2010年 04月 19日
テムズとともに 英国の二年間 |
現皇太子がオックスフォード大学に2年間留学したときの思い出を綴った記録です。
こんな本が出ていたとは知りませんでした。旅行前に図書館サイトやアマゾンでオックスフォード関連の書籍は一通り検索したのですが、これはタイトルにオックスフォードがないのと、絶版(もともとは非売品)というのがあって引っかかってきませんでした。みつけたのは偶然。たまたま図書館にあるはずのエリザベス一世関連の本を探していて、イギリス史の棚にないのでおかしいと思いながら図書館のデータベースで探したら、なんと「王室」「皇室」という分類があるのでした。普通の人はそんなところ見ないですよねえ。
それはともかく、その棚を見ていたらこの本をみつけたというわけ。オックスフォードにいる間にも何度か、「ここは浩宮様が通ったパブ」などという説明を聞いていたのですが、これを読むと彼が青春の2年間をオックスフォードでどう過ごしていたのか、具体的に見えてきます。
いくら学生とはいえ、1国のプリンスですからマートン・カレッジの寮も普通の学生よりは恵まれているっぽいし(でも隙間風はひどいしお風呂のお湯はいつも足りなかったらしい)、常に身辺警護の係官(英国人警官)がひとり配置されてはいますが、基本的にはひとりで暮らすことが奨励されていたようです。生まれて初めての洗濯やアイロンかけ、クレジットカードを使っての買物、最初で最後のディスコ、B&Bに泊まったこと等々。「そうなのか、そういうことも未経験だったのか」と同情しながら読んでしまいました。
読み始めて最初の頃はなんだか小学生の作文みたいで「やっぱり頭悪いのかな」と思ったのですが、自分の研究の話になると論理的でよく整理された文章でわかりやすいんですよね。それで気づいたんですが、日常生活を描いているときの感情表現が異常に淡々としている。「興味深いと思った」「気に入った」「美しかった」程度ですべてがすまされてしまい、どれほど興味深かったのか、どのくらい気に入ったのか、どんなふうに感動したのか、具体的な描写がない。おそらく宮内庁の検閲もあったのでしょうが、常日頃から自分の好き嫌いを表面に出してはいけないと幼い頃から教育されてくるとこうなるのでしょう。このあとに読んだ『プリンセス・マサコ 菊の玉座の囚われ人』の中に彼と話したことのある外国人の談で「いい人だけれど退屈」というのがありました。さもありなん、という気がします。
とはいえ、与えられたものの裏を読んだりせず素直に受け入れる性格というのは今の時代なかなか得がたい資質ですよね。まあ、数々の特典を与えられ、あまり苦労せずに生活できるのだから当然とも言えますが。
でもねえ、これを読むと皇族に生まれなくてよかった、とつくづく思いますよ。どんなに素晴らしい特典があったとしても、自由のない暮らしはつらい。飢えて死ぬほどの窮乏におちいったらそうも言ってられないかもしれませんが、多少の苦労があったとしても好きなところに住み、好きなところに行き、好きなことを好きな時間にできる幸せを手放す気にはなれません。そもそも徳仁親王が「道」に興味を抱き、研究テーマとしたのも、道というものがどこかに続く「出口」だからではないでしょうか。でも彼の前には行先が「天皇」という行き止まりの道しかない。
彼がオックスフォードでの日々を楽しげに懐かしんで書けば書くほど、現在の境遇に思いをはせてしまいます。最後の行は涙なくしては読めません。
作者:徳仁親王
出版社:学習院教養新書
ISBN:なし
こんな本が出ていたとは知りませんでした。旅行前に図書館サイトやアマゾンでオックスフォード関連の書籍は一通り検索したのですが、これはタイトルにオックスフォードがないのと、絶版(もともとは非売品)というのがあって引っかかってきませんでした。みつけたのは偶然。たまたま図書館にあるはずのエリザベス一世関連の本を探していて、イギリス史の棚にないのでおかしいと思いながら図書館のデータベースで探したら、なんと「王室」「皇室」という分類があるのでした。普通の人はそんなところ見ないですよねえ。
