2010年 03月 22日
オックスフォード 3月22日(月)その1 |
さて、いよいよ週が明けて授業が始まります。今日はCollegeのダイニングホールでWelcome Teaがあり、「正装」で行く必要があるのですが、講義でCollegeに行きそこで昼食を食べてからまたGCに戻って着替えるのはどう考えても面倒なので、最初から着ていってしまうことにしました。「正装」と言ったって昼間のお茶だし、英国側の資料では「Smart Clothes」となっていたのでちょっとお洒落な服ならいいだろうと勝手に決め、金ラメのセーターとパンツに派手めなアクセサリーをつけることにしました。スーツケースに押し込んできてシワになっているセーターにアイロンをかけようと朝食前にランドリー・ルームに行ったら、もうすでに洗濯している人(しかも男性)がいてびっくり。まあ確かに早朝しかゆっくりできる時間ってないですけど。
朝食のあとで英会話の授業についての説明を受けました。今回は生徒数が多いので日本にいるときに提出した自分の英語経験についての英文レポートを元に2グループに分けることにしたそうです。Aグループの講師はAndrew、私が振り分けられたBグループの講師はJenny。
レクチャールームのパスワード(また!)を教わり、それぞれの部屋で授業が始まりました。Jennyは中国系マレーシア人の両親を持ち、イギリスで生まれ育った、30代半ばくらいのきれいでセンスのよい女性です。やった! 教え方も発音に重点が置かれていて、とてもわかりやすい。
授業は生徒全員と講師、生徒2人1組という形で割合自由な形で進んでいきます。生徒同士が知り合うにもよい形でした。英語だとお互いにファーストネームで呼び合いますが、不思議なことにこれがどうしても覚えられないのね。日本語の姓で覚えると忘れないのですが。なにしろシニアのプログラムですので、何日たってもお互いに「失礼ですがお名前は何でしたっけ?」とやりあってました。(帰国してから早稲田に提出したレポートに名札を用意したらよいのではないかと提案した)
英会話の授業が10時30分過ぎに終わると次の講義はカレッジで11時からなので、すぐに出かけなくてはなりません。GCからカレッジまで徒歩20分くらいあるので、みんな小走り。ぜいぜい言いながらカレッジに着き、すてきな螺旋階段のある棟の3階まで駆け上がります。小さな部屋ですが窓から向かい側のBodleian Libraryがすぐそこに見えます。
コーヒーと紅茶、それにビスケットが用意されていて、事務局の人やRAがサービスしてくれましたが、味わう間もなく講義の時間。きょうはOxfordとHertford Collegeの歴史など概略のオリエンテーションです。パワーポイントやスライドも使ってわかりやすい説明でした。
講師は英会話Aグループの講師でもあるAndrewで、彼は日本に住んだこともあり、奥さんは日本人だそうで日本語はペラペラ。講義はもちろん英語ですが、ところどころにしらっと日本語をはさんで笑わせてくれます。
オックスフォード大学の創立時期ははっきりとはわからず、11世紀には授業が行われていたという証拠があるようですが、学者や学生がたくさん集まる、いわゆる大学町になったのは1167年にヘンリー2世がイギリス人学生のパリ大学留学を禁じてから。当時の英仏間の争いの結果ですが、このために行き場を失った学者や学生たちがオックスフォードに集まり、学び始めたということです。初めのうちはホールと呼ばれる寮に寝泊りし、そこで授業も行っていましたが、それが後のカレッジに発展しました。
日本から行っていちばんわかりにくいのはこのカレッジ制度。HertfordやChrist Church、Mertonといったオックスフォード大学に39あるカレッジそれぞれが独立した大学なのかと思ってしまいがちなのですが、実はこのカレッジ、学生や教授たちが暮らす寮のことで、その寮がオックスフォード大学に所属しているわけです。基本的にカレッジでは授業は行われません。学生たちは選んだ学科に必要な講義が行われる場所に出向いて講義を受けますが、こうした講義は基本的に大学に所属する学生なら誰でも聴講可能ですし、逆に受けなくても問題はない。学生にとって大切なことは別にあります。
オックスフォード(とケンブリッジ)ではTutorial Systemというものを採用しています。ひとりのTutor(指導教授)にひとりかふたりの学生がつき、週に1回ミーティングがあります。Tutorはそれぞれの学生の研究テーマに必要な本を大量に指定し、学生はそれをすべて読み、必要ならさらに別の文献も調べてレポートを書いて提出します。週に1回のミーティングでそのレポートについてTutorと学生がディスカッションをし、さらにまた大量の本を指定されてレポートを書くという繰り返し。
