2011年 08月 25日
クオレ |
19世紀後半の北イタリア。小学4年の少年エンリコが学校での出来事と担任の先生が毎月話してくれる物語を書きつけた日記という形で、友情、正義、思いやりなど人間にとって大切なことを学んでいく様子を描く。
1886年に書かれたもので、しかも作者は愛国者として知られた教育者だったそうですので、お説教臭い部分や愛国主義的な部分はもちろんあります。でも、部分をすべて差し引いてもお釣りがくるだけの素晴らしい内容です。
力が強く思いやりにあふれたガロン、熱心に家の手伝いをする明るい少年コレッチ(この子はいつも猫の皮の帽子をかぶっているというんだけど本当に猫の皮?!)、酒に溺れた父親をかばうプレコシなど、貧しくても心までは蝕まれることのないけなげな子供たちが、かばいあい、お互いを認めながら成長していく姿になんだかほっとしてしまいます。
良い子たちばかりではなく、高慢ちきな子、根性の曲がった子、儲けることばかり考えてる子など、問題を抱えた子たちもちゃんといて、そうしたすべての子たちを含めてひとつのクラスが存在していることを主人公が認識していくあたりも現実から乖離していなくていい。というか、今の子供たちにこそ読んでほしい内容だなあ。
先生が話す物語の中にはかの有名な「母をたずねて三千里」もあり、懐かしかった。『クオレ』は小学生の頃に偕成社の「児童世界文学全集」の1冊として読んでいるのですが、覚えていたのはこの挿話だけでした。
この本、かなり古いです。といっても昭和二年発行ですが、表紙の絵やデザインはいわゆる大正モダンの雰囲気ですよね。ほかの四冊とともに骨董市で買いました。買った時は撮影の小道具にするつもりだったのですが、今になって急に思い立ち読んでみたら面白いじゃないですか。というか、こんな子供向けの話の翻訳が菊池 寛って贅沢じゃないですか? 上記の「児童世界文学全集」の巻末広告を見たら、『クオレ物語』の翻訳は佐藤春夫でした。これも凄いなあ。『宝島』は大佛次郎、『家なき子』は川端康成ですよ。この全集、神話の巻2冊を除いてすべて捨ててしまったのは惜しかったと今にして思う。
原題:Cuore
作者:エドモンド・デ・アミーチス
訳者:菊池 寛
出版社:文芸春秋
ISBN:なし
1886年に書かれたもので、しかも作者は愛国者として知られた教育者だったそうですので、お説教臭い部分や愛国主義的な部分はもちろんあります。でも、部分をすべて差し引いてもお釣りがくるだけの素晴らしい内容です。
力が強く思いやりにあふれたガロン、熱心に家の手伝いをする明るい少年コレッチ(この子はいつも猫の皮の帽子をかぶっているというんだけど本当に猫の皮?!)、酒に溺れた父親をかばうプレコシなど、貧しくても心までは蝕まれることのないけなげな子供たちが、かばいあい、お互いを認めながら成長していく姿になんだかほっとしてしまいます。
良い子たちばかりではなく、高慢ちきな子、根性の曲がった子、儲けることばかり考えてる子など、問題を抱えた子たちもちゃんといて、そうしたすべての子たちを含めてひとつのクラスが存在していることを主人公が認識していくあたりも現実から乖離していなくていい。というか、今の子供たちにこそ読んでほしい内容だなあ。
先生が話す物語の中にはかの有名な「母をたずねて三千里」もあり、懐かしかった。『クオレ』は小学生の頃に偕成社の「児童世界文学全集」の1冊として読んでいるのですが、覚えていたのはこの挿話だけでした。
この本、かなり古いです。といっても昭和二年発行ですが、表紙の絵やデザインはいわゆる大正モダンの雰囲気ですよね。ほかの四冊とともに骨董市で買いました。買った時は撮影の小道具にするつもりだったのですが、今になって急に思い立ち読んでみたら面白いじゃないですか。というか、こんな子供向けの話の翻訳が菊池 寛って贅沢じゃないですか? 上記の「児童世界文学全集」の巻末広告を見たら、『クオレ物語』の翻訳は佐藤春夫でした。これも凄いなあ。『宝島』は大佛次郎、『家なき子』は川端康成ですよ。この全集、神話の巻2冊を除いてすべて捨ててしまったのは惜しかったと今にして思う。
原題:Cuore
作者:エドモンド・デ・アミーチス
訳者:菊池 寛
出版社:文芸春秋
ISBN:なし
by timeturner
| 2011-08-25 22:33
| 和書
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