2012年 07月 09日
ことばと文化 |
文化が違えばことばも異なり、その用法にも違いがある。ことばが文化と社会の構造によってどのように規制されているかを具体的に検証し、ことばのもつさまざまな性質を鋭くえぐり出す、ことばに興味をもつ人のための入門書。
前に読んだ『日本語と外国語』は、日本語と外国語で同じものをさしていると思われる言葉でも、よく調べてみると大きな違いがあることを中心に、その違いをあれこれ示しながら、日本語の特長を改めて考えさせる内容でしたが、この本では日本語と外国語(おもにインド・ヨーロッパ語族)の違いはどこから来ているのか、意識のレベルまで掘り下げて考えていきます。
時に哲学的、心理学的とも思える記述も出てきますが、新書という性質上、あまり専門的なところにまで踏み込むことなく、とてもわかりやすく、かつ興味深く解説してくれていて、読んでいる間ずっと「なるほど~」とうなずいてばかりでした。
特に面白かったのは最終章の「人をあらわすことば」。いわゆる人称代名詞です。日本には正確な意味での人称代名詞はなかった、というのは翻訳のクラスでも何度か耳にしましたが、著者は日本語にあるのは人称代名詞ではなく自称詞と他称詞であると言います。そして、「日本語ではすべての自称詞、他称詞が人間関係の上下の分極に基づいた具体的な役割の確認とつながってい」て、自称詞と他称詞の選び方にかかわる自己規定が、相対的で対象依存的な性格をもっていると主張します。
インド・ヨーロッパ語のひとつである英語では、相手が誰であろうと、たとえ不在であろうと、話し手である「I」がまずあって、これは自分が話し手であることを明示する機能でしかないのだけれど、日本語の自称詞は相手が誰かによって私、ぼく、パパ、おじさん、おねえさんなどさまざまな形のどれかに決まります。目上の人と話すときは「私」、同輩や目下には「ぼく」、自分の子供には「パパ」、親戚の子、あるいは他人の子供には「おじさん」「おねえさん」となるわけです。逆に、相手がどういう立場の人間か規定できない状況ではどう話してよいのか途方にくれてしまう。
そして日本では、人間関係の中でも生得的的な役割(年齢、性別、社会的身分)のほうが、獲得的なもの(結婚のように契約で結ばれる不安定な関係)よりも優位に立つ傾向があるという。だから、結婚した夫婦がはじめは相手の名前で呼び合っていたのが、子供が生れたとたんにお互いを「パパ」「ママ」と呼ぶようになるのですね。獲得的なものが優位に立つアメリカでは、夫婦はいつまでも名前で呼び合いますし、かつては師弟の関係だった相手でも、弟子が出世して同僚になればファーストネームで呼び合うようになる。
どちらがいいとか悪いとかいうのではなく、こうしたことを知っていると英語も日本語もより深く理解できるようになると思いました。
ことばと文化
作者:鈴木孝夫
出版社:岩波書店
ISBN:4004120985
前に読んだ『日本語と外国語』は、日本語と外国語で同じものをさしていると思われる言葉でも、よく調べてみると大きな違いがあることを中心に、その違いをあれこれ示しながら、日本語の特長を改めて考えさせる内容でしたが、この本では日本語と外国語(おもにインド・ヨーロッパ語族)の違いはどこから来ているのか、意識のレベルまで掘り下げて考えていきます。
時に哲学的、心理学的とも思える記述も出てきますが、新書という性質上、あまり専門的なところにまで踏み込むことなく、とてもわかりやすく、かつ興味深く解説してくれていて、読んでいる間ずっと「なるほど~」とうなずいてばかりでした。
特に面白かったのは最終章の「人をあらわすことば」。いわゆる人称代名詞です。日本には正確な意味での人称代名詞はなかった、というのは翻訳のクラスでも何度か耳にしましたが、著者は日本語にあるのは人称代名詞ではなく自称詞と他称詞であると言います。そして、「日本語ではすべての自称詞、他称詞が人間関係の上下の分極に基づいた具体的な役割の確認とつながってい」て、自称詞と他称詞の選び方にかかわる自己規定が、相対的で対象依存的な性格をもっていると主張します。
インド・ヨーロッパ語のひとつである英語では、相手が誰であろうと、たとえ不在であろうと、話し手である「I」がまずあって、これは自分が話し手であることを明示する機能でしかないのだけれど、日本語の自称詞は相手が誰かによって私、ぼく、パパ、おじさん、おねえさんなどさまざまな形のどれかに決まります。目上の人と話すときは「私」、同輩や目下には「ぼく」、自分の子供には「パパ」、親戚の子、あるいは他人の子供には「おじさん」「おねえさん」となるわけです。逆に、相手がどういう立場の人間か規定できない状況ではどう話してよいのか途方にくれてしまう。
そして日本では、人間関係の中でも生得的的な役割(年齢、性別、社会的身分)のほうが、獲得的なもの(結婚のように契約で結ばれる不安定な関係)よりも優位に立つ傾向があるという。だから、結婚した夫婦がはじめは相手の名前で呼び合っていたのが、子供が生れたとたんにお互いを「パパ」「ママ」と呼ぶようになるのですね。獲得的なものが優位に立つアメリカでは、夫婦はいつまでも名前で呼び合いますし、かつては師弟の関係だった相手でも、弟子が出世して同僚になればファーストネームで呼び合うようになる。
どちらがいいとか悪いとかいうのではなく、こうしたことを知っていると英語も日本語もより深く理解できるようになると思いました。
ことばと文化
作者:鈴木孝夫
出版社:岩波書店
ISBN:4004120985
by timeturner
| 2012-07-09 19:24
| 和書
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