2014年 07月 04日
猫に関する恐怖小説 |
有名作家たちによる猫をテーマにした恐怖小説15編。
集める苦労はなかっただろうなあ。『ペンギンに関する恐怖小説』とか『リスに関する恐怖小説』だったら物凄く大変そうだけど、猫にはもともと神秘的で胡散臭いところがあるし、さまざまな迷信にも使われているしで、集めるより選ぶほうが大変そう。
結果的には・・・ピリッと諷刺がきいたのや生理的な嫌悪感を催させるのや血みどろのや幻想的なのや、バラエティに富んだ内容ではあるけれど、出来がいいものばかりではないのが難点。
「白い猫」はいかにもレ・ファニュらしい、アイルランドの田舎を背景に繰り広げられる因縁話。レ・ファニュの英語ってやっぱり難しいのかな。他の作品では感じなかった辻褄の合わなさが目立った。原文と照合すると本来の意味を読み取りそこなっていて、だから前後の脈略がなくなっている。この訳者の人は現代アメリカのミステリーやSFが専門のようだから、レ・ファニュやこのあとのデ・ラ・メアあたりになると急に誤訳が増えるみたいです。
「猫ぎらい」はどうということのない言葉遊びで、日本語にしてしまうと面白さが半減してしまう。このラインナップに加えるのは無理があるような気がする。
「僕の父は猫」猫と人間の間に生まれた息子が美しい婚約者をアメリカから連れて帰ると猫の父親は・・・という話で、まったく怖くないし、異種交配の不自然さを除けば特に幻想的な面もない。父親が猫だというのは息子の妄想かと最初のうちは思ってたんだけど(そのほうが面白くなると思う)、作者にそんなつもりはないようです。ヘンリー・スレッサーとは思えないな。
「古代の魔法」は初めのうちは萩原朔太郎の『猫町』みたいだと思いつつ読んでいたのですが、ああいう狂気系ではなくて、ふつうの魔女系だったのでちょっとがっかり。雰囲気があると言えばそうなのですが、繰り返しが多くややくどい。当事者⇒心理学者⇒語り手という三重構造にあまり意味を感じなかった。一人称視点で語ったほうがサスペンスフルだったんじゃないかなあ。最後の心理学者の分析も余計な気が・・・。
「箒の柄」は魔女の手下にされてしまった飼い猫と本来の飼い主である老女との息詰まる攻防を描いていて、ラストはちょっと物足りないものの、サスペンスを盛り上げていく書き方は達者なので、上に書いたような誤訳がなければもっと面白くなったはず。
「灰色の猫」は聖なる猫の神像を取り戻すためにエジプトから追ってきた猫の話で、「エジプトから来た猫」もエジプト出身の年老いた猫が苛められている少年に知恵を貸す話。エジプトと猫の取り合わせは確かにそれだけで説得力があります。
「ウルサルの猫」には黒人のジプシーというのが出てきますが、アフリカ系のジプシーなんてほんとにいたのかな。それとも、肌がより浅黒いインド系の人たちのことなんだろうか。なんにせよ、ここでは被害者=加害者で、どんな目に遭っても因果応報としか思えず、怖いというよりすっきりしました。
「緑の猫」はなんとSF怪奇小説。ありがちなネタではあるけれど、猫形というだけで魅力を増すのが不思議。アニメにしたら面白いんじゃないかな。
エラリー・クイーン物の短編「七匹の黒猫」にはハリー・ポッターが出てくる! いや、まったくの別人だけど。それにしてもこの話、なんだか辻褄が合わないなあ。妹の飼っていた猫とまぎれるようにと、姉が緑の目の黒猫ばかり六匹も買いこむというところ。その妹の猫は買ってすぐに姉の反対で店に返品してるじゃない。いもしない猫と見分けがつかないようにするって、わけわかんな~い。それ以外の仕掛けにも無理が多い。
訳者あとがきによると日本の鍋島や有馬の化け猫話が西洋にヴァンパイア・キャットとして紹介され、それが英仏の恐怖小説にかなりの影響を与えたらしい。へえ、それは初耳だった。確かに日本の化け猫の話って、とんでもなく怖いもんね。
