2012年 08月 28日
ナチスのキッチン 「食べること」の環境史 |
ナチスによる支配体制下で人間と食をめぐる関係には何が生じたのか? 台所とは、そのままでは外界にある栄養源を体内にとりこむことができない人間の外部器官である、という視点から、19世紀中頃から1945年までの百年間、特に両大戦の時期とそれに挟まれた戦間期のドイツに焦点をあてて考察する現代史。
読み始めてまず感じたのが「わかりやすい!」。この手の本ってたいてい読みにくくて、一度読んだだけでは理解できなかったりするじゃないですか。どうしてだろうと考えて気がついた。日本人が書いてるからですよね。そういえば『大英帝国衰亡史』も読みやすかったもんなあ。
『暖房の文化史―火を手なずける知恵と工夫』は主にイギリスでの火まわりの話に付随して台所のこともずいぶん出てきたなあと思い出しながら読みました。ドイツでもイギリスでも第二次世界大戦中には国民が耐乏生活を強いられたわけですが、むしろ日本との共通点を感じてしまう。『小さいおうち』でも婦人雑誌がどんどん軍部の意向に沿った内容に変わっていく様子が書かれていましたよね。まさにああいう状況。ファシズム、軍国主義のもとでは男も女も子どももみんな国家に取り込まれずにはいられない。
恐ろしいなあと思ったのは、ヒトラーが政権をとってから、つまり戦争が始まる前から戦時を想定して自給自足が可能な国家を目指して全国民にあらゆる面から統制を強制していたこと。しかもそれが最もプライベートな場所である家庭の台所にまでおしつけられたことです。
ドイツでは「マイスター主婦」という制度がヴァイマル時代からあったのですが、それをナチスは本格的に制度化し、マイスター主婦に家事教育の指導を担わせようと考えました。マイスター主婦になるには、少なくとも五年以上の家事の経験を積み、それを効率的に行う能力をもち、できれば中等教育を卒業していることが望まれます。一連の課程を終えると試験を受け、合格したものが国家に承認されて「家政学のマイスター」になることができます。こうやってそれまでは「主婦」とひとくくりにされていた女性たちにヒエラルキーを設け、競争心を煽り、家事技術を向上させようという目論みです。マイスター主婦たちは、各地域の母親学級や家事の講習会で講師を務めたり、政府機関に協力して家政に関する助言を行ったりしました。
台所に関わるナチスの戦略で有名なのは「無駄なくせ闘争」です。名前からして猛々しいですが、この闘争にあたって主婦向けに出された闘争の十ヶ条なるものがあります。
副題にあるようにこの本は各種資料をもとに積み上げた「環境史」なわけですから、特になんらかの主義主張が必要とも思えないのですが、著者は最後の章で未来の台所はどうあるべきかという点についても考察しています。どうやらかつてアメリカやドイツで実践されたものの失敗に終わった集団食堂に希望を託しているようです。ひとり暮らしの老人や結婚しない若者が増え、個食や孤独死が問題となっている現代日本ではひとつの可能性として見てもいいのかもしれません。
あ、そういえば前に見た映画「キッチン・ストーリー」。あれもこの本の中身と関係していたのかも。
ナチスのキッチン
作者:藤原辰史
出版社:水声社
ISBN:4891769009
読み始めてまず感じたのが「わかりやすい!」。この手の本ってたいてい読みにくくて、一度読んだだけでは理解できなかったりするじゃないですか。どうしてだろうと考えて気がついた。日本人が書いてるからですよね。そういえば『大英帝国衰亡史』も読みやすかったもんなあ。
『暖房の文化史―火を手なずける知恵と工夫』は主にイギリスでの火まわりの話に付随して台所のこともずいぶん出てきたなあと思い出しながら読みました。ドイツでもイギリスでも第二次世界大戦中には国民が耐乏生活を強いられたわけですが、むしろ日本との共通点を感じてしまう。『小さいおうち』でも婦人雑誌がどんどん軍部の意向に沿った内容に変わっていく様子が書かれていましたよね。まさにああいう状況。ファシズム、軍国主義のもとでは男も女も子どももみんな国家に取り込まれずにはいられない。