それはともかく、その棚を見ていたらこの本をみつけたというわけ。オックスフォードにいる間にも何度か、「ここは浩宮様が通ったパブ」などという説明を聞いていたのですが、これを読むと彼が青春の2年間をオックスフォードでどう過ごしていたのか、具体的に見えてきます。
いくら学生とはいえ、1国のプリンスですからマートン・カレッジの寮も普通の学生よりは恵まれているっぽいし(でも隙間風はひどいしお風呂のお湯はいつも足りなかったらしい)、常に身辺警護の係官(英国人警官)がひとり配置されてはいますが、基本的にはひとりで暮らすことが奨励されていたようです。生まれて初めての洗濯やアイロンかけ、クレジットカードを使っての買物、最初で最後のディスコ、B&Bに泊まったこと等々。「そうなのか、そういうことも未経験だったのか」と同情しながら読んでしまいました。
読み始めて最初の頃はなんだか小学生の作文みたいで「やっぱり頭悪いのかな」と思ったのですが、自分の研究の話になると論理的でよく整理された文章でわかりやすいんですよね。それで気づいたんですが、日常生活を描いているときの感情表現が異常に淡々としている。「興味深いと思った」「気に入った」「美しかった」程度ですべてがすまされてしまい、どれほど興味深かったのか、どのくらい気に入ったのか、どんなふうに感動したのか、具体的な描写がない。おそらく宮内庁の検閲もあったのでしょうが、常日頃から自分の好き嫌いを表面に出してはいけないと幼い頃から教育されてくるとこうなるのでしょう。このあとに読んだ『プリンセス・マサコ 菊の玉座の囚われ人』の中に彼と話したことのある外国人の談で「いい人だけれど退屈」というのがありました。さもありなん、という気がします。
とはいえ、与えられたものの裏を読んだりせず素直に受け入れる性格というのは今の時代なかなか得がたい資質ですよね。まあ、数々の特典を与えられ、あまり苦労せずに生活できるのだから当然とも言えますが。
でもねえ、これを読むと皇族に生まれなくてよかった、とつくづく思いますよ。どんなに素晴らしい特典があったとしても、自由のない暮らしはつらい。飢えて死ぬほどの窮乏におちいったらそうも言ってられないかもしれませんが、多少の苦労があったとしても好きなところに住み、好きなところに行き、好きなことを好きな時間にできる幸せを手放す気にはなれません。そもそも徳仁親王が「道」に興味を抱き、研究テーマとしたのも、道というものがどこかに続く「出口」だからではないでしょうか。でも彼の前には行先が「天皇」という行き止まりの道しかない。
彼がオックスフォードでの日々を楽しげに懐かしんで書けば書くほど、現在の境遇に思いをはせてしまいます。最後の行は涙なくしては読めません。
「再びオックスフォードを訪れる時は、今のように自由な一学生としてこの町を見て回ることはできないであろう。おそらく町そのものは今後も変わらないが変わるのは自分の立場であろうなどと考えると、妙な焦燥感におそわれ、いっそこのまま時間が止まってくれたらなどと考えてしまう。」私がオックスフォードにいたとき同行の誰かが「徳仁親王はオックスフォードにいた間たいした勉強はしていなかったらしい」と言うのを耳にしましたが、この本に書かれている研究の概要を見る限りでは(出来上がった論文には自分なりの意見・分析がほとんどないという論評も読みましたが)ちゃんと研究していたと思います。昔は私も水運史などに興味も関心もなかったので「テムズ川の交通史」(The Thames as Highway)と聞いて「なにそれ?」と思ったものですが、イギリスの歴史に興味をもつようになった今では興味深いテーマだと思えます。おかしなものですね。
出版社:学習院教養新書
ISBN:なし
by timeturner
| 2010-04-19 19:46
| 和書
|
Comments(0)