ところで、どうして化け猫は行灯の油なんか舐めるんだろうとふと気になってWikipediaを見たら、行灯には安価な魚油が用いられていたので、当時の穀物・野菜中心の食事の残りをもらっていた猫が、本能的に脂肪を補おうと後ろ脚で立って行灯の油を舐めている姿から発想したのではないかと書いてありました。なるほど。
猫に関する恐怖小説 (徳間文庫)
作者:フレドリック・ブラウンほか
編訳:仁賀克雄
出版社:徳間書店
ISBN:4195976030
集める苦労はなかっただろうなあ。『ペンギンに関する恐怖小説』とか『リスに関する恐怖小説』だったら物凄く大変そうだけど、猫にはもともと神秘的で胡散臭いところがあるし、さまざまな迷信にも使われているしで、集めるより選ぶほうが大変そう。
結果的には・・・ピリッと諷刺がきいたのや生理的な嫌悪感を催させるのや血みどろのや幻想的なのや、バラエティに富んだ内容ではあるけれど、出来がいいものばかりではないのが難点。
トバーモリー/サキサキの「トバーモリー」は『The Chronicles of Clovis』に収録されていたもので大好きな一編。ほんとに意地悪でとんがってる。
猫男/バイロン・リゲット
猫の復讐/ブラム・ストーカー
白い猫/S・レ・ファニュ
猫ぎらい/フレドリック・ブラウン
僕の稗は猫/ヘンリー・スレッサー
古代の魔法/A・ブラックウッド
箒の柄/W・デ・ラ・メア
灰色の猫/バリー・ペイン
ウルサルの猫/H・P・ラヴクラフト
エジプトから来た猫/オーガスト・ダーレス
緑の猫/クリーヴ・カートミル
七匹の黒猫/エラリー・クイーン
魔女の猫/ロバート・ブロック
著者謹呈/ルイス・パジェット
「猫男」は結局人間の無責任さから起こったことで、猫に代わって腹が立ってくる。
「猫の復讐」は先が読める展開ではあるけれど、まあ、その予定調和なところがいいのかな。それにしても、こんなことがあったあとで新婚旅行に第三者を加えることを勧める奥さんの神経って強靭すぎる。
「白い猫」はいかにもレ・ファニュらしい、アイルランドの田舎を背景に繰り広げられる因縁話。レ・ファニュの英語ってやっぱり難しいのかな。他の作品では感じなかった辻褄の合わなさが目立った。原文と照合すると本来の意味を読み取りそこなっていて、だから前後の脈略がなくなっている。この訳者の人は現代アメリカのミステリーやSFが専門のようだから、レ・ファニュやこのあとのデ・ラ・メアあたりになると急に誤訳が増えるみたいです。
「猫ぎらい」はどうということのない言葉遊びで、日本語にしてしまうと面白さが半減してしまう。このラインナップに加えるのは無理があるような気がする。
「僕の父は猫」猫と人間の間に生まれた息子が美しい婚約者をアメリカから連れて帰ると猫の父親は・・・という話で、まったく怖くないし、異種交配の不自然さを除けば特に幻想的な面もない。父親が猫だというのは息子の妄想かと最初のうちは思ってたんだけど(そのほうが面白くなると思う)、作者にそんなつもりはないようです。ヘンリー・スレッサーとは思えないな。
「古代の魔法」は初めのうちは萩原朔太郎の『猫町』みたいだと思いつつ読んでいたのですが、ああいう狂気系ではなくて、ふつうの魔女系だったのでちょっとがっかり。雰囲気があると言えばそうなのですが、繰り返しが多くややくどい。当事者⇒心理学者⇒語り手という三重構造にあまり意味を感じなかった。一人称視点で語ったほうがサスペンスフルだったんじゃないかなあ。最後の心理学者の分析も余計な気が・・・。
「箒の柄」は魔女の手下にされてしまった飼い猫と本来の飼い主である老女との息詰まる攻防を描いていて、ラストはちょっと物足りないものの、サスペンスを盛り上げていく書き方は達者なので、上に書いたような誤訳がなければもっと面白くなったはず。
