2011年 02月 01日
日本その日その日(1) |
大森貝塚を発見したことで有名なE.S. モース(Edward Sylvester Morse)はアメリカの動物学者で、腕足動物の標本採集のために1877年に初来日、以後、東京大学の教授を2学年勤めるなど2年3ヶ月の日本滞在中に各地を旅し、観察した詳細な記録を残しました。日本に初めて、ダーウィンの進化論を体系的に紹介したのもモースだと言われています。
この頃の日本は明治維新からまだ9年が経っただけで、東京や横浜のような大都会でさえ、まだ江戸時代の風景が広がっていたのです。ましてや地方に行けば、ほとんど文明開化の影響はなかったことでしょう。モースは、北は蝦夷から南は薩摩まで、ほとんどを陸路(人力車と馬)で旅しました。どちらも移動中であっても町村の様子や人々の暮らしが見えます。そうして目にした珍しいもの、新奇なものをノートに毎日書きしるし、絵も添えたものが3,500ページにもなったそうです。
この日記を出版しようと決心したのは友人のウィリアム・スターギス・ピゲローからの手紙を受け取ったときでした。軟体動物および腕足類に関する研究のために長期休暇をとったとしらせたモースの手紙への返事にピゲローはこう書いてきたのです。
「君の手紙で気に入らぬことがたった一つある。外でもない、より高尚な、君ほどそれに就て語る資格を持っている人は他にない事の態度や習慣に就て時を費さず、誰でも出来るような下等動物の研究に、君がいまだに大切な時を徒費しているという白状だ。どうだ、君は正直な所、日本人の方が虫よりも高等な有機体だと思わないか。腕足類なんぞは溝へでも棄てて了え。腕足類は棄てて置いても大丈夫だ。いずれ誰かが世話をするにきまっている。君と僕とが四十年前親しく知っていた日本の有機体は、消滅しつつあるタイプで、その多くは既に完全に地球の表面から姿を消し、そして我々の年齢の人間こそは、文字通り、かかる有機体の生存を目撃した最後の人であることを、忘れないで呉れ。この後十年間に我々がかつて知った日本人はみんなベレムナイツ(今は化石としてのみ残っている頭足類の一種)のように、いなくなって了うぞ」
なんという卓見。まあ、先を行っている側の視点だからこそ見えたことだとは思いますが、明治維新から現在まで、そのときどきに同じように考えられる日本人が多くいれば、今の日本の風景はもっと美しかっただろうと思います。
それでも、こうして貴重な記録=過去の遺産を遺してもらえただけでもありがたいですね。しかも、ただの観光客ではなく、リサーチャーとしての訓練を受け、観察力にすぐれ、絵の才能もある人物がそれをしてくれたというのは奇跡のような幸運です。アメリカ人というのもよかったと思う。イギリスなどヨーロッパの国々に比べたら圧倒的に発展途上の国で、まだ新しいものをとり入れ理解しようという意欲にあふれていましたから。
それにしても、この人の観察眼と好奇心ときたら並大抵じゃありません。おかげで当時の東京には、しゃぼん玉の液を売り歩く行商人(しかも半裸で)がいたということがわかります。そしてモースはこれまで聞いたことのない行商の売り声が聞こえると、文字通り、走って見にいくのです。夜中に火事の警鐘が聞こえると家を飛び出し、人力車を駆って火事場まで行き、消火作業をつぶさに観察・記録します。
書き方は科学者らしく直截で、日本人はことごとく背が低く足が短いとか田舎の人は概して不器量だなどと書かれていますが、これはあくまでもアメリカ人の目から見たままを正直に書いているだけで上から目線ではないのですよね。だから不愉快にならない。自分を笑う健全なユーモア精神も持っています。人力車に乗っているときにむやみに動いたために車夫の頭上を越えて投げ出されたり、蚊を避けるために長い袋に入って首のところで結んで寝たりといった話には爆笑してしまいました。
すべてがこんな調子なので、読者もモースと一緒に130年前の日本を旅しているような気分で楽しめます。もちろん、日本語のできない外国人が2年3ヶ月滞在しただけですから、勘違いや買い被りも大いに見られます。日本人が皆やさしく物静かで大きな声など出さず、正直者でよく働き、子供も悪さはせず下の子の面倒を見て家の仕事をよく手伝うなどというのは、時代の違いを考えてもいささか誇張が過ぎるでしょう。でも、確かにこの頃の日本は今の日本に比べたら住んでいる人間はずっと上等だったと思えます。
そういえば以前にドイツ人の友達と第二次世界大戦が与えた影響について話したことがあるのですが、彼女は徹底的な反ナチではありながら、戦後のドイツが過去を恥じるあまりに昔から守られてきた倫理観までもを捨て去ってしまったのではないかと言っていました。「昔はこうだった」と子供を叱ることが親ナチととられるのではないかという恐怖からできなくなった、というのですね。同じことが戦後のアメリカ占領下の日本でも起こったのだという気がします。そして、それ以前に明治維新の時代に、西欧からの事物を取り入れることに熱心すぎて、古い日本の伝統を軽蔑するようになってしまったんですね。
「外国人は日本に数ヶ月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。即ち彼は日本人にすべてを教える気でいたのであるが、驚くことには、また残念ながら、自分の国で人道の名に於て道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生まれながらに持っているらしいことである。衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりしていて魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり・・・これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。」
ああ、この国を私も旅してみたい!?
