2011年 05月 21日
哲学者とオオカミ―愛・死・幸福についてのレッスン |
ひとりの哲学者が仔オオカミを手に入れ、共に暮らし、その死を看取るまでの経験を語りながら、オオカミとの生活によって得た哲学的思考について分析するユニークな書。
オオカミは嘘をつけないので、イタズラがばれたときに「みつかっちゃった」という顔をして固まってしまうとか、生後2ヶ月のときに巨大なピットブル犬に首をつかんで地面に押さえつけられたときに反骨心に満ちた唸り声を発したとか、ブレニンを通して知るオオカミの生態はすべてが新鮮で興味深く、それだけでも読む価値があるのですが、この本の魅力はそれ以上に作者がどこまでも深くつきつめていく哲学的思考にあります。
私はもともと哲学的思考には弱く、その手の本を読んでもたいていは理解できないし、途中で眠くなってしまうのですが、この本はまったく退屈することなく最後まで興味をもって読んでいけました。
過去の偉大な哲学者の説を素人にもわかるように解説してくれていること、同じことを何度も、違う表現で説明してくれていること、読み手が袋小路にはまりそうになるとブレニンのエピソードでまた元の道に呼び戻してくれること、などがその理由でしょうか。
常に相手を観察し、弱みにつけこんで自らの利益を得ようとする「サル(人間)」と自分と同じくらい大きく強い相手には戦いを挑むが、相手が恭順のジェスチャーを見せれば無条件に許し忘れ、自分より弱く小さな相手はやさしく扱うオオカミとの対比は、人間が他のどんな動物よりも知的であるから優れているという従来の考えを変えさせる力があります。
とはいえ、ふたつの種を比較してサルとオオカミの優劣を決めたり、サルはオオカミのように生きるべきだと説くわけではもちろんありません。オオカミであるブレニンによって投げかけられた光によって、作者が愛、邪悪、幸福、人生の意味、時間といったものについて深く考えていくその思考の過程がとても面白いのです(もちろん、すべてを理解できたとは思えませんが)。
サルの中で最初に形成されるのは正義感である。真に卑劣な動物(サル)だけが理由、証拠、正当化、権限といった概念を必要とする。サルだけが、道徳的な動物となる必要があるほどに不愉快な動物だから、というところでは思わず深くうなずいてしまいました。以下は覚書としての引用です。
このあたりまでは至極なっとくできるのですが、最後のほう、しめくくりに向かっていまひとつ理解できなくなってきます。
うーむ、そうなんだろうか? 人間が生きる価値ってそれだけなんだろうか?
それにしてもオオカミって大きいんですねえ。本のカバー袖に載っている写真を見てのけぞりました。作者はブレニンをコントロールできるだけの強さを得ようとがんばって筋トレしたりしますが、この写真を見れば納得できます。それだけに、そういう努力をせずに思いつきで大きな犬を飼ってしまい、結局は裏庭の檻に一生涯とじこめておく飼い主を非難している部分にも素直に共鳴できます。
原題:The Philosopher and the Wolf: Lessons from the Wild on Love, Death and Happiness
作者:マーク・ローランズ
訳者:今泉 みね子
出版社:白水社
ISBN:9784560080566
オオカミは嘘をつけないので、イタズラがばれたときに「みつかっちゃった」という顔をして固まってしまうとか、生後2ヶ月のときに巨大なピットブル犬に首をつかんで地面に押さえつけられたときに反骨心に満ちた唸り声を発したとか、ブレニンを通して知るオオカミの生態はすべてが新鮮で興味深く、それだけでも読む価値があるのですが、この本の魅力はそれ以上に作者がどこまでも深くつきつめていく哲学的思考にあります。
私はもともと哲学的思考には弱く、その手の本を読んでもたいていは理解できないし、途中で眠くなってしまうのですが、この本はまったく退屈することなく最後まで興味をもって読んでいけました。
過去の偉大な哲学者の説を素人にもわかるように解説してくれていること、同じことを何度も、違う表現で説明してくれていること、読み手が袋小路にはまりそうになるとブレニンのエピソードでまた元の道に呼び戻してくれること、などがその理由でしょうか。
常に相手を観察し、弱みにつけこんで自らの利益を得ようとする「サル(人間)」と自分と同じくらい大きく強い相手には戦いを挑むが、相手が恭順のジェスチャーを見せれば無条件に許し忘れ、自分より弱く小さな相手はやさしく扱うオオカミとの対比は、人間が他のどんな動物よりも知的であるから優れているという従来の考えを変えさせる力があります。
