2014年 03月 20日
猫物語 |
チェーホフ、シュトルム、セイヤーズ、コレット、チャペック、カルヴィーノなど、猫に魅せられた世界の文学者が描きだす不思議な夢の猫世界・・・。猫にまつわる短編13編を集めたアンソロジーです。
怪奇小説寄りのものが多いけれど、世の中には猫を扱った小説はほかにも山ほどあって、ほのぼの幸せな話やキュートなロマンス物やしみじみ泣ける話、心うたれる感動秘話、愉快なミステリーだってあります。でも、総体的に見たとき、やはり怪奇寄りのほうが圧倒的に多いんじゃないかという気がする。国は変われど猫に対するイメージには不思議と共通するものがあって、たいていの人が認めるのはその神秘性だからかな。憧れの対象にもなれば恐怖の的ともなるわけで。
モスクワの魔女と黒猫/アントーニイ・ボゴレーリスキイ(栗原成郎訳) ロシア
ねこ/アントン・П・チェーホフ(池田健太郎訳)ロシア
ブーレマンの家/テーオドール・シュトルム(藤川芳朗訳)ドイツ
キプロスの猫/ドロシー・L・セイヤーズ(海老根宏訳)イギリス
猫の王様/スティーヴン・ヴィンセント・ベネ(中矢一義訳)アメリカ
猫との会話/ヒレア・ベロック(富士川義之訳)イギリス
聖なる猫の家庭生活/アーサー・ワイゴール(富士川義之訳)イギリス
スプーナー/エリナー・ファージョン(篠田綾子訳)イギリス
《ぶるっ》/シドニー=ガブリエル・コレット(山崎剛太郎訳)フランス
牡猫/シドニー=ガブリエル・コレット(山崎剛太郎訳)フランス
死ぬことのない雌猫/カレル・チャペック(千野栄一訳)チェコ
ポドロ/レスリー・P・ハートリー(高橋和久訳)イギリス
がんこなネコたちのいる庭/イターロ・カルヴィーノ(安藤美紀夫訳)イタリア
素朴で民話的な語りが恐ろしさを醸し出す「モスクワの魔女と黒猫」、チェーホフの「ねこ」は艶笑小咄といったところ。怨念渦巻く怪奇小説「ブーレマンの家」にはホフマン風の雰囲気があり、セイヤーズの「キプロスの猫」は古めのイギリス風ゴシック小説ですが、ほのかにエロティシズムも漂います。キプロスの猫というのは猫の種類を表す方言だそうで、いわゆるトラネコ(tabby)のこと。
尻尾のある名指揮者と美しいタイの王女との恋に横恋慕した男の策略を描く「猫の王様」は世界各国に伝わる民話とアメリカの社交界とを結びつけた軽妙洒脱な作品。「聖なる猫の家庭生活」はエジプトで暮らす考古学者が語るエジプト猫の話なのですが、偶然にも先日読んだ『わたしのねこメイベル』のメインテーマとなっているエジプトにおける猫の地位や猫のミイラについて書かれていました。
「スプーナー」はいかにもイギリス人らしいクリケット狂の話。ファージョンは児童文学作家として有名ですが、本人もクリケット狂だったのかな? コレットの2編は雌猫と雄猫それぞれの立場から書かれた合わせ鏡のような掌編ですが、正直言って私には面白いと思えなかった。猫の話というより、猫に人間の恋愛模様を重ねあわせているだけみたいで。さすがフランス人というのか。
「死ぬことのない雌猫」は多産系の雌猫を次々と飼い続ける男をユーモラスに描いたチャペックらしい笑い話ですが、現代人の目から見ると避妊もしないまま次から次へと子どもを産ませる主人公の姿勢に批判がとびそう。飼い猫なのに山ほどノミがたかっているというのも読んでてちょっと寒気がするし。この前読んだ『愛別外猫雑記』の笙野頼子さんが読んだら猫みたいに目を吊り上げて怒りそう。カルヴィーノの「がんこなネコたちのいる庭」は『マルコヴァルドさんの四季』に収録されていたもので、この本では少数派のほのぼの系。
犬のように人間に忠実ではないけれど、つかず離れずの距離を保ちながら人間のそばで暮らしてきた猫がもしこの世から姿を消してしまったら、どれほど索漠とした世界になるだろう、なんて考えてしまいました。
猫物語
作者:アントーニイ・ボゴレーリスキイほか
編訳:富士川義之
出版社:白水社