こうして自らの考えをしっかりつかみ、明快に表現できるようになったところで最終の卒業試験を受けます。オックスフォードの学生に専攻を聞くとき「What is your major?」とは聞かず、「What are you reading?」と聞くのはそういうわけです。これは実力つきますよー。なんてったって1対1だから自分がどれだけ勉強したかをごまかしようがない。おまけにオックスフォードは他の大学より学期の日数が少なく、1年間で8週間の学期が3つ。つまり24週間しかないのです。2010-2011年の場合、学期は下記のようになっています。
Michaelmas Term 2010
Sunday 10 October 2010 to Saturday 4 December 2010
Hilary Term 2011
Sunday 16 January 2011 to Saturday 12 March 2011
Trinity Term 2011
Sunday 1 May 2011 to Saturday 25 June 2011
休みが多くて羨ましいなんて思ったら大間違い。短い期間に大量の本を読み、消化し、最終試験に合格できるだけの実力を身につけるにはとてつもない集中力と、夜中まで図書館にこもって勉強する体力が必要です。そのせいもあってかオックスフォードではドロップアウトする学生も多いと聞きました。だから無事に卒業できた学生は実力・根性ともにかなりのものだというわけですね。
私たちがオックスフォードに着いてから1週間くらいして、GCに若い日本人女性がやってきました。某大学の先生で半年の研究に来たそうです。その方とある晩コンピュータ室で一緒になったら、延々とプリントアウトしているんですよね。で、高さ25センチくらいになったそのプリントアウトを手に「これを次に会うときまでに読んでくるように言われたんです。学生じゃないのに・・・」と情けなさそうに言うので「次っていつですか?」と聞いたら「火曜日」(その日は金曜)ですって。うわあ、こういうことなのか、とそのとき実感しました。
13世紀末、Elias de HertfordがCatte Streetに創立したHart Hallが現在のHertford Collegeの始まりと言われています。この当時でまだ残っている建物がOld HallとOld Quadの北東角の部分。Hart Hallは中世の大学の学生が寝泊りするところとして使われましたがその後の世紀を通して発展していきました。メインゲートの木製のドアにある彩色された花の模様や素晴らしい古書が収蔵されたOld Libraryなどは17世紀のものです。
18世紀には経済的破綻によりいったん閉鎖に追い込まれ、建物はMagdalen Hallの所有となっていましたが、1874年にSir Thomas Baringらの援助によりHertford Collegeとして再建されることが議会で承認されました。
その後の再建の中でHertford Collegeは建築的に素晴らしい拡張を遂げていきました。Sir Thomas Jacksonがデザインした螺旋階段のあるホールやBridge of Sighs(ため息橋)は、現在ではオックスフォードの最も有名な見所の一部となっています。Sir Thomasはまた、古いチャペルを現在ではMCR common roomとなっているオクタゴン(八角形の建物)に改築したこと、Old Quadの南側に新築したチャペルのデザインでも知られています。
Hertford College出身の有名人には、William Tyndale(初めて聖書を英訳)、Thomas Hobbes(哲学者)、John Donne(詩人)、Jonathan Swift(作家)、Evelyn Waugh(作家)などがいます。1400年代からEnglish Languageに優れていることで知られていたというのもうなずけますね。
講義が終わると2階のダイニングホールに移動してランチ。入口で並べられた料理の中から好きなものを選んで皿に盛ってもらい、サラダやスープ、果物、オードブルなどはビュッフェ形式で並べられているものを自分でとります。紅茶やコーヒーは係りの人たちがテーブルの様子を見てポットで持ってきてくれます。
ダイニングホールは縦に細長い部屋で、周囲の壁には歴代の学長やHertfordを卒業したJohn Donneなど有名人の肖像画が掛けられています。前に見たChrist Churchのダイニングホールのような威圧感はなく、肩肘はらずに食事ができる雰囲気でした。もっとも私たちが利用したのは窓から外光が入ってきて明るい昼食時だけでしたので、夕食となるとまた雰囲気が違うのかもしれません。
