2015年 02月 13日
石井桃子の翻訳はなぜ子どもをひきつけるのか |
「音読の声」「声の文化」「作品の声」といった「声」の3つの側面に注目しながら、名翻訳者として知られる石井桃子の「声を訳す」という翻訳姿勢を明らかにし、子どもの本の翻訳文体における声の重要性を指摘する・・・。
いやあ、読みづらかったです。なにしろ博士論文として書かれたものをほとんどそのまま本にしているので(と後書きに書いてあった)、論文に必要な先行研究の紹介や登場する作家や作品の前ふりなどがくどいし長い。繰り返しも多い。慣れてくればそういう部分は飛ばして読むことはできますが、途中で投げ出す人も多いんじゃないかな。村岡花子ブームで児童文学の翻訳に興味をもち、その延長で石井桃子に興味をもった人なんかは「こんなはずじゃなかった」と思いそう。
英文の引用が多いので横書きというのもハードルを高くしているのかもしれません。内容的には地道にこつこつと原文と翻訳文、あるいは異なる翻訳文同士を突き合わせ、分析していて、児童文学の翻訳を考えるうえでとても参考になるんですけどね。だからよけいにもったいないなあと思いました。
序章 「声を訳す」とは
1 石井桃子研究の意義
2 翻訳者研究という視点
3 石井桃子の生涯と訳業
4 子ども読者と「声」について
5 本書の構成
第Ⅰ部 石井翻訳の原点と「声」
第1章 『クマのプーさん』改訳比較にみる石井のこだわり
1 『クマのプーさん』の改訳史
2 変えられたもの
3 変えられなかったもの
第2章 『クマのプーさん』英日比較にみる石井らしさ
1 『クマのプーさん』の作品の本質
2 言葉遊びとくり返し
3 日本語の特徴を活かした訳の工夫
4 読者寄りの訳
第3章 「岩波少年文庫」シリーズと物語の翻訳
1 「岩波少年文庫」の創刊と選書基準
2 「岩波少年文庫」の翻訳姿勢
3 『ふくろ小路一番地』の翻訳分析
第Ⅱ部 子ども読者と作品の「声」
第4章 翻訳絵本の形
1 「岩波の子どもの本」シリーズと統一判型
2 福音館書店「世界傑作絵本」シリーズと横判
3 『シナの五にんきょうだい』の翻訳分析
第5章 子どもの読みと絵本『ちいさいおうち』の翻訳
1 子ども読者を意識した翻訳とは
2 子どもは原作『ちいさいおうち』をどう読むか
3 石井訳『ちいさいおうち』の翻訳分析
第6章 訳者の作品解釈とファンタジー『たのしい川べ』の翻訳
1 原作と中野好夫の先行訳
2 石井の旧訳『ヒキガエルの冒険』
3 石井の新訳『たのしい川べ』
第7章 訳者の精読と短編『おひとよしのりゅう』の翻訳
1 “reluctant”は「おひとよし」か
2 主人公ドラゴンにとっての“reluctant”
3 訳者石井にとっての“reluctant”
4 作者グレアムにとっての“reluctant”
第Ⅲ部 「語り」の文体の確立
第8章 幼年童話と昔話の法則
1 「岩波の子どもの本」から幼年童話へ
2 アトリー作「チム・ラビット」シリーズ
3 アトリー作「こぎつねルーファス」シリーズ
4 昔話に対するこだわり
第9章 ポターの「語り(“tale”)」の文体
1 「ピーターラビット」シリーズ
2 “tale”の文体
3 『グロースターの仕たて屋』の翻訳分析
第10章 ファージョンの「声の文化」の文体
1 石井とファージョン
2 『銀のシギ』の阿部訳と石井訳の比較
3 ジェイコブズの昔話との比較
第11章 「語り」を絵本にした『こすずめのぼうけん』
1 ストーリーテリングと元話
2 『こすずめのぼうけん』の翻訳分析
3 『こすずめのぼうけん』の絵と場面割り
終章 石井の翻訳文体の源泉としての「声の文化」の記憶
1 石井の自伝的創作
2 ミルン自伝の翻訳
3 「魔法の森」の住人
4 石井にとって「声を訳す」こと
へえっと思ったのは第5章、『ちいさいおうち』に関する記述の中で、子どもが時間の概念を体得するのは10歳くらいで、それまでの子どもにとっての時間というものは「一日」「一か月」「一年」が円環のように繰り返すものであって、「時代」のように直線的に進歩する感覚はないと書かれていたところ。だから『ちいさいおうち』を大人が読むと、時代の変化によって「おうち」の環境が変わっていくのがわかるのに対して、子どもの目から見ると「おうち」が都会に出かけていって冒険し、また田舎に戻ってくる話に見えるというのです。これは、これまで考えたこともない視点でした。
