは翻訳が良かったから、なんですね。ナルホドね…。
茄子だとばっかり!茄子を切って黒い種があると、あ〜と思い出したりしてましたが、記憶って、恐ろしいですね。
”群像を描くミニシリーズ” で一月程前にBSで放映されましたよ。
タイプライターを前にした鉞子とフローレンスと、二人の関係に焦点を置いた番組に仕上がっていて大変興味深かったです。タイトルの「武士の娘」もフローレンスの提案で決まったみたいですね。しかし残念ながら鉞子さんの晩年が出て来ず、気になっていましたので「鉞子」読むの楽しみです。筑摩本は翻訳本と気付かず、気にもせず読みましたが、とても読み易すかったのは翻訳が良かったから、なんですね。ナルホドね…。
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timeturner at 2016-04-11 20:26
へえ、面白そう。その番組も内田義雄さんが企画されたものなんですかしらね。『武士の娘』もNHKでドラマ化されたことがあるようですね。日本人の心に訴える内容だしなあ。
『武士の娘』を訳された大岩美代さんは、鉞子さんの3冊目か4冊目の本も翻訳され、そのときは日本に住んでらした鉞子さんに直接会って打ち合わせをされたそうですので、ご本人の話しぶりなども反映されているかもしれませんね。(ただし『武士の娘』を最初に訳したときはまだ会っていません)
『武士の娘』を訳された大岩美代さんは、鉞子さんの3冊目か4冊目の本も翻訳され、そのときは日本に住んでらした鉞子さんに直接会って打ち合わせをされたそうですので、ご本人の話しぶりなども反映されているかもしれませんね。(ただし『武士の娘』を最初に訳したときはまだ会っていません)