2013年 07月 20日
森鴎外集 鼠坂―文豪怪談傑作選 |
同時代のヨーロッパで書かれた怪異奇想小説を誰よりも早く日本に紹介していた鴎外は、同時に自らも好んで怪談奇談のたぐいを書いていたらしい。死霊の復讐、旧家に蟠る怨念、分身譚、神仏の祟りなど多彩な創作怪談と翻訳怪奇小説を集めた短編集。
ポーの『病院横町の殺人犯』を読んだときも巧いなあと思いましたが、ここに収録されている翻訳もどれも素晴らしい。翻訳くささがまったくない。言葉の使い方が絶妙。ショルツの戯曲「負けたる人」の自序の部分なんて、よく考えると何が書いてあるのかよくわからないのに(!)文字を追っているだけでうっとりしてしまいます。おそらく原文のそれを生かしているのだと思いますが、リズミカルでもある。写経がわりにちょっと長く引用。
「金毘羅」は二人の子どもが重病に罹った父親の心の動きを描いたもので、おそらく実話を元にしたものと思われます。二人の子のモデルは鴎外の長女・茉莉と次男・不律でしょう。それだけに冷酷と思えるほど淡々とした筆運びなのですが、子煩悩だった鴎外らしい子を思う気持ちがその底からあふれていて、胸に迫るものがあります。
もうひとつ、明らかに自らを主人公にしていると思われる「不思議な鏡」は魂が肉体から離れて、どこかにある文学者が集う家に吸い寄せられて晒し者にされるという、ヨーロッパの心霊術に感化されたような話で、上の作品とは違い軽く滑稽に書かれてはいるのですが、全体を流れる自嘲というか、自信のなさに驚かされます。
森鴎外集 鼠坂―文豪怪談傑作選 (ちくま文庫)
編者:東 雅夫
訳者:森 鴎外
出版社:筑摩書房
ISBN:4480422420
ポーの『病院横町の殺人犯』を読んだときも巧いなあと思いましたが、ここに収録されている翻訳もどれも素晴らしい。翻訳くささがまったくない。言葉の使い方が絶妙。ショルツの戯曲「負けたる人」の自序の部分なんて、よく考えると何が書いてあるのかよくわからないのに(!)文字を追っているだけでうっとりしてしまいます。おそらく原文のそれを生かしているのだと思いますが、リズミカルでもある。写経がわりにちょっと長く引用。
彼誰時(かわたれどき)である。戸の外の日がもう褪めて白けて来る。家々が凍った霧のようにきらめいている。ものによっては翻訳物とは思えなくて、明治か大正の日本を舞台に日本人が書いた小説なんじゃないかと思えるものもあります。これこそが理想の翻訳なんでしょうね。作者が日本語で書いたように訳すという。そうかと思うと、これは翻訳だなと思いながら読んでいると、実は鴎外のオリジナルだったりして、こういうのってつまりは、ものすごい想像力と外国語の読解力、そして究極の日本語力がなければ無理な仕事で、いやはや恐れ入りました。
霜を送る風が地を這って来る。この灰色の彼誰時に、己(おれ)のランプがこんもりと、温に燃えている。
己は「日の楽(たのしみ)」を己の臂(ひじ)で抱いていて、己の目を彼の蒼ざめた口の上に息(やす)ませている。
影の木々が忽ち音もなく闇のうちに這入ってしまう。おう美しい。己のランプの初の光。お前は己の部屋から彼誰時のきらめきの中へ差しているね。
己は酔った花の育つように、白髪になった日の中から、光を一ぱい受けて育った。己は静に船の艪を動かして、海原が軟かい赤みを見せて照っている時、「夕」の岩に漕付けた。そして今、北の国の神話にある英雄のように偉大に立っていて、陸も水も休んでいる時、濃藍色(こいあいいろ)の眠の広い国を守って、そして人間というもののする、あらゆる浮世の為草(しぐさ)を飛び越して、はにかんでいる星の花を摘みに行く。
己は日の中から太陽を一つ持って来た。それが今恵のある静な明りを放って、沈み行く闇の深い荊を、人の丈ほど照している。そこで己はその荊の中の棘や果(このみ)や美しい花を一度に見渡す。己の光は生れる詩から差しているのである。