細長い部屋の中に簡素な長机とベンチが並べられていて、その両側に坐って食事をする形です。部屋の両側は作りつけの木の椅子になっています。いずれもすわり心地はあまりよくありません。食べたらすぐ立ちたくなる感じ。忙しい学生や先生にはちょうどいいのかも。春休みだったので学生の姿はほとんどなく、教授や研究者、事務局の人たちと思われる人々がそれぞれに食事をとっていました。
メニューは日によって変わりましたが、マトンカレーの日が2度あったりして、あまりバラエティ豊富とは思えませんでした。でも、日替わりのスープはどれもおいしく、毎日3度の食事を出されて常に食欲のない状態だった私にはありがたかったです。たまに少しだけ出ていたスモークサーモンもおいしかった。面白かったのはGCで朝食と夕食の世話をしてくれるスタッフが昼食のときにはダイニングホールにいたこと。彼らは食事担当として食事が出される場所で働くのですね。
この日は15:30から学長も参加してのWelcome Teaの予定だったので昼食は軽めにすませました。
食事のあとはお茶の時間まで自由行動。みんなお茶会用の服で来ていましたから、それぞれ好きなところに散っていきました。私は来る前からネットで調べて目星をつけていたアンティークショップへ。High Streetの端のほうにあるAntiques on Highといういくつかのアンティークショップが1ヶ所に集まったビルです。
思っていたより規模が小さくてちょっとがっかりしましたが、お目当てのコスチューム・ジュエリーの店には手ごろな値段でけっこう質のいいものがあってしばらく迷う。このとき店の人たちが雑談しているのが耳に入ってきたのですが、アメリカ人の女性客が店に来て、とても感じがよくていろいろ話して買物をしていったのだが、その後TVを見ていたらその女性がその世界では有名なコレクター/作家だったことがわかってびっくりした、というもの。誰だったんだろう? ちょっと気後れして聞けませんでしたが。
ガラスのショウケースの前で30分ほども悩んでいたらやがて店の人が声をかけてきたので、目にとまっていたものをいくつか出してもらい、結局そのうちの2つを買いました。リヴァース・インタリオの花のブローチと、細かいボーン細工の中央にマイクロモザイクが嵌めこまれたブローチ。どちらも日本だったらかなり高価なものですが、それぞれ2000円以下で買えてしまいました。
まだ時間があったのでChrist Churchの裏あたりをぶらぶら歩いていたらJames Sadlerが1784年10月4日にこのそばから気球で飛び立ち、woodeaton付近に無事着陸した、という銘板をみつけました。いろんな人がいるものです。
ダイニングホールに行ってみると、昼食のときのテーブルはきれいに片付けられ、中央に1列だけテーブルがセットされていました。両側に全員が坐ると、事務局長に続いてアカデミックガウン姿の学長が歓迎の挨拶をしてくれ、お茶が始まりました。サンドイッチ、スコーン(大きい!)、ケーキがずらっと並んだテーブルを前に気軽な雰囲気でいただきます。この雰囲気だったら「正装」の必要はないなあ。
スコーンにはちゃんとクロッテッドクリームとジャムが添えられていました。サンドイッチは中身がツナだったりしてコンビニのみたいでしたが、ケーキはGCの夕食で出るのとは違い、味も大きさも上品でおいしかった。途中で事務局の人がアカデミックガウンを2着持ってきてくれたので、みんながそれを順番に着て記念撮影。最後に全員(学長は途中で退席)が並んでの写真を撮って終了となりました。
GCに戻って18:00から夕食ですが、当然みんなお腹がいっぱいですので、この日のメニューは豆のスープとパンだけ。
朝食のあとで英会話の授業についての説明を受けました。今回は生徒数が多いので日本にいるときに提出した自分の英語経験についての英文レポートを元に2グループに分けることにしたそうです。Aグループの講師はAndrew、私が振り分けられたBグループの講師はJenny。
授業は生徒全員と講師、生徒2人1組という形で割合自由な形で進んでいきます。生徒同士が知り合うにもよい形でした。英語だとお互いにファーストネームで呼び合いますが、不思議なことにこれがどうしても覚えられないのね。日本語の姓で覚えると忘れないのですが。なにしろシニアのプログラムですので、何日たってもお互いに「失礼ですがお名前は何でしたっけ?」とやりあってました。(帰国してから早稲田に提出したレポートに名札を用意したらよいのではないかと提案した)
英会話の授業が10時30分過ぎに終わると次の講義はカレッジで11時からなので、すぐに出かけなくてはなりません。GCからカレッジまで徒歩20分くらいあるので、みんな小走り。ぜいぜい言いながらカレッジに着き、すてきな螺旋階段のある棟の3階まで駆け上がります。小さな部屋ですが窓から向かい側のBodleian Libraryがすぐそこに見えます。