第6章では最初に抄訳した『ヒキガエルの冒険』(1950年)と、13年後に訳し直した『たのしい川べ』とを比較して、石井桃子の翻訳の姿勢が「子どもがどのように読むのか」だけでなく「この作品で作者は何を表現したいのか」を考えて訳すようになったという指摘も面白かったです。今の時代なら、翻訳の勉強をすればその二つの視点は最初に教えてもらえますが、児童文学の翻訳におけるパイオニア的存在である石井桃子の場合は自分で体得していく必要があったわけですよね。逆に言えば、そういう方々の試行錯誤の結果、私たちはラクな近道を行けるわけですが。まあ、だからといって昔よりいい翻訳ができるかどうかは……。結局は各個人の才能にかかっているような気がする今日この頃。
個人的に面白かったのは、やはりケネス・グレアムによる『The Reluctant Dragon』のタイトルに関する考察。石井桃子、猪熊葉子らの「おひとよし」派と亀山龍樹、安野玲らの「ものぐさ」派とに分けて、それぞれがreluctantをどう解釈したかを訳文から分析しているのですが、私は「おひとよし」派のreluctant to fightに同調しました。でも、何に対するfightかということになると、石井が考えた(らしい)戦争なのか、グレアム自身が考えた(らしい)因襲なのか、私にはわかりません。いずれにしても「ものぐさ」ではないような気がするなあ。
もっとも、私がこの本を読んだのはこれらのいずれでもなく、中川千尋が絵本向けに抄訳した『のんきなドラゴン』で、それを読んだときに「のんき」という訳になんの違和感も抱かなかったので、タイトルはあまり重要視しなくてもいいのかなあという気もしたりして。結局は中身から何を読み取るかだと思うんですよね。
そして終章では、私にとって衝撃の発見が! 石井桃子は晩年になって自らの子ども時代を詳細に綴ったエッセイ集『幼ものがたり』を書きますが、そこに書かれているのは小学校入学前までの記憶。どうやら石井桃子は、3~6歳までのあいだの経験によって子どもの将来が決まる、と考えていたようです。彼女が敬愛したA・A・ミルンも自伝の中で、どんな作品が書けるかは、その作家がどんな子ども時代を過ごしたかによってすでに定められていると言っているらしい。石井桃子はさらに「おとなになってから、あなたを支えてくれるのは、子ども時代の『あなた』です」とまで言っています。
私、子どものころの記憶がほとんどありません。特に文字が読めるようになる前の記憶はまったくといっていいほどない。年をとると最近のことは忘れても、うんと昔のことは思い出すようになるものだと言われていますが、私に関してはそんなことナッシングです。最近のことはもちろんすぐに忘れますが、かといって昔のことが甦ることもない。記憶がどんどん稀薄になっていく感じ。
ひょっとしたら私は人間ではなくて、いい加減に作られたアンドロイドなのかも。私みたいなものを誰が何の目的で作ったのかは知らないけれど、目的に必要ない幼少時の記憶をわざわざ作って埋め込むなんて手間を省かれたアンドロイドなのかも……と考えるといろいろ納得することが多い。それならそれで、もう少し精度の高い人工知能を埋め込んでくれたらいいものを。(もうすっかりその気になっている)
石井桃子の翻訳はなぜ子どもをひきつけるのか: 「声を訳す」文体の秘密
作者:竹内美紀
出版社:ミネルヴァ書房
ISBN:4623070145
いやあ、読みづらかったです。なにしろ博士論文として書かれたものをほとんどそのまま本にしているので(と後書きに書いてあった)、論文に必要な先行研究の紹介や登場する作家や作品の前ふりなどがくどいし長い。繰り返しも多い。慣れてくればそういう部分は飛ばして読むことはできますが、途中で投げ出す人も多いんじゃないかな。村岡花子ブームで児童文学の翻訳に興味をもち、その延長で石井桃子に興味をもった人なんかは「こんなはずじゃなかった」と思いそう。
英文の引用が多いので横書きというのもハードルを高くしているのかもしれません。内容的には地道にこつこつと原文と翻訳文、あるいは異なる翻訳文同士を突き合わせ、分析していて、児童文学の翻訳を考えるうえでとても参考になるんですけどね。だからよけいにもったいないなあと思いました。
序章 「声を訳す」とは
