2011年 11月 05日
目標(ゴール) |
英語に興味のある何人かで話をしていたときのこと。それぞれに色々な方法で学習していて、へえっと思うことも多く楽しかったのですが、私が翻訳にハマっている話をしたら「目標は?」と聞かれました。そのときは頭に何も浮かばなかったので「目標はないの。ただひたすら楽しいだけで」と答えたのですが、その後ひとりになって本当にそうなのだろうか?と考えてみました。
英会話学校に通っていた頃は「海外旅行のとき不自由しない程度になりたい」⇒「現地の人とお喋りできる程度になりたい」⇒「ある程度知的な会話もできるようになりたい」と、漠然とはしていましたけどその時々に目標があったような気がします。
でも、翻訳の場合はどうなんだろう? 私の場合は翻訳家になりたいという気持ちはないので、そもそも基本の部分で取り組み方が甘いんですが、かといって「上手に訳せるようになる」というのが目標というのも気恥ずかしい。そんなことはプロの翻訳家だっておそらく心の中では常に考えていることで、目標とは違うような気がする。
結局、この前読んだ『英語は女を救うのか』にあったように、英語を生産財と考えるか消費財と考えるかの違いなのかな。生産財なら投資の目標が必要だけれど、消費財ならただ享楽するだけだからね。
うーん、でも楽しいという理由だけで予習やら復習やら宿題やらをこの私がこれほどがんばってやるというのも説明がつかない。なにしろ勤勉とかガリ勉といった言葉とは無縁の学生時代だったのですから。
達成感かな? 英作文の宿題で先生の直しが少なかったとき、どうしても解釈できなかった英文があるときふっともつれた糸がほどけるようにわかったとき、あれこれ頭を悩ました末にぴったりと思える訳語を思いついたとき、そんなときに感じる達成感が麻薬みたいに作用するのかな。もっとも訳語に関しては「やった!」と思った翌日に読み返すとまるでダメダメだったりすることが多いのですが。
でも仕事だってウォーキングだって、どんなことにも成し遂げたときの達成感というのはありますよね。どうして「翻訳」だけ特別なんだろう?
英会話学校に通っていた頃は「海外旅行のとき不自由しない程度になりたい」⇒「現地の人とお喋りできる程度になりたい」⇒「ある程度知的な会話もできるようになりたい」と、漠然とはしていましたけどその時々に目標があったような気がします。
でも、翻訳の場合はどうなんだろう? 私の場合は翻訳家になりたいという気持ちはないので、そもそも基本の部分で取り組み方が甘いんですが、かといって「上手に訳せるようになる」というのが目標というのも気恥ずかしい。そんなことはプロの翻訳家だっておそらく心の中では常に考えていることで、目標とは違うような気がする。
結局、この前読んだ『英語は女を救うのか』にあったように、英語を生産財と考えるか消費財と考えるかの違いなのかな。生産財なら投資の目標が必要だけれど、消費財ならただ享楽するだけだからね。
うーん、でも楽しいという理由だけで予習やら復習やら宿題やらをこの私がこれほどがんばってやるというのも説明がつかない。なにしろ勤勉とかガリ勉といった言葉とは無縁の学生時代だったのですから。
達成感かな? 英作文の宿題で先生の直しが少なかったとき、どうしても解釈できなかった英文があるときふっともつれた糸がほどけるようにわかったとき、あれこれ頭を悩ました末にぴったりと思える訳語を思いついたとき、そんなときに感じる達成感が麻薬みたいに作用するのかな。もっとも訳語に関しては「やった!」と思った翌日に読み返すとまるでダメダメだったりすることが多いのですが。
でも仕事だってウォーキングだって、どんなことにも成し遂げたときの達成感というのはありますよね。どうして「翻訳」だけ特別なんだろう?
by timeturner
| 2011-11-05 22:09
| 学習
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Comments(2)