コーヒーと紅茶、それにビスケットが用意されていて、事務局の人やRAがサービスしてくれましたが、味わう間もなく講義の時間。きょうはOxfordとHertford Collegeの歴史など概略のオリエンテーションです。パワーポイントやスライドも使ってわかりやすい説明でした。
講師は英会話Aグループの講師でもあるAndrewで、彼は日本に住んだこともあり、奥さんは日本人だそうで日本語はペラペラ。講義はもちろん英語ですが、ところどころにしらっと日本語をはさんで笑わせてくれます。
オックスフォード大学の創立時期ははっきりとはわからず、11世紀には授業が行われていたという証拠があるようですが、学者や学生がたくさん集まる、いわゆる大学町になったのは1167年にヘンリー2世がイギリス人学生のパリ大学留学を禁じてから。当時の英仏間の争いの結果ですが、このために行き場を失った学者や学生たちがオックスフォードに集まり、学び始めたということです。初めのうちはホールと呼ばれる寮に寝泊りし、そこで授業も行っていましたが、それが後のカレッジに発展しました。
日本から行っていちばんわかりにくいのはこのカレッジ制度。HertfordやChrist Church、Mertonといったオックスフォード大学に39あるカレッジそれぞれが独立した大学なのかと思ってしまいがちなのですが、実はこのカレッジ、学生や教授たちが暮らす寮のことで、その寮がオックスフォード大学に所属しているわけです。基本的にカレッジでは授業は行われません。学生たちは選んだ学科に必要な講義が行われる場所に出向いて講義を受けますが、こうした講義は基本的に大学に所属する学生なら誰でも聴講可能ですし、逆に受けなくても問題はない。学生にとって大切なことは別にあります。
オックスフォード(とケンブリッジ)ではTutorial Systemというものを採用しています。ひとりのTutor(指導教授)にひとりかふたりの学生がつき、週に1回ミーティングがあります。Tutorはそれぞれの学生の研究テーマに必要な本を大量に指定し、学生はそれをすべて読み、必要ならさらに別の文献も調べてレポートを書いて提出します。週に1回のミーティングでそのレポートについてTutorと学生がディスカッションをし、さらにまた大量の本を指定されてレポートを書くという繰り返し。
こうして自らの考えをしっかりつかみ、明快に表現できるようになったところで最終の卒業試験を受けます。オックスフォードの学生に専攻を聞くとき「What is your major?」とは聞かず、「What are you reading?」と聞くのはそういうわけです。これは実力つきますよー。なんてったって1対1だから自分がどれだけ勉強したかをごまかしようがない。おまけにオックスフォードは他の大学より学期の日数が少なく、1年間で8週間の学期が3つ。つまり24週間しかないのです。2010-2011年の場合、学期は下記のようになっています。
Michaelmas Term 2010
Sunday 10 October 2010 to Saturday 4 December 2010
Hilary Term 2011
Sunday 16 January 2011 to Saturday 12 March 2011
Trinity Term 2011
Sunday 1 May 2011 to Saturday 25 June 2011
休みが多くて羨ましいなんて思ったら大間違い。短い期間に大量の本を読み、消化し、最終試験に合格できるだけの実力を身につけるにはとてつもない集中力と、夜中まで図書館にこもって勉強する体力が必要です。そのせいもあってかオックスフォードではドロップアウトする学生も多いと聞きました。だから無事に卒業できた学生は実力・根性ともにかなりのものだというわけですね。
私たちがオックスフォードに着いてから1週間くらいして、GCに若い日本人女性がやってきました。某大学の先生で半年の研究に来たそうです。その方とある晩コンピュータ室で一緒になったら、延々とプリントアウトしているんですよね。で、高さ25センチくらいになったそのプリントアウトを手に「これを次に会うときまでに読んでくるように言われたんです。学生じゃないのに・・・」と情けなさそうに言うので「次っていつですか?」と聞いたら「火曜日」(その日は金曜)ですって。うわあ、こういうことなのか、とそのとき実感しました。
13世紀末、Elias de HertfordがCatte Streetに創立したHart Hallが現在のHertford Collegeの始まりと言われています。この当時でまだ残っている建物がOld HallとOld Quadの北東角の部分。Hart Hallは中世の大学の学生が寝泊りするところとして使われましたがその後の世紀を通して発展していきました。メインゲートの木製のドアにある彩色された花の模様や素晴らしい古書が収蔵されたOld Libraryなどは17世紀のものです。
