2009年 04月 03日
春の山陰-4月3日(金) |
(Kの文字が入っている写真は友人が撮影したものです)
東萩駅(バス)⇒津和野(スーパーおき)⇒新山口(のぞみ)⇒東京
津和野行きのバスはそれなりに乗客がいました。といっても2人掛けの座席に1人ずつ座って、みんなが窓際の席にいられる程度ではありましたが。これまでの旅程ではいちばんの混み具合。
駅に着いて荷物をコインロッカーに預け、観光案内所に行くと、親切なおじさんが地図を見せながらどうやって歩くと満遍なく観光名所を見て回れるか説明してくれました。ついでにおいしいものを食べられる場所も教えてもらっていざ出発。
バスの乗客数に比例するように和菓子屋や酒屋、土産物屋がたくさん並ぶ本町通りから古い建物が並ぶ殿町通りには観光客があふれていました。桜は満開だし、天気はいいし、金曜日だしだから当然ですね。皆さん、大型観光バスで来て、1時間くらい散策してから次の目的地(萩かな?)に向かうようでした。
殿町通りには森鷗外も学んだ藩校養老館、畳敷きの信者席があるカトリック教会、多胡家老門などがあります。萩の古い屋敷は黒い瓦に白い壁で「重厚」「保守的」な雰囲気でしたが、津和野は赤茶色の瓦に白い壁が多く「軽快」「先進的」な感じ。屋敷の前には鯉が泳ぐ掘割があり、大勢の観光客がエサをやるせいかかなり太り気味です。
橋を渡るとこれまた古い屋敷を利用した郷土館があるのですが、この建物の裏手に出ると津和野川の河原に出ます。水量は少ないけれど緑の草と菜の花と桜に彩られ、遠くに山々が霞んでまるで絵を見るような風景です。鴎外の『ヰタ・セクスアリス』の中にもこういう風景が描かれていましたっけ。こんなところで子供時代を過ごせるのって幸せですよねえ。
郷土館の先にある杜塾美術館は昔の庄屋の屋敷をそのまま保存し、津和野出身の画家 中尾 彰とその妻 吉浦摩耶の作品を展示しています。入口で入場料を払い、まずは展示された作品を見ていくのですが、最後の小部屋に思いがけなくもゴヤの銅版画「闘牛術」シリーズが完全な形で展示されていたのでびっくり。中尾夫妻には申し訳ないのですが、これが見られただけで津和野に来た甲斐があったと思うほど素晴らしかったです。しかしこんな凄いものをこんなにあっけらかんと一般公開しているって太っ腹ですよね。帰宅してから調べたら、この美術館の持ち主は中国地方一帯にたくさんの店舗をもつホームセンター㈱ジュンテンドーの会長さんのようです。
建物の中央に戻ってくると、受付の女性が待っていて家の中を案内してくれました。庄屋の家だっただけあって使われている木材も建具も一級品で、そのへんの武家屋敷よりよっぽどゴージャス。2階には雨戸の穴を通して庭の風景が障子に映し出されるカラクリ障子(偶然に見つかったもので意図して作られたものではない)もありました。
車の通るホコリっぽい道を約1キロ歩いて森鷗外記念館に。うちの近所にある観潮楼跡に建っている森鴎外記念館に比べると月とスッポンのようなモダンで立派な建物でびっくり。鷗外に寄せる津和野の人たちの思いが伝わってきます。まあ、臨終の言葉で「石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」と言い残し、お墓も本人の遺志通り津和野にあるのですから当然なのでしょう。
展示をじっくり見てから敷地内にある鷗外の旧宅へ。これもまた『ヰタ・セクスアリス』に書かれていた通り、家のすぐ裏手が川で、建物そのものはこじんまりとした質素なものです。鷗外の勉強部屋も示されていました。
このあと川を越えて行った西周の旧居は瓦葺の風情のある家でしたが、これまた質素な建物。そして西周の勉強部屋はなんと裏の土蔵でした。ここにこもって食べる間も惜しんで勉強していたそうですが、偉くなる人って体も丈夫なのねえ。
来た道を戻って殿町に戻ったときはもう3時。お腹がすいて倒れそうだったので津和野名物「うずめ飯」でもと思ったんですが、なんと店が軒並み閉まってる! 鷗外記念館の前にあった観光客向けの大食堂は開いていたんですが、あそこまで戻る気力はない。観光案内所でもらった飲食店マップに載っている店をひとつずつチェックしていくと駅近くにようやく1軒開いている甘味屋「能濃」をみつけました。ラッキーなことに「うずめ飯」もメニューにあり、無事に念願を果たせました。「うずめ飯」というのは「埋め飯」の意味で、ぱっと見にはただのお茶漬けなのですが、ご飯をかき混ぜると下からいろんな具が出てくるというもの。素朴だけれど野菜がとれるし栄養学的にも優れています。お腹がすいていたせいもありますが、とーってもおいしかった。
お腹がふくれたところで最後の観光スポットである安野光雅美術館へ。森鷗外記念館に勝るとも劣らない立派な建物です。
安野光雅は『旅の絵本』が刊行された頃にとても好きだったのですが、あの絵はヨーロッパを旅した結果生まれたものだと思い込んでいました。今回、萩から津和野へはバスで行ったのですが、山道を走ってきて下り坂になり、目の前が開けると山に囲まれた小さな盆地に赤い瓦屋根の小さな家々と菜の花や桜に彩られた川が目に入ります。その童話の世界のような風景がまさに安野光雅の世界なのです。ああ、これがルーツだったのか!と納得しました。