1 石井桃子研究の意義
2 翻訳者研究という視点
3 石井桃子の生涯と訳業
4 子ども読者と「声」について
5 本書の構成
第Ⅰ部 石井翻訳の原点と「声」
第1章 『クマのプーさん』改訳比較にみる石井のこだわり
1 『クマのプーさん』の改訳史
2 変えられたもの
3 変えられなかったもの
第2章 『クマのプーさん』英日比較にみる石井らしさ
1 『クマのプーさん』の作品の本質
2 言葉遊びとくり返し
3 日本語の特徴を活かした訳の工夫
4 読者寄りの訳
第3章 「岩波少年文庫」シリーズと物語の翻訳
1 「岩波少年文庫」の創刊と選書基準
2 「岩波少年文庫」の翻訳姿勢
3 『ふくろ小路一番地』の翻訳分析
第Ⅱ部 子ども読者と作品の「声」
第4章 翻訳絵本の形
1 「岩波の子どもの本」シリーズと統一判型
2 福音館書店「世界傑作絵本」シリーズと横判
3 『シナの五にんきょうだい』の翻訳分析
第5章 子どもの読みと絵本『ちいさいおうち』の翻訳
1 子ども読者を意識した翻訳とは
2 子どもは原作『ちいさいおうち』をどう読むか
3 石井訳『ちいさいおうち』の翻訳分析
第6章 訳者の作品解釈とファンタジー『たのしい川べ』の翻訳
1 原作と中野好夫の先行訳
2 石井の旧訳『ヒキガエルの冒険』
3 石井の新訳『たのしい川べ』
第7章 訳者の精読と短編『おひとよしのりゅう』の翻訳
1 “reluctant”は「おひとよし」か
2 主人公ドラゴンにとっての“reluctant”
3 訳者石井にとっての“reluctant”
4 作者グレアムにとっての“reluctant”
第Ⅲ部 「語り」の文体の確立
第8章 幼年童話と昔話の法則
1 「岩波の子どもの本」から幼年童話へ
2 アトリー作「チム・ラビット」シリーズ
3 アトリー作「こぎつねルーファス」シリーズ
4 昔話に対するこだわり
第9章 ポターの「語り(“tale”)」の文体
1 「ピーターラビット」シリーズ
2 “tale”の文体
3 『グロースターの仕たて屋』の翻訳分析
第10章 ファージョンの「声の文化」の文体
1 石井とファージョン
2 『銀のシギ』の阿部訳と石井訳の比較
3 ジェイコブズの昔話との比較
第11章 「語り」を絵本にした『こすずめのぼうけん』
1 ストーリーテリングと元話
2 『こすずめのぼうけん』の翻訳分析
3 『こすずめのぼうけん』の絵と場面割り
終章 石井の翻訳文体の源泉としての「声の文化」の記憶
1 石井の自伝的創作
2 ミルン自伝の翻訳
3 「魔法の森」の住人
4 石井にとって「声を訳す」こと
へえっと思ったのは第5章、『ちいさいおうち』に関する記述の中で、子どもが時間の概念を体得するのは10歳くらいで、それまでの子どもにとっての時間というものは「一日」「一か月」「一年」が円環のように繰り返すものであって、「時代」のように直線的に進歩する感覚はないと書かれていたところ。だから『ちいさいおうち』を大人が読むと、時代の変化によって「おうち」の環境が変わっていくのがわかるのに対して、子どもの目から見ると「おうち」が都会に出かけていって冒険し、また田舎に戻ってくる話に見えるというのです。これは、これまで考えたこともない視点でした。
第6章では最初に抄訳した『ヒキガエルの冒険』(1950年)と、13年後に訳し直した『たのしい川べ』とを比較して、石井桃子の翻訳の姿勢が「子どもがどのように読むのか」だけでなく「この作品で作者は何を表現したいのか」を考えて訳すようになったという指摘も面白かったです。今の時代なら、翻訳の勉強をすればその二つの視点は最初に教えてもらえますが、児童文学の翻訳におけるパイオニア的存在である石井桃子の場合は自分で体得していく必要があったわけですよね。逆に言えば、そういう方々の試行錯誤の結果、私たちはラクな近道を行けるわけですが。まあ、だからといって昔よりいい翻訳ができるかどうかは……。結局は各個人の才能にかかっているような気がする今日この頃。
個人的に面白かったのは、やはりケネス・グレアムによる『The Reluctant Dragon』のタイトルに関する考察。石井桃子、猪熊葉子らの「おひとよし」派と亀山龍樹、安野玲らの「ものぐさ」派とに分けて、それぞれがreluctantをどう解釈したかを訳文から分析しているのですが、私は「おひとよし」派のreluctant to fightに同調しました。でも、何に対するfightかということになると、石井が考えた(らしい)戦争なのか、グレアム自身が考えた(らしい)因襲なのか、私にはわかりません。いずれにしても「ものぐさ」ではないような気がするなあ。
