2014年 03月 26日
自分の同類を愛した男 英国モダニズム短篇集 |
《純文学からミステリ作品まで第一次世界大戦前後のモダニズムの雰囲気を味わう短篇アンソロジー》というキャッチコピーがついていましたが、確かにモダニズムの《雰囲気》でした。モダニズム文学短篇集と考えると肩すかしをくらう。
全体に翻訳は硬めで、やたら訳注があって(チャリング・クロス駅にまで!)読みにくかった。小出版社が日本未訳の作品を意欲的に刊行してくれるのはありがたいのだけれど、専業のベテラン翻訳家を使えないからなのか、おつきあいのある大学の先生がらみの、つまり英文和訳を主にやってきた人たちに翻訳がまかされるのが読者としては残念なところです。
ミス・ウィンチェルシーの心/H.G.ウェルズ(堀祐子訳)
エイドリアン/サキ(奈須麻里子訳)
捜す/サキ(辻谷実貴子訳)
フィルボイド・スタッジ-ネズミの恩返しのお話/サキ(奈須麻里子訳)
遠き日の出来事 ジョン・ゴールズワージー(今村楯夫訳)
人類学講座/R.オースティン・フリーマン(藤澤透訳)
謎の訪問者/R.オースティン・フリーマン(井伊順彦訳)
主としての店主について/G.K.チェスタトン(藤澤透訳)
クラリベル/アーノルド・ベネット(浦辺千鶴訳)
自分の同類を愛した男/ヴァージニア・ウルフ(井伊順彦訳)
遺産/ヴァージニア・ウルフ(井伊順彦訳)
まとめてみれば/ヴァージニア・ウルフ(井伊順彦訳)
朝の殺人/ドロシー・L.セイヤーズ(中勢津子訳)
一人だけ多すぎる/ドロシー・L.セイヤーズ(中勢津子訳)
家屋敷にご用心/マージェリー・アリンガム(中勢津子訳)
「ミス・ウィンチェルシーの心」はローマに旅した女性教師を主人公に、エドワード朝の若い女性の物の考え方をかなり皮肉に描いたもので、ちょっとフォースターのイタリア物を思わせます。
サキはこれまで短いものをひとつかふたつ読んだことはあるような気がしますが、どういう作家かというイメージがなかった。イギリス人だとも知らなかったくらい。名前が名前なのでフランス語で書いてる人かと思ってました。めっちゃ底意地の悪い人なんじゃないかと思える作風ですが、気に入りました(えっ?)。3編ともに登場するクロヴィスという貴族の男がなんとも冷酷なやつなんだけど、よく考えると普通の人も心の中では考えても世間体を考えて口には出さないことを言ってるだけなんですよね。だから、日頃腹ふくるる思いでいる凡人はそれを読んですかっとするわけ。このクロヴィスが出てくる作品を集めた短編集があるようなので読んでみようかな。
「人類学講座」と「謎の訪問者」の両方で事件を解決するソーンダイク博士は、どこかで会ったことがあるなあと思っていたら、『世界鉄道推理傑作選1』に収録されていた「オスカー・ブロズキー事件」の主人公でしたね。あれを読んだときには鉄道で旅行するときにまで顕微鏡や試薬の入ったミニチュア実験道具箱を持ち歩いていることに驚きましたが、今回彼が自分の研究室にいる場面を読んで、こういう人ならあれもありだなと思いました。
チェスタトンは、アメリカが代表する大衆主義、商業主義、平等主義なんてものがことごとく嫌いなんだねえ、という感想しか出てこない「主としての店主について」と、その反対にベネットはパリが大好きだったんだねえ、パリにしばらくいれば四角四面で無骨なイギリス人だって素敵なロマンチストになれると信じてたんだねと思える「クラリベル」。どっちもすごく皮肉な話なんだけど、そのベクトルは正反対を向いているようで面白い。
ウルフはね、もうわかりません。「まとめてみれば」は前に翻訳クラスの課題として読んだことがあるのですが、そのときも先生・生徒ともに解釈できない部分が残ったので、この本を読めばすっきりするんじゃないかと思ったのですが、不満が増しただけでした。
もうね、ウルフの短編は日本人は訳さないほうがいいと思う。長編ならたいていの場合は読んでいくうちに解き明かされていくものだけれど、短編は作者のほうで読者に歩み寄るつもりがなかったらまず無理じゃないかな。英語力だけでは翻訳不能なものがあると思う。だれか、中流以上の年配のイギリス人で、英文学に造詣が深く、なおかつ日本語に堪能な人がそういう作品を翻訳してくれないものだろうか。
セイヤーズはウィムジー卿のシリーズは全部読みましたが、他の作品は未読でした。この本に収載されている2編にはどちらもワインのセールスマン・モンティ・エッグ氏が素人探偵として登場します。ことあるごとにセールスマンの手引書からの引用をするのがちょっとうっとうしいのですが、でもまあ、観察力の鋭い、憎めないおじさんです(と思ったら「一人だけ多すぎる」では《金髪の礼儀正しい若者》と表現されていた!)。
自分の同類を愛した男―英国モダニズム短篇集 (20世紀英国モダニズム小説集成)
編者:井伊順彦
訳者:井伊順彦ほか
