2016年 01月 07日
死ぬ気まんまん |
ガンが転移し余命2年を宣告されるやジャガーを購入し、もくもくと煙草を吸い続け、ジュリーにときめく。そんな日常生活や、一風変わった友人たち、幼い頃の思い出などを著者ならではのユニークな視点で語るエッセイや、主治医との対談、不思議なホスピスを舞台にした短編、関川夏央による「『旅先』の人」を収録。
タイトルからしてインパクトまんまんですが、中身はそれに輪をかけて破天荒。いやあ、佐野洋子さんってこういう人だったのか!『100万回生きたねこ』(いま、100万回死んだねこって書いてしまった)を書いた人らしいといえば確かにそうだな。
毒舌も熱中も思いきりも、すべてにおいて桁外れな人だけど、70歳過ぎて死を覚悟しての達観は羨ましいくらいにいさぎよくて、時にはすごく共感できて、ひさしぶりにのめりこんで読んでしまいました。
対談したお医者さんも、ふつうだったら言わないような本音をばんばん言って、死期が迫っている相手(佐野さん)に平気で病状の悪化について語るなど、ふつうとは全くちがっていて面白かった。これも、相手が佐野さんならではなんだろうなあ。人間を生物学的人生論で眺め、種族保存の法則で説明していたのがとても面白く、かつ説得力があった。
種族保存のためなら遺伝子が何でもやってくれて、傷ついても回復させてくれるというんですよね。そのかわり、五十歳から五十五歳になると種族保存的には無駄な存在なので何もしてくれなくなり、そうなると個人差がすごく大きくなってくる。五十歳までは遺伝子が生存・生殖モードでプログラムされているから、ほとんどの人が平等に元気に仕事ができるのだけれど、それを過ぎると、生活習慣などのおかげで状態がいい人は元気だけど、悪い人はどんどん悪くなる。(うわあ、その通りだよ)
小説は、おそらく神経症だった時期のことを書いたものだと思うんですが、こっちのほうが癌より何十倍もつらそう。両方の経験がある佐野さんだから書けることだよね。
そういえば、大好きだったジュリーのコンサートに行った話が出てきた。なんと5時間、81曲ものコンサートだったらしい。「痛いのが我慢できなかったら途中で出て来ようと思った」けど最後まで観ていたんだって。で、こんなことが書いてあった。
この本の基本形は2009年秋にはできていたのだそう。そして佐野さんは2010年秋に72歳で亡くなった。苦労の多い人生だったとは思うけれど、何もうちにためることなく逝くことができたのはとても幸せな死に方だと思う。
死ぬ気まんまん (光文社文庫)
作者:佐野洋子
出版社:光文社
ISBN:4334766463
タイトルからしてインパクトまんまんですが、中身はそれに輪をかけて破天荒。いやあ、佐野洋子さんってこういう人だったのか!『100万回生きたねこ』(いま、100万回死んだねこって書いてしまった)を書いた人らしいといえば確かにそうだな。
毒舌も熱中も思いきりも、すべてにおいて桁外れな人だけど、70歳過ぎて死を覚悟しての達観は羨ましいくらいにいさぎよくて、時にはすごく共感できて、ひさしぶりにのめりこんで読んでしまいました。
対談したお医者さんも、ふつうだったら言わないような本音をばんばん言って、死期が迫っている相手(佐野さん)に平気で病状の悪化について語るなど、ふつうとは全くちがっていて面白かった。これも、相手が佐野さんならではなんだろうなあ。人間を生物学的人生論で眺め、種族保存の法則で説明していたのがとても面白く、かつ説得力があった。
種族保存のためなら遺伝子が何でもやってくれて、傷ついても回復させてくれるというんですよね。そのかわり、五十歳から五十五歳になると種族保存的には無駄な存在なので何もしてくれなくなり、そうなると個人差がすごく大きくなってくる。五十歳までは遺伝子が生存・生殖モードでプログラムされているから、ほとんどの人が平等に元気に仕事ができるのだけれど、それを過ぎると、生活習慣などのおかげで状態がいい人は元気だけど、悪い人はどんどん悪くなる。(うわあ、その通りだよ)
小説は、おそらく神経症だった時期のことを書いたものだと思うんですが、こっちのほうが癌より何十倍もつらそう。両方の経験がある佐野さんだから書けることだよね。