とはいえ、ふたつの種を比較してサルとオオカミの優劣を決めたり、サルはオオカミのように生きるべきだと説くわけではもちろんありません。オオカミであるブレニンによって投げかけられた光によって、作者が愛、邪悪、幸福、人生の意味、時間といったものについて深く考えていくその思考の過程がとても面白いのです(もちろん、すべてを理解できたとは思えませんが)。
サルの中で最初に形成されるのは正義感である。真に卑劣な動物(サル)だけが理由、証拠、正当化、権限といった概念を必要とする。サルだけが、道徳的な動物となる必要があるほどに不愉快な動物だから、というところでは思わず深くうなずいてしまいました。以下は覚書としての引用です。
1990年代末期から現在(2008年)にいたるまでに、幸せははるかに大きな意義を獲得した。哲学においてはそれほどではないが、もっと一般的な文化において重要になった。幸せはビッグビジネスにもなった。幸せになる秘訣を教えるあらゆる本を出すために、何百万ヘクタールもの森が生贄として祭壇に捧げられた。
人間は幸せのジャンキーだ。幸せのジャンキーは、自分にとって本当はあまり為にならないこと、どのみちそれほど重要ではないことを執拗に追い求める点で、薬物のジャンキーと共通している。だが、幸せのジャンキーの方が、ある明瞭な一点においてはたちが悪い。薬物のジャンキーは、自分の幸せがどこから来るのかを、まちがって理解したが、幸せのジャンキーは、何が幸せなのかを間違って理解した。両方とも、何が人生で一番大切なのかを認識できない点では、一致している。
希望は人間存在の中古車販売員だ。とても親切で、とても納得がいく。それでも、彼を信頼してまかせることはできない。人生で一番大切なのは、希望が失われたあとに残る自分である。最終的には時間がわたしたちからすべてを奪ってしまうだろう。才能、勤勉さ、幸運によって得たあらゆるものは、奪われてしまうだろう。時間はわたしたちの力、欲望、目標、計画、未来、幸福、そして希望すらも奪う。わたしたちがもつことのできるものすべて、所有できるあらゆるものを時間はわたしたちから奪うだろう。けれども、時間が決してわたしたちから奪えないもの、それは、最高の瞬間にあったときの自分なのである。
このあたりまでは至極なっとくできるのですが、最後のほう、しめくくりに向かっていまひとつ理解できなくなってきます。
(キャリアの上昇や幸福な結婚が)誇らしくないと言えば、嘘になる。それでも、同時に、この誇りに対しては慎重になる。これはサルの誇り、陰鬱でこそこそしたサル魂の誇りだ。人生で一番大切なのは、役立つ理知やそれに伴うもろもろのものを通して、自分を頂点まで導くことだと考える魂だ。けれども、ブレニンを思い出すとき、一番大切なものは、たくらんだ謀り事が止まったとき、嘘が喉につかえたときに残る自分なのだということも、思い出す。(中略)一番大切なのは、運が尽きたときに自分がどのような人物であるか、ということなのだ。
神々がわたしに希望をくれず、地獄の番犬セルベルスに首根っこを地面に押さえつけられて、「コン畜生」と言うためにここにいるわけではない。これは幸せな瞬間ではない。しかし、これらの瞬間こそが最高の瞬間なのだと、今のわたしは知っている。そして、これらの瞬間が大切なのは、これらの瞬間自体のためであって、わたしが何であるかを定義する上でこれらの瞬間が果たす役割のためではない。もし、わたしが何らかの形で価値があるとしたら、もし、宇宙がなし遂げた価値あることの一つであるとしたら、これらの瞬間こそが、わたしを価値あるものにしてくれるのだ。
究極的には、挑む意思(ディファイアンス=反抗)によってのみ、わたしたちは救われるのだから。もし、オオカミが宗教をもっているとしたら、もしオオカミの宗教があるとすれば、その宗教はこのことを教えてくれるだろう。
うーむ、そうなんだろうか? 人間が生きる価値ってそれだけなんだろうか?
それにしてもオオカミって大きいんですねえ。本のカバー袖に載っている写真を見てのけぞりました。作者はブレニンをコントロールできるだけの強さを得ようとがんばって筋トレしたりしますが、この写真を見れば納得できます。それだけに、そういう努力をせずに思いつきで大きな犬を飼ってしまい、結局は裏庭の檻に一生涯とじこめておく飼い主を非難している部分にも素直に共鳴できます。
原題:The Philosopher and the Wolf: Lessons from the Wild on Love, Death and Happiness
作者:マーク・ローランズ
訳者:今泉 みね子
出版社:白水社
ISBN:9784560080566
by timeturner
| 2011-05-21 23:38
| 和書
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