出版社:風濤社
ISBN:4892193771
全体に翻訳は硬めで、やたら訳注があって(チャリング・クロス駅にまで!)読みにくかった。小出版社が日本未訳の作品を意欲的に刊行してくれるのはありがたいのだけれど、専業のベテラン翻訳家を使えないからなのか、おつきあいのある大学の先生がらみの、つまり英文和訳を主にやってきた人たちに翻訳がまかされるのが読者としては残念なところです。
ミス・ウィンチェルシーの心/H.G.ウェルズ(堀祐子訳)
エイドリアン/サキ(奈須麻里子訳)
捜す/サキ(辻谷実貴子訳)
フィルボイド・スタッジ-ネズミの恩返しのお話/サキ(奈須麻里子訳)
遠き日の出来事 ジョン・ゴールズワージー(今村楯夫訳)
人類学講座/R.オースティン・フリーマン(藤澤透訳)
謎の訪問者/R.オースティン・フリーマン(井伊順彦訳)
主としての店主について/G.K.チェスタトン(藤澤透訳)
クラリベル/アーノルド・ベネット(浦辺千鶴訳)
自分の同類を愛した男/ヴァージニア・ウルフ(井伊順彦訳)
遺産/ヴァージニア・ウルフ(井伊順彦訳)
まとめてみれば/ヴァージニア・ウルフ(井伊順彦訳)
朝の殺人/ドロシー・L.セイヤーズ(中勢津子訳)
一人だけ多すぎる/ドロシー・L.セイヤーズ(中勢津子訳)
家屋敷にご用心/マージェリー・アリンガム(中勢津子訳)
「ミス・ウィンチェルシーの心」はローマに旅した女性教師を主人公に、エドワード朝の若い女性の物の考え方をかなり皮肉に描いたもので、ちょっとフォースターのイタリア物を思わせます。
サキはこれまで短いものをひとつかふたつ読んだことはあるような気がしますが、どういう作家かというイメージがなかった。イギリス人だとも知らなかったくらい。名前が名前なのでフランス語で書いてる人かと思ってました。めっちゃ底意地の悪い人なんじゃないかと思える作風ですが、気に入りました(えっ?)。3編ともに登場するクロヴィスという貴族の男がなんとも冷酷なやつなんだけど、よく考えると普通の人も心の中では考えても世間体を考えて口には出さないことを言ってるだけなんですよね。だから、日頃腹ふくるる思いでいる凡人はそれを読んですかっとするわけ。このクロヴィスが出てくる作品を集めた短編集があるようなので読んでみようかな。
「人類学講座」と「謎の訪問者」の両方で事件を解決するソーンダイク博士は、どこかで会ったことがあるなあと思っていたら、『世界鉄道推理傑作選1』に収録されていた「オスカー・ブロズキー事件」の主人公でしたね。あれを読んだときには鉄道で旅行するときにまで顕微鏡や試薬の入ったミニチュア実験道具箱を持ち歩いていることに驚きましたが、今回彼が自分の研究室にいる場面を読んで、こういう人ならあれもありだなと思いました。
チェスタトンは、アメリカが代表する大衆主義、商業主義、平等主義なんてものがことごとく嫌いなんだねえ、という感想しか出てこない「主としての店主について」と、その反対にベネットはパリが大好きだったんだねえ、パリにしばらくいれば四角四面で無骨なイギリス人だって素敵なロマンチストになれると信じてたんだねと思える「クラリベル」。どっちもすごく皮肉な話なんだけど、そのベクトルは正反対を向いているようで面白い。
ウルフはね、もうわかりません。「まとめてみれば」は前に翻訳クラスの課題として読んだことがあるのですが、そのときも先生・生徒ともに解釈できない部分が残ったので、この本を読めばすっきりするんじゃないかと思ったのですが、不満が増しただけでした。
もうね、ウルフの短編は日本人は訳さないほうがいいと思う。長編ならたいていの場合は読んでいくうちに解き明かされていくものだけれど、短編は作者のほうで読者に歩み寄るつもりがなかったらまず無理じゃないかな。英語力だけでは翻訳不能なものがあると思う。だれか、中流以上の年配のイギリス人で、英文学に造詣が深く、なおかつ日本語に堪能な人がそういう作品を翻訳してくれないものだろうか。
セイヤーズはウィムジー卿のシリーズは全部読みましたが、他の作品は未読でした。この本に収載されている2編にはどちらもワインのセールスマン・モンティ・エッグ氏が素人探偵として登場します。ことあるごとにセールスマンの手引書からの引用をするのがちょっとうっとうしいのですが、でもまあ、観察力の鋭い、憎めないおじさんです(と思ったら「一人だけ多すぎる」では《金髪の礼儀正しい若者》と表現されていた!)。
自分の同類を愛した男―英国モダニズム短篇集 (20世紀英国モダニズム小説集成)
編者:井伊順彦
訳者:井伊順彦ほか
出版社:風濤社
ISBN:4892193771
by timeturner
| 2014-03-26 19:22
| 和書
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