2012年 12月 16日
にょっ記 |
ごくふつうの生活を送っているのに、なぜか見えてしまう、聞こえてしまうおかしなこと。『にょにょっ記』に引き続き、これまた大爆笑のエッセイでした。いや、むしろこっちが最初なんだから、「引き続き」というのは変か。
この人のすごいところって、ふつうだったら流してしまう微妙な部分を決して見逃さずにつかまえ、それを実に適正なサイズで読者に提供するという才能ですね。だれだって普通に生きていれば、ここに書いてあるような「ちょっと変」なことには遭遇すると思うんですよ。でも、それを覚えていられないし、こんなふうに巧く表現できない。フジモトマサルの挿絵も絶妙な組合せ。
お笑いではないんだけど、自分でもなんとなく感じていたことが書いてあって妙に納得したところを抜粋。
にょっ記
作者:穂村 弘
イラスト:フジモト マサル
出版社:文藝春秋
ISBN:4163247408
この人のすごいところって、ふつうだったら流してしまう微妙な部分を決して見逃さずにつかまえ、それを実に適正なサイズで読者に提供するという才能ですね。だれだって普通に生きていれば、ここに書いてあるような「ちょっと変」なことには遭遇すると思うんですよ。でも、それを覚えていられないし、こんなふうに巧く表現できない。フジモトマサルの挿絵も絶妙な組合せ。
お笑いではないんだけど、自分でもなんとなく感じていたことが書いてあって妙に納得したところを抜粋。
散歩をしていて、いつ休憩をとるべきか迷う。
休憩とはカフェでお茶を飲むことだ。
そのタイミングが遅すぎると、休んでも足の疲れがあまり回復しない。
早すぎると、二回休憩をとることになる。
そろそろだ、と思ったときに、ちょうどカフェがあるとも限らない。
休憩は難しい。
(中略)
再び歩き出すまで、休憩によって自分がどれくらい回復したか、はっきりとはわからない。
自分なのにわからない。
にょっ記
作者:穂村 弘
イラスト:フジモト マサル
出版社:文藝春秋
ISBN:4163247408
by timeturner
| 2012-12-16 18:49
| 和書
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