「灰色の猫」は聖なる猫の神像を取り戻すためにエジプトから追ってきた猫の話で、「エジプトから来た猫」もエジプト出身の年老いた猫が苛められている少年に知恵を貸す話。エジプトと猫の取り合わせは確かにそれだけで説得力があります。
「ウルサルの猫」には黒人のジプシーというのが出てきますが、アフリカ系のジプシーなんてほんとにいたのかな。それとも、肌がより浅黒いインド系の人たちのことなんだろうか。なんにせよ、ここでは被害者=加害者で、どんな目に遭っても因果応報としか思えず、怖いというよりすっきりしました。
「緑の猫」はなんとSF怪奇小説。ありがちなネタではあるけれど、猫形というだけで魅力を増すのが不思議。アニメにしたら面白いんじゃないかな。
エラリー・クイーン物の短編「七匹の黒猫」にはハリー・ポッターが出てくる! いや、まったくの別人だけど。それにしてもこの話、なんだか辻褄が合わないなあ。妹の飼っていた猫とまぎれるようにと、姉が緑の目の黒猫ばかり六匹も買いこむというところ。その妹の猫は買ってすぐに姉の反対で店に返品してるじゃない。いもしない猫と見分けがつかないようにするって、わけわかんな~い。それ以外の仕掛けにも無理が多い。
「魔女の猫」はいかにもロバート・ブロックらしいオチではあるけど、あまり新鮮味はない。
「著者謹呈」はタイトルがいちばん面白い。もっと短く書くためのアイディアをだらだら引き伸ばした感がある。50頁しかなくて、おまけに1頁に1行しか書いてない本なんだから、普通は最初に全部目を通すでしょう。そうしたらあのオチの頁だって見ているはずで、気付かないわけがないと思うんだけどなあ・・・。
訳者あとがきによると日本の鍋島や有馬の化け猫話が西洋にヴァンパイア・キャットとして紹介され、それが英仏の恐怖小説にかなりの影響を与えたらしい。へえ、それは初耳だった。確かに日本の化け猫の話って、とんでもなく怖いもんね。
ところで、どうして化け猫は行灯の油なんか舐めるんだろうとふと気になってWikipediaを見たら、行灯には安価な魚油が用いられていたので、当時の穀物・野菜中心の食事の残りをもらっていた猫が、本能的に脂肪を補おうと後ろ脚で立って行灯の油を舐めている姿から発想したのではないかと書いてありました。なるほど。
猫に関する恐怖小説 (徳間文庫)
作者:フレドリック・ブラウンほか
編訳:仁賀克雄
出版社:徳間書店
ISBN:4195976030
by timeturner
| 2014-07-04 19:40
| 和書
|
Comments(2)
Commented
by
nobara
at 2014-07-06 01:53
x
日本の化け猫が西洋の恐怖小説に寄与していたなんて。
化け猫映画もたくさん作られていて、自分が子供の頃は夏休みに
テレビ放映され、うっかり最後まで観てトイレに行けなくなったり。
最近の夏休みはジブリ映画ばかりで、深夜でさえホラー映画を放映
してくれなくなって寂しいです。「著者謹呈」は文春文庫の「もっと厭な
物語」に入っていて面白かったです。使い魔のネコが色っぽい。
化け猫映画もたくさん作られていて、自分が子供の頃は夏休みに
テレビ放映され、うっかり最後まで観てトイレに行けなくなったり。
最近の夏休みはジブリ映画ばかりで、深夜でさえホラー映画を放映
してくれなくなって寂しいです。「著者謹呈」は文春文庫の「もっと厭な
物語」に入っていて面白かったです。使い魔のネコが色っぽい。
0
Commented
by
timeturner at 2014-07-06 14:16
へえ、最近のTVは深夜に恐怖映画を放映しないんですか?! なんらかの自粛があるんでしょうか。まあ、私は怖がりなのでたとえやっていたとしても見ませんけど。それなのに怪奇小説集は好んで読むというのはなぜなんでしょうね。年をとるにつれて好きになってきました。あの世に近くなってきたからか?