そういえば、大好きだったジュリーのコンサートに行った話が出てきた。なんと5時間、81曲ものコンサートだったらしい。「痛いのが我慢できなかったら途中で出て来ようと思った」けど最後まで観ていたんだって。で、こんなことが書いてあった。
ずっと昔きいたことがある。ガンで激痛の走るおじさんが、痛くなると「女の花道」という歌をかけさせた。三分間は痛さを忘れたそうだ。佐野さんはジュリーの「きめてやる今夜」にすると書いてあったけど、私は何にしようかなあ。癌にはなりたくないけど、これで少しだけ心がまえができたような気がする(あくまでも気がするだけだけどね)。
この本の基本形は2009年秋にはできていたのだそう。そして佐野さんは2010年秋に72歳で亡くなった。苦労の多い人生だったとは思うけれど、何もうちにためることなく逝くことができたのはとても幸せな死に方だと思う。
私は今が生涯で一番幸せだと思う。私もこう言って死にたい。
七十歳は、死ぬにはちょうど良い年齢である。
思い残すことは何もない。これだけはやらなければなどという仕事は嫌いだから当然ない。幼い子供がいるわけでもない。
死ぬ時、苦しくないようにホスピスも予約してある。
家の中がとっちらかっているが、好きにしてくれい。
死ぬ気まんまん (光文社文庫)
作者:佐野洋子
出版社:光文社
ISBN:4334766463
by timeturner
| 2016-01-07 22:25
| 和書
|
Comments(4)
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ppjunction at 2016-01-07 23:56
今晩は。
「七十歳は、死ぬにはちょうど良い年齢である」
私もズーとそんな事を考えてました(ボンヤリですけどね)。凄い説得力の方ですね。今、目が悪くて本は辛くて読めないのですが、春に両目の手術が終わったらしっかり読ませて戴きます。
勿論他の本諸々も。
「七十歳は、死ぬにはちょうど良い年齢である」
私もズーとそんな事を考えてました(ボンヤリですけどね)。凄い説得力の方ですね。今、目が悪くて本は辛くて読めないのですが、春に両目の手術が終わったらしっかり読ませて戴きます。
勿論他の本諸々も。
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八朔
at 2016-01-08 09:24
x
わお、私ももう既に「無駄な存在」。
友人と比べて、体が弱い気がしますが、もうそれは仕方ないのだと納得。
家がちらかってるから、まだ死ねないわ〜とよく思いますが、それも気にしなければいいのですね。いや、佐野さんの家は、うちほど散らかってなかったに違いない。やはり「まあ、いいや」と思える位は、片付けなくては。
友人と比べて、体が弱い気がしますが、もうそれは仕方ないのだと納得。
家がちらかってるから、まだ死ねないわ〜とよく思いますが、それも気にしなければいいのですね。いや、佐野さんの家は、うちほど散らかってなかったに違いない。やはり「まあ、いいや」と思える位は、片付けなくては。
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timeturner at 2016-01-08 13:01
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timeturner at 2016-01-08 13:04
八朔さん
読む人の年齢なりにそれぞれはっと思わせることがある内容ですね。
家の散らかり方って年齢とともに酷くなります。なにしろ気力も体力も減少していきますから。なので、長生きしたければ「家がちらかってるうちは死ねないわあ」と思っているのがいいんじゃないかと思います(^^;)。
読む人の年齢なりにそれぞれはっと思わせることがある内容ですね。
家の散らかり方って年齢とともに酷くなります。なにしろ気力も体力も減少していきますから。なので、長生きしたければ「家がちらかってるうちは死ねないわあ」と思っているのがいいんじゃないかと思います(^^;)。