ISBN:456004287X
怪奇小説寄りのものが多いけれど、世の中には猫を扱った小説はほかにも山ほどあって、ほのぼの幸せな話やキュートなロマンス物やしみじみ泣ける話、心うたれる感動秘話、愉快なミステリーだってあります。でも、総体的に見たとき、やはり怪奇寄りのほうが圧倒的に多いんじゃないかという気がする。国は変われど猫に対するイメージには不思議と共通するものがあって、たいていの人が認めるのはその神秘性だからかな。憧れの対象にもなれば恐怖の的ともなるわけで。
モスクワの魔女と黒猫/アントーニイ・ボゴレーリスキイ(栗原成郎訳) ロシア
ねこ/アントン・П・チェーホフ(池田健太郎訳)ロシア
ブーレマンの家/テーオドール・シュトルム(藤川芳朗訳)ドイツ
キプロスの猫/ドロシー・L・セイヤーズ(海老根宏訳)イギリス
猫の王様/スティーヴン・ヴィンセント・ベネ(中矢一義訳)アメリカ
猫との会話/ヒレア・ベロック(富士川義之訳)イギリス
聖なる猫の家庭生活/アーサー・ワイゴール(富士川義之訳)イギリス
スプーナー/エリナー・ファージョン(篠田綾子訳)イギリス
《ぶるっ》/シドニー=ガブリエル・コレット(山崎剛太郎訳)フランス
牡猫/シドニー=ガブリエル・コレット(山崎剛太郎訳)フランス
死ぬことのない雌猫/カレル・チャペック(千野栄一訳)チェコ
ポドロ/レスリー・P・ハートリー(高橋和久訳)イギリス
がんこなネコたちのいる庭/イターロ・カルヴィーノ(安藤美紀夫訳)イタリア
素朴で民話的な語りが恐ろしさを醸し出す「モスクワの魔女と黒猫」、チェーホフの「ねこ」は艶笑小咄といったところ。怨念渦巻く怪奇小説「ブーレマンの家」にはホフマン風の雰囲気があり、セイヤーズの「キプロスの猫」は古めのイギリス風ゴシック小説ですが、ほのかにエロティシズムも漂います。キプロスの猫というのは猫の種類を表す方言だそうで、いわゆるトラネコ(tabby)のこと。
尻尾のある名指揮者と美しいタイの王女との恋に横恋慕した男の策略を描く「猫の王様」は世界各国に伝わる民話とアメリカの社交界とを結びつけた軽妙洒脱な作品。「聖なる猫の家庭生活」はエジプトで暮らす考古学者が語るエジプト猫の話なのですが、偶然にも先日読んだ『わたしのねこメイベル』のメインテーマとなっているエジプトにおける猫の地位や猫のミイラについて書かれていました。
「スプーナー」はいかにもイギリス人らしいクリケット狂の話。ファージョンは児童文学作家として有名ですが、本人もクリケット狂だったのかな? コレットの2編は雌猫と雄猫それぞれの立場から書かれた合わせ鏡のような掌編ですが、正直言って私には面白いと思えなかった。猫の話というより、猫に人間の恋愛模様を重ねあわせているだけみたいで。さすがフランス人というのか。
「死ぬことのない雌猫」は多産系の雌猫を次々と飼い続ける男をユーモラスに描いたチャペックらしい笑い話ですが、現代人の目から見ると避妊もしないまま次から次へと子どもを産ませる主人公の姿勢に批判がとびそう。飼い猫なのに山ほどノミがたかっているというのも読んでてちょっと寒気がするし。この前読んだ『愛別外猫雑記』の笙野頼子さんが読んだら猫みたいに目を吊り上げて怒りそう。カルヴィーノの「がんこなネコたちのいる庭」は『マルコヴァルドさんの四季』に収録されていたもので、この本では少数派のほのぼの系。
犬のように人間に忠実ではないけれど、つかず離れずの距離を保ちながら人間のそばで暮らしてきた猫がもしこの世から姿を消してしまったら、どれほど索漠とした世界になるだろう、なんて考えてしまいました。
猫物語
作者:アントーニイ・ボゴレーリスキイほか
編訳:富士川義之
出版社:白水社
ISBN:456004287X
by timeturner
| 2014-03-20 19:04
| 和書
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