序章 台所の環境思想史フォルクスワーゲン(ビートル)がヒトラーがポルシェに委託して大量生産可能な大衆車をめざして作らせた民衆車(フォルクスワーゲン)だということもさることながら、それ以外に民衆受信機(ラジオ)、民衆ミシン、民衆トラクター、民衆自転車、民衆冷蔵庫、果ては民衆ガスマスクといったものまで研究されていたというのは初めて知りました。成功したものはラジオくらいのようですが、これらすべてが「民族共同体」という名のもとで行われたわけです。
第1章 台所空間の「工場」化 建築課題としての台所(火を人間の住まいのなかに囲うための建築技法)
第2章 調理道具のテクノロジー化 市場としての台所(生きものを食べやすいように加工する調理テクノロジー)
第3章 家政学の挑戦(第2章を科学の側面からバックアップする家政学)
第4章 レシピの思想史(食材を加工するための調理術の蓄積としてのレシピ)
第5章 台所のナチ化 テイラー主義の果てに(台所から定点観測的に分析するナチ期の食政策)
終章 来たるべき台所のために
恐ろしいなあと思ったのは、ヒトラーが政権をとってから、つまり戦争が始まる前から戦時を想定して自給自足が可能な国家を目指して全国民にあらゆる面から統制を強制していたこと。しかもそれが最もプライベートな場所である家庭の台所にまでおしつけられたことです。
ドイツでは「マイスター主婦」という制度がヴァイマル時代からあったのですが、それをナチスは本格的に制度化し、マイスター主婦に家事教育の指導を担わせようと考えました。マイスター主婦になるには、少なくとも五年以上の家事の経験を積み、それを効率的に行う能力をもち、できれば中等教育を卒業していることが望まれます。一連の課程を終えると試験を受け、合格したものが国家に承認されて「家政学のマイスター」になることができます。こうやってそれまでは「主婦」とひとくくりにされていた女性たちにヒエラルキーを設け、競争心を煽り、家事技術を向上させようという目論みです。マイスター主婦たちは、各地域の母親学級や家事の講習会で講師を務めたり、政府機関に協力して家政に関する助言を行ったりしました。
台所に関わるナチスの戦略で有名なのは「無駄なくせ闘争」です。名前からして猛々しいですが、この闘争にあたって主婦向けに出された闘争の十ヶ条なるものがあります。
一 「無駄なくせ闘争」は民族の価値ある財産を救う。食糧の自由に貢献する。表現のおどろおどろしさを除けば、意外に今の時代にも要求されることが書かれているような気がするのですが、最初に読んだときに吹きだしてしまった七条は、ナチスドイツがユダヤ人を「寄生虫」と呼んでいたことを思い起こすと、にわかに鳥肌が立つような一文になります。
二 勤勉な主婦であれば、食べものをけっして無駄にしない。
三 いつも、旬のもの、ドイツの土地で収穫したものを買え。
四 手塩にかけて育てられた農作物を購入する人は、それを適価で購入することによって、質の高いドイツの農業生産に貢献するのだ。
五 必要以上に作物が生産され、台所、地下貯蔵庫、食糧倉庫において食べものを傷みから守ることができる場合にかぎり、買いだめをせよ。
六 汝が買いだめしたものを、宿敵たち、つまり汚れ、暑さ、霜、害虫から、日夜防御せよ。
七 出現したすべての有害生物と即座に、そして精力的に戦え。なぜなら、その有害生物から百万の破壊者が生まれるからだ。
八 愛は食事によって表現できる。そのために、食事は丹精込めて、十分な理解をもったうえで、調理せよ。
九 良き主婦は、食材の残りを目的に応じて再利用する。それによって家事に費やされるお金を蓄えよ。
十 無駄なくせ闘争は、ドイツ民族が作った収穫物への感謝なのだ。
副題にあるようにこの本は各種資料をもとに積み上げた「環境史」なわけですから、特になんらかの主義主張が必要とも思えないのですが、著者は最後の章で未来の台所はどうあるべきかという点についても考察しています。どうやらかつてアメリカやドイツで実践されたものの失敗に終わった集団食堂に希望を託しているようです。ひとり暮らしの老人や結婚しない若者が増え、個食や孤独死が問題となっている現代日本ではひとつの可能性として見てもいいのかもしれません。
あ、そういえば前に見た映画「キッチン・ストーリー」。あれもこの本の中身と関係していたのかも。
ナチスのキッチン
作者:藤原辰史
出版社:水声社
ISBN:4891769009
by timeturner
| 2012-08-28 22:54
| 和書
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