18世紀には経済的破綻によりいったん閉鎖に追い込まれ、建物はMagdalen Hallの所有となっていましたが、1874年にSir Thomas Baringらの援助によりHertford Collegeとして再建されることが議会で承認されました。
その後の再建の中でHertford Collegeは建築的に素晴らしい拡張を遂げていきました。Sir Thomas Jacksonがデザインした螺旋階段のあるホールやBridge of Sighs(ため息橋)は、現在ではオックスフォードの最も有名な見所の一部となっています。Sir Thomasはまた、古いチャペルを現在ではMCR common roomとなっているオクタゴン(八角形の建物)に改築したこと、Old Quadの南側に新築したチャペルのデザインでも知られています。
Hertford College出身の有名人には、William Tyndale(初めて聖書を英訳)、Thomas Hobbes(哲学者)、John Donne(詩人)、Jonathan Swift(作家)、Evelyn Waugh(作家)などがいます。1400年代からEnglish Languageに優れていることで知られていたというのもうなずけますね。
講義が終わると2階のダイニングホールに移動してランチ。入口で並べられた料理の中から好きなものを選んで皿に盛ってもらい、サラダやスープ、果物、オードブルなどはビュッフェ形式で並べられているものを自分でとります。紅茶やコーヒーは係りの人たちがテーブルの様子を見てポットで持ってきてくれます。
ダイニングホールは縦に細長い部屋で、周囲の壁には歴代の学長やHertfordを卒業したJohn Donneなど有名人の肖像画が掛けられています。前に見たChrist Churchのダイニングホールのような威圧感はなく、肩肘はらずに食事ができる雰囲気でした。もっとも私たちが利用したのは窓から外光が入ってきて明るい昼食時だけでしたので、夕食となるとまた雰囲気が違うのかもしれません。
細長い部屋の中に簡素な長机とベンチが並べられていて、その両側に坐って食事をする形です。部屋の両側は作りつけの木の椅子になっています。いずれもすわり心地はあまりよくありません。食べたらすぐ立ちたくなる感じ。忙しい学生や先生にはちょうどいいのかも。春休みだったので学生の姿はほとんどなく、教授や研究者、事務局の人たちと思われる人々がそれぞれに食事をとっていました。
メニューは日によって変わりましたが、マトンカレーの日が2度あったりして、あまりバラエティ豊富とは思えませんでした。でも、日替わりのスープはどれもおいしく、毎日3度の食事を出されて常に食欲のない状態だった私にはありがたかったです。たまに少しだけ出ていたスモークサーモンもおいしかった。面白かったのはGCで朝食と夕食の世話をしてくれるスタッフが昼食のときにはダイニングホールにいたこと。彼らは食事担当として食事が出される場所で働くのですね。
この日は15:30から学長も参加してのWelcome Teaの予定だったので昼食は軽めにすませました。
食事のあとはお茶の時間まで自由行動。みんなお茶会用の服で来ていましたから、それぞれ好きなところに散っていきました。私は来る前からネットで調べて目星をつけていたアンティークショップへ。High Streetの端のほうにあるAntiques on Highといういくつかのアンティークショップが1ヶ所に集まったビルです。
ガラスのショウケースの前で30分ほども悩んでいたらやがて店の人が声をかけてきたので、目にとまっていたものをいくつか出してもらい、結局そのうちの2つを買いました。リヴァース・インタリオの花のブローチと、細かいボーン細工の中央にマイクロモザイクが嵌めこまれたブローチ。どちらも日本だったらかなり高価なものですが、それぞれ2000円以下で買えてしまいました。
まだ時間があったのでChrist Churchの裏あたりをぶらぶら歩いていたらJames Sadlerが1784年10月4日にこのそばから気球で飛び立ち、woodeaton付近に無事着陸した、という銘板をみつけました。いろんな人がいるものです。
GCに戻って18:00から夕食ですが、当然みんなお腹がいっぱいですので、この日のメニューは豆のスープとパンだけ。
by timeturner
| 2010-03-22 18:37
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