2015年 11月 29日
猫に時間の流れる |
古ぼけたマンションに住む「ぼく」の両隣には美里さん、西井さん、ふたりの独身者が住んでいて、ふたりとも猫を飼っていた。臆病なチイチイは美里さん、強気なパキは西井さんの猫で、夕方、屋上で猫を遊ばせる二人と気楽なお喋りをするのが毎日の習慣だった。だが、ある日、近所の野良猫のボス的存在であるクロシロがやってきてパキに襲いかかった・・・。表題作と「キャットナップ」の2編を収録。
最近読んでがーん!となった絵本に『チャーちゃん』というのがあって、絵は『岸辺のヤービ』の小沢さかえさん、で、文が保坂和志さんでした。それを読むと保坂さんという人は絶対に猫好きに違いないと思えるのですが、この『猫に時間の流れる』のあとがきを読んだら、冒頭に「ぼくは猫の出てくる話ばかり書く」とあって、やっぱりそうなのかあと深くうなずきました。そしてなんと、この本の表紙に写っている猫がチャーちゃんなんだそうです。小沢さんが描いたチャーちゃんとは違うけど、ああ、そうか、この子だったのか、と泣きそうになりました。
それにしても、この本での猫の描かれ方は、これまで読んできた猫好きの人たち書いたものとはずいぶん違う。「猫って可愛いよねえ」とか「うちの猫は最高!」「この子にめぐりあえて幸せ」みたいなところが全くなくて、時によると「ほんとにこの人、猫好きなんだろうか?」と思ってしまうほど冷淡に見えるところもある。《照れ》とかいうのではなく、好きなことを正面きって言いたてる性格じゃないんだな、きっと。
それなのに表題作を読んでいると、野良猫のクロシロが妙に愛しくてたまらなくさせられたりして、あ、作者の術中にはまった、と思いました。「キャットナップ」のほうではTNR(trap-neuter-return-communication)活動のことが書かれているんですが、それもそういう活動をしている人たちのブログでよく見かけるような必死さは感じられなくてまったりしている。女性と男性の差もあるのかなと思うけど、そもそもがそういう性格なんでしょうね。
表題作のタイトルが日本語としてなんだか不思議な落ち着かなさをもっているのが気になっていたのですが、中身を読んで、なるほど、こういう文章を書く人だからこそあのタイトルだったのか、と納得しました。別に変な日本語を使っているわけではないのですが、頭に浮かんだままをそのまま書いていったような、とぎれることなく続く長文は、わかりにくそうに見えてそんなことはなく、ぼんやりしているようでいて正鵠を射ていることが多い。次のくだりなんて、ぱっと読むとどうということもないのだけれど、よく考えてみると人間にも通じる実に鋭い洞察だと思う。
猫に時間の流れる (中公文庫)
作者:保坂和志
出版社:中央公論新社
ISBN:4122041791
最近読んでがーん!となった絵本に『チャーちゃん』というのがあって、絵は『岸辺のヤービ』の小沢さかえさん、で、文が保坂和志さんでした。それを読むと保坂さんという人は絶対に猫好きに違いないと思えるのですが、この『猫に時間の流れる』のあとがきを読んだら、冒頭に「ぼくは猫の出てくる話ばかり書く」とあって、やっぱりそうなのかあと深くうなずきました。そしてなんと、この本の表紙に写っている猫がチャーちゃんなんだそうです。小沢さんが描いたチャーちゃんとは違うけど、ああ、そうか、この子だったのか、と泣きそうになりました。
それにしても、この本での猫の描かれ方は、これまで読んできた猫好きの人たち書いたものとはずいぶん違う。「猫って可愛いよねえ」とか「うちの猫は最高!」「この子にめぐりあえて幸せ」みたいなところが全くなくて、時によると「ほんとにこの人、猫好きなんだろうか?」と思ってしまうほど冷淡に見えるところもある。《照れ》とかいうのではなく、好きなことを正面きって言いたてる性格じゃないんだな、きっと。
それなのに表題作を読んでいると、野良猫のクロシロが妙に愛しくてたまらなくさせられたりして、あ、作者の術中にはまった、と思いました。「キャットナップ」のほうではTNR(trap-neuter-return-communication)活動のことが書かれているんですが、それもそういう活動をしている人たちのブログでよく見かけるような必死さは感じられなくてまったりしている。女性と男性の差もあるのかなと思うけど、そもそもがそういう性格なんでしょうね。
表題作のタイトルが日本語としてなんだか不思議な落ち着かなさをもっているのが気になっていたのですが、中身を読んで、なるほど、こういう文章を書く人だからこそあのタイトルだったのか、と納得しました。別に変な日本語を使っているわけではないのですが、頭に浮かんだままをそのまま書いていったような、とぎれることなく続く長文は、わかりにくそうに見えてそんなことはなく、ぼんやりしているようでいて正鵠を射ていることが多い。次のくだりなんて、ぱっと読むとどうということもないのだけれど、よく考えてみると人間にも通じる実に鋭い洞察だと思う。
そういう差が生まれるのは野良の猫たちの経てきた経験の複雑さともともとの警戒心の強さ弱さの二つによるものだと思うのだが、この警戒心の過剰な強さ(もっと人間的にいえば「臆病さ」)はクロシロの持っている暴力性の過剰さよりもずっと厄介で猫自身にとって環境に馴れていくことを難しくさせる。それをおどおどしている人が相手の伝えようとしている話を捉えそこない自分に与えられた役割を捉えそこないつづけるのと似ているとするのがどこまで適当かわからないが、警戒心の強すぎる猫は猫との関係や人との関係あるいは物音や気配との関係を捉えそびれ、その猫の居場所はこっちの視野に入らないところになっていく。
猫に時間の流れる (中公文庫)
作者:保坂和志
出版社:中央公論新社
ISBN:4122041791
by timeturner
| 2015-11-29 20:17
| 和書
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