もっとも、私がこの本を読んだのはこれらのいずれでもなく、中川千尋が絵本向けに抄訳した『のんきなドラゴン』で、それを読んだときに「のんき」という訳になんの違和感も抱かなかったので、タイトルはあまり重要視しなくてもいいのかなあという気もしたりして。結局は中身から何を読み取るかだと思うんですよね。
そして終章では、私にとって衝撃の発見が! 石井桃子は晩年になって自らの子ども時代を詳細に綴ったエッセイ集『幼ものがたり』を書きますが、そこに書かれているのは小学校入学前までの記憶。どうやら石井桃子は、3~6歳までのあいだの経験によって子どもの将来が決まる、と考えていたようです。彼女が敬愛したA・A・ミルンも自伝の中で、どんな作品が書けるかは、その作家がどんな子ども時代を過ごしたかによってすでに定められていると言っているらしい。石井桃子はさらに「おとなになってから、あなたを支えてくれるのは、子ども時代の『あなた』です」とまで言っています。
私、子どものころの記憶がほとんどありません。特に文字が読めるようになる前の記憶はまったくといっていいほどない。年をとると最近のことは忘れても、うんと昔のことは思い出すようになるものだと言われていますが、私に関してはそんなことナッシングです。最近のことはもちろんすぐに忘れますが、かといって昔のことが甦ることもない。記憶がどんどん稀薄になっていく感じ。
ひょっとしたら私は人間ではなくて、いい加減に作られたアンドロイドなのかも。私みたいなものを誰が何の目的で作ったのかは知らないけれど、目的に必要ない幼少時の記憶をわざわざ作って埋め込むなんて手間を省かれたアンドロイドなのかも……と考えるといろいろ納得することが多い。それならそれで、もう少し精度の高い人工知能を埋め込んでくれたらいいものを。(もうすっかりその気になっている)
石井桃子の翻訳はなぜ子どもをひきつけるのか: 「声を訳す」文体の秘密
作者:竹内美紀
出版社:ミネルヴァ書房
ISBN:4623070145
by timeturner
| 2015-02-13 18:30
| 和書
|
Comments(2)
Commented
by
八朔
at 2015-02-14 01:26
x
こんなにたくさんの本を早く読めるTime Turnerさん、アンドロイドだったのですね。納得^^
そういう私も、小さい頃の記憶は本当に自分の記憶なのか、母から聞いたことを自分の記憶と思っているのか自信がないです。
あと、私の周りでは、男の子の方が、小さい頃の記憶がまるでなく、女の子は、どんなお友達がいて、その子のお母さんはこの人で…など、非常に覚えているので、Time Turnerさん、男脳なのかも?
目次を見ると、この本に取り上げられている作品、思い出深いお話ばかり。改めて石井さん、すごい人ですね。
そういう私も、小さい頃の記憶は本当に自分の記憶なのか、母から聞いたことを自分の記憶と思っているのか自信がないです。
あと、私の周りでは、男の子の方が、小さい頃の記憶がまるでなく、女の子は、どんなお友達がいて、その子のお母さんはこの人で…など、非常に覚えているので、Time Turnerさん、男脳なのかも?
目次を見ると、この本に取り上げられている作品、思い出深いお話ばかり。改めて石井さん、すごい人ですね。
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Commented
by
timeturner at 2015-02-14 22:04
あ、八朔さんも小さい頃のこと、あまり覚えていないのですね。私だけじゃなかったのか。少し安心しました。男脳だろうが、人間であるだけで満足です(^^)。そういえば私の姉妹でいちばん女っぽい次女は昔のことをすごくよく覚えていましたっけ。
石井桃子さん、すごいですよね。私も読んでいるあいだ「これも石井さんが訳してたのか!」と何度も思いました。
石井桃子さん、すごいですよね。私も読んでいるあいだ「これも石井さんが訳してたのか!」と何度も思いました。