2014年 07月 07日
モーパッサン怪奇傑作集 |
外国で殺した男の形見として持ち帰った1本の手に復讐される話(手)、雪深い山小屋に一冬閉じこめられ、遂に発狂してしまう男(山の宿)、人格遊離〈ドッペルゲンガー〉をテーマにした「オルラ」など、11篇の怪奇短編を収録。
へええええ。自然主義文学の雄であるモーパッサン、『脂肪の塊』や『女の一生』を書いたあのモーパッサンが怪奇小説?!と思いましたが、これがものすごくよく書けていて二度びっくり。大文学者に対して「よく書けてる」なんて失礼にもほどがありますが、あまりにもジャンルが違うのでどんなものを読むことになるのか想像もつかなかったのです。
でも、考えてみれば当然の話で、たとえテーマは目に見えない超自然現象ではあっても、それに遭遇する人間や現象が起こる場所そのものは目に見える対象なんだから、その対象をとことんまで精緻に表現できた時点で物語は最高にリアルになり、リアルな怪奇小説以上に怖いものはこの世にありません。
「オルラ」などは狂気の淵にある人間が書いたとしか思えませんが、巻末の解説によるとモーパッサン自身30代後半から神経を病み、不眠に苦しみ、阿片など薬物による幻覚に救いを求めていたそうですから、実際この作品に書かれているような状態を経験していたのでしょう。「髪の毛」も「だれが知ろう?」も狂人の手記という形をとっていて、その強迫観念の描き方はどこかカヴァンを思わせるものがあります。
自らの狂気を逆手にとり、単なる狂人のたわごとではない作品に仕立ててしまう作家魂は凄いですね。「オルラ」にはそれだけでなく、人間にとってかわる新しい高等生物というまるでSF小説のような側面もあり、とても興味深い。「だれが知ろう?」で家具たちがその木や金属の脚を使って逃げ出していくシーンにはなんともいえない滑稽味すら感じました。
『脂肪の塊』や『女の一生』は高校生の頃に読んで、まったく好きになれないと思ったのですが、今考えれば高校生にわかるはずもなく、これを機会に読み直してみようかなあと思いました。新訳も出ているだろうし。
ところで、これを読んでいるときに思ったのですが、フランス語で書かれた小説の翻訳を読んでいて「わけがわからない」と思うことって少ないのですよね。これまでは翻訳される作品数が少ないので優秀な翻訳者にしか仕事がいかないのだろうとか、フランス語学科は昔から文学青年が行くところだから文芸翻訳に向く人が多いのだろうとか思っていました。が、先日、宮脇先生の講義で、イギリスの19世紀には視点がはっきりわからないようにぼやかして書かれた小説が主流で、時には多視点が入り乱れ「たくさんの声が聞こえるような」作品がよいとまで言われていたのだという話を聞きました。フランスの文学者たちはそれを嫌い、もっと論理的に客観的に書かれるべきだとフローベール(モーパッサンの師匠ですね)が先頭に立って小説の書き方を変えたのだそうです。だからフローベール以降のフランスの小説は翻訳者にとって内容を読み取りやすいってことなのかしら?
モーパッサン怪奇傑作集 (福武文庫)
作者:ギ・ド・モーパッサン
訳者:榊原晃三
出版社:福武書店
ISBN:4828831029
へええええ。自然主義文学の雄であるモーパッサン、『脂肪の塊』や『女の一生』を書いたあのモーパッサンが怪奇小説?!と思いましたが、これがものすごくよく書けていて二度びっくり。大文学者に対して「よく書けてる」なんて失礼にもほどがありますが、あまりにもジャンルが違うのでどんなものを読むことになるのか想像もつかなかったのです。
でも、考えてみれば当然の話で、たとえテーマは目に見えない超自然現象ではあっても、それに遭遇する人間や現象が起こる場所そのものは目に見える対象なんだから、その対象をとことんまで精緻に表現できた時点で物語は最高にリアルになり、リアルな怪奇小説以上に怖いものはこの世にありません。
手もうとにかくね、ディテールの描写がただものじゃない。すべてが目の前にあって、(動けるものは)動いているように書いてある。それを読んでるだけで「別に怖い結末じゃなくてもいいや」って気になるほどなんだけど、実際に怖い。本物(?)の幽霊が出てくる話より人間の心の奥の暗闇を描いた作品のほうが怖いのは、モーパッサンならではなのかな。
水の上
山の宿
恐怖 その一
恐怖 その二
オルラ
髪の毛
幽霊
だれが知ろう?
墓
痙攣
「オルラ」などは狂気の淵にある人間が書いたとしか思えませんが、巻末の解説によるとモーパッサン自身30代後半から神経を病み、不眠に苦しみ、阿片など薬物による幻覚に救いを求めていたそうですから、実際この作品に書かれているような状態を経験していたのでしょう。「髪の毛」も「だれが知ろう?」も狂人の手記という形をとっていて、その強迫観念の描き方はどこかカヴァンを思わせるものがあります。
自らの狂気を逆手にとり、単なる狂人のたわごとではない作品に仕立ててしまう作家魂は凄いですね。「オルラ」にはそれだけでなく、人間にとってかわる新しい高等生物というまるでSF小説のような側面もあり、とても興味深い。「だれが知ろう?」で家具たちがその木や金属の脚を使って逃げ出していくシーンにはなんともいえない滑稽味すら感じました。
『脂肪の塊』や『女の一生』は高校生の頃に読んで、まったく好きになれないと思ったのですが、今考えれば高校生にわかるはずもなく、これを機会に読み直してみようかなあと思いました。新訳も出ているだろうし。
ところで、これを読んでいるときに思ったのですが、フランス語で書かれた小説の翻訳を読んでいて「わけがわからない」と思うことって少ないのですよね。これまでは翻訳される作品数が少ないので優秀な翻訳者にしか仕事がいかないのだろうとか、フランス語学科は昔から文学青年が行くところだから文芸翻訳に向く人が多いのだろうとか思っていました。が、先日、宮脇先生の講義で、イギリスの19世紀には視点がはっきりわからないようにぼやかして書かれた小説が主流で、時には多視点が入り乱れ「たくさんの声が聞こえるような」作品がよいとまで言われていたのだという話を聞きました。フランスの文学者たちはそれを嫌い、もっと論理的に客観的に書かれるべきだとフローベール(モーパッサンの師匠ですね)が先頭に立って小説の書き方を変えたのだそうです。だからフローベール以降のフランスの小説は翻訳者にとって内容を読み取りやすいってことなのかしら?
モーパッサン怪奇傑作集 (福武文庫)
作者:ギ・ド・モーパッサン
訳者:榊原晃三
出版社:福武書店
ISBN:4828831029
by timeturner
| 2014-07-07 19:50
| 和書
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