なぜと云うのに、あらゆる日という日は、沈み行く夕に仕えるのである。昇り行く夕に仕えるのである。夕というものは深い影を落す翼で羽ばたきして、世に苦労をさせるものを取ってしまうのである。夕というものは、星の群の家を立てて、泉の水を湧き立たせるのである。この夕というものに日が昇って行くのは、丁度?(ささや)く大理石の薄明かりへ、かがやく階段を踏せて、白い裾を曳いた僧を連れて行って、琴を弾かせるようなものである。
常談(ファルケ)ダンセイニの作品は怪談ではなく、ブラックユーモアっぽいコメディ戯曲なんですが、そういうのがいちばん訳すの難しいじゃないですか。それをさらっと、まったく不自然さのない日本語でちゃんと日本人にも笑えるように訳してある。ほかにも怪談、怪奇小説のジャンルからは外れるものがけっこうありますが、いずれも面白く読み応えがあります。いちばんホラーっぽいのは「刺絡」。いわゆるドラキュラ物ですが、にんにくや十字架など魔よけ的なものがいっさい効かないのでめちゃくちゃ怖い。
正体(フォルメラー)
佐橋甚五郎
二髑髏(ミョリスヒョッフェル)
魔睡
負けたる人(ショルツ)
金毘羅
刺絡(シュトローブル)
鼠坂
破落戸【ごろつき】の昇天(モルナール)
蛇
忘れて来たシルクハット(ダンセイニ)
影/影と形
心中
己【おれ】の葬【とぶらい】(エーヴェルス)
不思議な鏡
分身(ハイネ)
百物語
「我百首」より二十五首
「金毘羅」は二人の子どもが重病に罹った父親の心の動きを描いたもので、おそらく実話を元にしたものと思われます。二人の子のモデルは鴎外の長女・茉莉と次男・不律でしょう。それだけに冷酷と思えるほど淡々とした筆運びなのですが、子煩悩だった鴎外らしい子を思う気持ちがその底からあふれていて、胸に迫るものがあります。
もうひとつ、明らかに自らを主人公にしていると思われる「不思議な鏡」は魂が肉体から離れて、どこかにある文学者が集う家に吸い寄せられて晒し者にされるという、ヨーロッパの心霊術に感化されたような話で、上の作品とは違い軽く滑稽に書かれてはいるのですが、全体を流れる自嘲というか、自信のなさに驚かされます。
そのせいでもあるか、己の書くものは随分悪く言われる。穴の半分あいているのが人に見えるのかも知れない。書くものに「情」がないそうだ。情が半分の穴から抜けて出たのかと思えば、そうではないそうだ。元から無いのだそうだ。こんなことを書いているのは、おそらく発表した作品に対して批評家たちからこんなふうに言われたのでしょうね。この「情」のなさについてはずいぶん気にしているらしく、何度も出てきます。また、本代が嵩んで大変だ、特に洋書の購入数が半端じゃないと言って嘆く妻に主人公はこう言い訳します。
「そうだろう。しかしそれは為方がない。あれは己の智慧が足りないから、西洋から借りて来るのだ。どうせ借物をしていては、自分で考え出す人には敵わないが、どうもあれがなくては、己の頭の中の遣繰が旨く附かないからなあ」晒し者になっている主人公を評してこんな会話も交わされます。
「あれで翻訳は旨いのだと云うじゃありませんか」いやあ、あの森鴎外がこんなふうにちまちま悩んでいたのかと思うとちょっとなごみますね。いや、スタンダードが高いからなわけですけど。
「そうですってねえ。だけれどわたし翻訳物は詰まらないから、読まないわ」
「なに。古株だと云う丈ですよ。脚本なんぞは下手長くて、間があくのです」
「一字も残さないように訳するので、長くなるのだと云うことだ」
「では忠実なのね」
「ところが臆病なのです。誤訳だと云って、指摘されないようにするから、長くなります」
「夜寝ないそうです」
「まあ、変人ね」
「細君の小説も書いて遣るのだと云うじゃないか」
「あら、嘘よ。奥さんの方が余っ程旨いわ」
森鴎外集 鼠坂―文豪怪談傑作選 (ちくま文庫)
編者:東 雅夫
訳者:森 鴎外
出版社:筑摩書房
ISBN:4480422420
by timeturner
| 2013-07-20 20:19
| 和書
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