2011年 03月 24日
翻訳とは何か-職業としての翻訳 |
第1章 翻訳とは何か
第2章 歴史のなかの翻訳家
第3章 翻訳の技術
第4章 翻訳の市場
第5章 翻訳者への道
第6章 職業としての翻訳
終わりに 文化としての翻訳。
作者は経済・経営・金融を中心とする出版翻訳と産業翻訳の専門家だそうで、上の目次を見ればわかるように、これまで読んできた文芸翻訳の方々と違う視点から見た翻訳論でした。かなり辛口なんですが面白い。現代はかつてはもてはやされた「難解さ」に代わって「わかりやすさ」が好まれる、という話の中に出てくる一説。
「わかりやすさ」を追求したとき、いちばん簡単な方法は、猿ほどの知性もない著者を起用することである。類猿人ともいうべき著者が理解できたことを書けば、猿にもわかる本ができあがる。当然、文章というような高等な手段はあまり使えないから、漫画やイラストばかりが増える。
いやあ、キツイですねえ。
第1章でまずヘーゲルの哲学書の翻訳2例をとりあげるのですが、どちらがいい悪いではないというのが妙に新鮮。また、どちらも作者の訳ではありません。この手の本だと他人の悪訳を例に出して、自分が訳し直したものを並べるのが普通です。でも、単純に良い訳・悪い訳と決めつけられないのですね。なんのための翻訳か、誰のための翻訳か、それをきちんとわかっていないと良い訳も悪訳になってしまう。
かつては原書を読むことが当たり前であって、翻訳書はその参考書にしか過ぎなかったから、原語と訳語を1対1で対応させた逐語訳が読者にとってためになった。ところが、誰も原書を読まず、翻訳書から中身をすくいとろうとする人ばかりになった今の時代には、日本語としてわかりやすく読める翻訳が求められる。なるほどなあ。確かにジェーン・オースティンを原書で読んでいて、構文がきちんと読み取れなくて翻訳書を開くようなときには、多少ぎこちなくてもいいから逐語訳にしてくれていたほうが勉強になるな。
歴史のなかの翻訳家の章も、これまで翻訳者というのは現代の職業となぜか思い込んでいた私には目ウロコでした。オックスフォードで知った、聖書を初めて英語に翻訳したティンダルのこともけっこうなページ数をさいて紹介されていました。イスラム教徒が西洋社会で失われかけていた古代エジプト・メソポタミア・ギリシャの科学思想を集め、アラビア語に翻訳することで守ったという話も面白い。常に西洋からの視点でだけ物事を見ていたらいけませんね。それにしても三蔵法師やティンダル、幕末の村田蔵六など、偉大な翻訳者はみな命を賭けて翻訳をしていたのですよ。そんな時代に生まれてこなくてよかった、と思うところですでにダメダメかもなあ。
多少くどくどしいところはありますが、気のいい熱血小言オヤジの説教を聞いているような雰囲気で、納得しながら楽しく読めました。で、翻訳のコツが身についたかと聞かれるとハテナですが。最後にちょっと長い引用ですが、まさにその通り!とうなずいた箇所をメモしておきます。
職業としての翻訳に取り組むのは、日本語を大切にするからである。日本語の美しさ、日本語の表現力、日本語の論理性、日本語の豊かさを大切にするからである。日本語はさらに美しくなり、さらに表現力が高まり、さらに論理的になり、さらに豊かになると信じるからである。英語が世界語になったからこそ、日本語が重要になったと考えるからである。そう考えない限り、翻訳に取り組む理由はない。
翻訳とは何か―職業としての翻訳
作者:山岡洋一
出版社:日外アソシエーツ
ISBN:4816916830
by timeturner
| 2011-03-24 19:32
| 和書
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