2014年 01月 30日
小説のように |
マンローは前から読んでみたいと思っていたけど、ほかのものを読むのに追われて後回しにしていたらノーベル賞をとってしまい、図書館の予約数が大変なことに。かなり待ってこれが回ってきた。
なるほどなあ。《短編の女王》という呼び名は当たってると思った。表題作の中で、語り手の女性が手にとった本が長編ではなく短編集であることを知り、「なんだか本の格が落ちるような気が」してがっかりする。「この本の著者は文学の門の内側に安住している存在ではなく、門にしがみついているだけのような気が」するのだ。これって恐らくマンローが周囲から与えられてきた評価を皮肉っているんだろうなあと思いながら、自分もそういう世間の一部であったことを後ろめたく思った。
ごく最近まで、短編には興味がなかった。長編と違って読み応えがないし、中途半端に置いてきぼりにされるようなものが多いし、作家が短編を書くのはてっとり早く収入を得たいか、ちゃんとした長編を書く意欲や能力がないからだろうなんて思ってた。
さすがに意欲や能力うんぬんは大人になってからは考えなかったけれど、短編作品を心から凄いと思うようになったのは翻訳の勉強をするようになり、それまでだったら読み飛ばしていた部分をゆっくり味わうようになってからだと思う。それでもまだ速読の悪い癖が抜けず、ときどき「待て待て、もっとゆっくり味わいなさい」と自分を戒めることが多いのだけれど。
でも、マンローの作品って、過去の私が読んでも不満を感じなかったんじゃないかな。中途半端なところは微塵もないし、これ以上長くても短くても作品の質が失われるであろう、ギリギリのところで完成されているんだから。最後の一編を除けば、ごくありふれた市井の人の、ごくありふれた人生――「次元」のように終盤で思いがけなくもスキャンダラスな要素に驚かされることはあっても――の一部を切り取った内容がほとんどなのに、そこに詰めこまれている情念は繊細でありながら強大で、自分を戒める必要もなく、一編ずつゆっくりと味わうしかないようになっていた。重い、というわけではないんだけど(決して軽くはないが)、一度に大量摂取はできない、年代物のワインみたいな感じ。
そして研ぎ澄まされた言葉たち。わかりやすいのに決して陳腐ではない。「女たち」での「ほとんど消滅しかかっている賞品」とか、「子供の遊び」の「子供というのは、毎年違った人間になる」なんて、うひゃあってなった。翻訳も巧いからですよね。
最後の一編だけ異色で、実在の数学者・小説家であったロシア人のソフィア・コワレツスカヤの伝記の形になっているけど、これもやはり、何かを得るかわりに何かを失った女が、それを人生の後半生で取り戻そうとしているかのようだ。
でも、この人の小説、男性が読んで面白いのかな、とちょっと思った。
小説のように (新潮クレスト・ブックス)
原題:Too Much Happiness
作者:アリス・マンロー
訳者:小竹由美子
出版社:新潮社
ISBN:4105900885
なるほどなあ。《短編の女王》という呼び名は当たってると思った。表題作の中で、語り手の女性が手にとった本が長編ではなく短編集であることを知り、「なんだか本の格が落ちるような気が」してがっかりする。「この本の著者は文学の門の内側に安住している存在ではなく、門にしがみついているだけのような気が」するのだ。これって恐らくマンローが周囲から与えられてきた評価を皮肉っているんだろうなあと思いながら、自分もそういう世間の一部であったことを後ろめたく思った。
ごく最近まで、短編には興味がなかった。長編と違って読み応えがないし、中途半端に置いてきぼりにされるようなものが多いし、作家が短編を書くのはてっとり早く収入を得たいか、ちゃんとした長編を書く意欲や能力がないからだろうなんて思ってた。
さすがに意欲や能力うんぬんは大人になってからは考えなかったけれど、短編作品を心から凄いと思うようになったのは翻訳の勉強をするようになり、それまでだったら読み飛ばしていた部分をゆっくり味わうようになってからだと思う。それでもまだ速読の悪い癖が抜けず、ときどき「待て待て、もっとゆっくり味わいなさい」と自分を戒めることが多いのだけれど。
でも、マンローの作品って、過去の私が読んでも不満を感じなかったんじゃないかな。中途半端なところは微塵もないし、これ以上長くても短くても作品の質が失われるであろう、ギリギリのところで完成されているんだから。最後の一編を除けば、ごくありふれた市井の人の、ごくありふれた人生――「次元」のように終盤で思いがけなくもスキャンダラスな要素に驚かされることはあっても――の一部を切り取った内容がほとんどなのに、そこに詰めこまれている情念は繊細でありながら強大で、自分を戒める必要もなく、一編ずつゆっくりと味わうしかないようになっていた。重い、というわけではないんだけど(決して軽くはないが)、一度に大量摂取はできない、年代物のワインみたいな感じ。
そして研ぎ澄まされた言葉たち。わかりやすいのに決して陳腐ではない。「女たち」での「ほとんど消滅しかかっている賞品」とか、「子供の遊び」の「子供というのは、毎年違った人間になる」なんて、うひゃあってなった。翻訳も巧いからですよね。
次元 Dimensionsほとんどの作品で語り手たちは大切なものを理不尽に、でも、実際には彼らも無意識に手を貸して、奪われるのだけれど、それを取り戻そうとするやり方がちょっと普通とは違う。しかも、ひとひねりもふたひねりもある。読者は「おやおや、あれあれ」と流されて、気がつくと遠いはるかな岸辺まで連れて行かれている。
小説のように Fiction
ウェンロック・エッジ Wenlock Edge
深い穴 Deep-Holes
遊離基 Free Radicals
顔 Face
女たち Some Women
子供の遊び Child's Play
木 Wood
あまりに幸せ Too Much Happiness
最後の一編だけ異色で、実在の数学者・小説家であったロシア人のソフィア・コワレツスカヤの伝記の形になっているけど、これもやはり、何かを得るかわりに何かを失った女が、それを人生の後半生で取り戻そうとしているかのようだ。
でも、この人の小説、男性が読んで面白いのかな、とちょっと思った。
小説のように (新潮クレスト・ブックス)
原題:Too Much Happiness
作者:アリス・マンロー
訳者:小竹由美子
出版社:新潮社
ISBN:4105900885
by timeturner
| 2014-01-30 20:19
| 和書
|
Comments(2)
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by
八朔
at 2014-02-03 22:43
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カルチャーセンターから、「アリス・マンローとその作品」 という講座の紹介メールが着て、アリス・マンロー?、どこかでみた気がする、そうだ、このブログだ、と思い当りました。
time turnerさん、私が、読んでみたいなあ、と、思うと、もうすでに、ブログで紹介してくださっていて、ありがたいです。
私も図書館に予約を入れてみます。
time turnerさん、私が、読んでみたいなあ、と、思うと、もうすでに、ブログで紹介してくださっていて、ありがたいです。
私も図書館に予約を入れてみます。
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timeturner at 2014-02-04 18:48
そのお知らせ、うちにも2回くらい来てました(^^;)。やはりノーベル賞というのは人の注目をひきつける良いアイキャッチャーになるんでしょうね。図書館の予約数からしてそれを証明してますよね。マンローは『ディア・ライフ』がいちばん最新の作で、評判がいいのは『イラクサ』らしいです。その分、予約数も多いけど。