日本その日その日 (1) (東洋文庫 (171))
原題:Japan Day by Day
作者:E.S. モース
訳者:石川欣一
出版社:平凡社
ISBN:4582801714
この頃の日本は明治維新からまだ9年が経っただけで、東京や横浜のような大都会でさえ、まだ江戸時代の風景が広がっていたのです。ましてや地方に行けば、ほとんど文明開化の影響はなかったことでしょう。モースは、北は蝦夷から南は薩摩まで、ほとんどを陸路(人力車と馬)で旅しました。どちらも移動中であっても町村の様子や人々の暮らしが見えます。そうして目にした珍しいもの、新奇なものをノートに毎日書きしるし、絵も添えたものが3,500ページにもなったそうです。
この日記を出版しようと決心したのは友人のウィリアム・スターギス・ピゲローからの手紙を受け取ったときでした。軟体動物および腕足類に関する研究のために長期休暇をとったとしらせたモースの手紙への返事にピゲローはこう書いてきたのです。
「君の手紙で気に入らぬことがたった一つある。外でもない、より高尚な、君ほどそれに就て語る資格を持っている人は他にない事の態度や習慣に就て時を費さず、誰でも出来るような下等動物の研究に、君がいまだに大切な時を徒費しているという白状だ。どうだ、君は正直な所、日本人の方が虫よりも高等な有機体だと思わないか。腕足類なんぞは溝へでも棄てて了え。腕足類は棄てて置いても大丈夫だ。いずれ誰かが世話をするにきまっている。君と僕とが四十年前親しく知っていた日本の有機体は、消滅しつつあるタイプで、その多くは既に完全に地球の表面から姿を消し、そして我々の年齢の人間こそは、文字通り、かかる有機体の生存を目撃した最後の人であることを、忘れないで呉れ。この後十年間に我々がかつて知った日本人はみんなベレムナイツ(今は化石としてのみ残っている頭足類の一種)のように、いなくなって了うぞ」
なんという卓見。まあ、先を行っている側の視点だからこそ見えたことだとは思いますが、明治維新から現在まで、そのときどきに同じように考えられる日本人が多くいれば、今の日本の風景はもっと美しかっただろうと思います。
それでも、こうして貴重な記録=過去の遺産を遺してもらえただけでもありがたいですね。しかも、ただの観光客ではなく、リサーチャーとしての訓練を受け、観察力にすぐれ、絵の才能もある人物がそれをしてくれたというのは奇跡のような幸運です。アメリカ人というのもよかったと思う。イギリスなどヨーロッパの国々に比べたら圧倒的に発展途上の国で、まだ新しいものをとり入れ理解しようという意欲にあふれていましたから。
それにしても、この人の観察眼と好奇心ときたら並大抵じゃありません。おかげで当時の東京には、しゃぼん玉の液を売り歩く行商人(しかも半裸で)がいたということがわかります。そしてモースはこれまで聞いたことのない行商の売り声が聞こえると、文字通り、走って見にいくのです。夜中に火事の警鐘が聞こえると家を飛び出し、人力車を駆って火事場まで行き、消火作業をつぶさに観察・記録します。
書き方は科学者らしく直截で、日本人はことごとく背が低く足が短いとか田舎の人は概して不器量だなどと書かれていますが、これはあくまでもアメリカ人の目から見たままを正直に書いているだけで上から目線ではないのですよね。だから不愉快にならない。自分を笑う健全なユーモア精神も持っています。人力車に乗っているときにむやみに動いたために車夫の頭上を越えて投げ出されたり、蚊を避けるために長い袋に入って首のところで結んで寝たりといった話には爆笑してしまいました。
すべてがこんな調子なので、読者もモースと一緒に130年前の日本を旅しているような気分で楽しめます。もちろん、日本語のできない外国人が2年3ヶ月滞在しただけですから、勘違いや買い被りも大いに見られます。日本人が皆やさしく物静かで大きな声など出さず、正直者でよく働き、子供も悪さはせず下の子の面倒を見て家の仕事をよく手伝うなどというのは、時代の違いを考えてもいささか誇張が過ぎるでしょう。でも、確かにこの頃の日本は今の日本に比べたら住んでいる人間はずっと上等だったと思えます。
そういえば以前にドイツ人の友達と第二次世界大戦が与えた影響について話したことがあるのですが、彼女は徹底的な反ナチではありながら、戦後のドイツが過去を恥じるあまりに昔から守られてきた倫理観までもを捨て去ってしまったのではないかと言っていました。「昔はこうだった」と子供を叱ることが親ナチととられるのではないかという恐怖からできなくなった、というのですね。同じことが戦後のアメリカ占領下の日本でも起こったのだという気がします。そして、それ以前に明治維新の時代に、西欧からの事物を取り入れることに熱心すぎて、古い日本の伝統を軽蔑するようになってしまったんですね。
「外国人は日本に数ヶ月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。即ち彼は日本人にすべてを教える気でいたのであるが、驚くことには、また残念ながら、自分の国で人道の名に於て道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生まれながらに持っているらしいことである。衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりしていて魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり・・・これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。」
ああ、この国を私も旅してみたい!?
日本その日その日 (1) (東洋文庫 (171))
原題:Japan Day by Day
作者:E.S. モース
訳者:石川欣一
出版社:平凡社
ISBN:4582801714
by timeturner
| 2011-02-01 20:33
| 和書
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