美術館には彼の数多い出版物の原画が展示されていますが、中でも津和野での子供時代を絵と文で綴った『昔の子どもたち』と、シェイクスピアの全戯曲の1場面を描いた『絵本シェイクスピア劇場』はとても楽しめました。この人は文章も上手なので、ついつい絵を見ずに文章を読んでしまうのが難ですね。途中からはあえて文章は見ないようにして絵だけを鑑賞し、帰宅してから図書館で本を借りてきてゆっくり読みました。
美術館の2階は昔の小学校のように作られていて、木の床や下駄箱、小さな机と椅子、黒板、教卓などとても懐かしかった。安野さんのアトリエもありましたが、帰郷されたときにはあそこで実際に制作されるのかしら。プラネタリウムもあるのですが、時間が限られていたので残念ながらパス。
駅に戻ると着いたときには気づかなかったSLが駅舎の横にあるのを発見。最初の計画では津和野から新山口までSLやまぐちに乗るはずだったんですよねえ。途中で土日しか走っていないことに気づき、泣く泣くあきらめたのでした。小さな駅は電車を待つ人も少なく、街中の混雑が嘘のようです。やっぱり不便だからバスツアーで来る人が多いんだろうな。不便なところに電車を乗り継いで行くにも旅の楽しさのひとつなんですけどね。点から点へと車で移動するツアーは旅ではなくて名所見物なんだと思う。もちろん、人それぞれだからそれを非難する気はないけれど。
本当に楽しい旅行でした。よく歩き、よく食べ、よく笑い、よく喋った。ひとり旅も気楽でいいけど、感動をわかちあえる連れがいるというのは素敵ですね。またこういう旅がしたいです。
東萩駅(バス)⇒津和野(スーパーおき)⇒新山口(のぞみ)⇒東京
津和野行きのバスはそれなりに乗客がいました。といっても2人掛けの座席に1人ずつ座って、みんなが窓際の席にいられる程度ではありましたが。これまでの旅程ではいちばんの混み具合。
駅に着いて荷物をコインロッカーに預け、観光案内所に行くと、親切なおじさんが地図を見せながらどうやって歩くと満遍なく観光名所を見て回れるか説明してくれました。ついでにおいしいものを食べられる場所も教えてもらっていざ出発。
バスの乗客数に比例するように和菓子屋や酒屋、土産物屋がたくさん並ぶ本町通りから古い建物が並ぶ殿町通りには観光客があふれていました。桜は満開だし、天気はいいし、金曜日だしだから当然ですね。皆さん、大型観光バスで来て、1時間くらい散策してから次の目的地(萩かな?)に向かうようでした。
殿町通りには森鷗外も学んだ藩校養老館、畳敷きの信者席があるカトリック教会、多胡家老門などがあります。萩の古い屋敷は黒い瓦に白い壁で「重厚」「保守的」な雰囲気でしたが、津和野は赤茶色の瓦に白い壁が多く「軽快」「先進的」な感じ。屋敷の前には鯉が泳ぐ掘割があり、大勢の観光客がエサをやるせいかかなり太り気味です。
橋を渡るとこれまた古い屋敷を利用した郷土館があるのですが、この建物の裏手に出ると津和野川の河原に出ます。水量は少ないけれど緑の草と菜の花と桜に彩られ、遠くに山々が霞んでまるで絵を見るような風景です。鴎外の『ヰタ・セクスアリス』の中にもこういう風景が描かれていましたっけ。こんなところで子供時代を過ごせるのって幸せですよねえ。
郷土館の先にある杜塾美術館は昔の庄屋の屋敷をそのまま保存し、津和野出身の画家 中尾 彰とその妻 吉浦摩耶の作品を展示しています。入口で入場料を払い、まずは展示された作品を見ていくのですが、最後の小部屋に思いがけなくもゴヤの銅版画「闘牛術」シリーズが完全な形で展示されていたのでびっくり。中尾夫妻には申し訳ないのですが、これが見られただけで津和野に来た甲斐があったと思うほど素晴らしかったです。しかしこんな凄いものをこんなにあっけらかんと一般公開しているって太っ腹ですよね。帰宅してから調べたら、この美術館の持ち主は中国地方一帯にたくさんの店舗をもつホームセンター㈱ジュンテンドーの会長さんのようです。
建物の中央に戻ってくると、受付の女性が待っていて家の中を案内してくれました。庄屋の家だっただけあって使われている木材も建具も一級品で、そのへんの武家屋敷よりよっぽどゴージャス。2階には雨戸の穴を通して庭の風景が障子に映し出されるカラクリ障子(偶然に見つかったもので意図して作られたものではない)もありました。
車の通るホコリっぽい道を約1キロ歩いて森鷗外記念館に。うちの近所にある観潮楼跡に建っている森鴎外記念館に比べると月とスッポンのようなモダンで立派な建物でびっくり。鷗外に寄せる津和野の人たちの思いが伝わってきます。まあ、臨終の言葉で「石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」と言い残し、お墓も本人の遺志通り津和野にあるのですから当然なのでしょう。
展示をじっくり見てから敷地内にある鷗外の旧宅へ。これもまた『ヰタ・セクスアリス』に書かれていた通り、家のすぐ裏手が川で、建物そのものはこじんまりとした質素なものです。鷗外の勉強部屋も示されていました。
このあと川を越えて行った西周の旧居は瓦葺の風情のある家でしたが、これまた質素な建物。そして西周の勉強部屋はなんと裏の土蔵でした。ここにこもって食べる間も惜しんで勉強していたそうですが、偉くなる人って体も丈夫なのねえ。
来た道を戻って殿町に戻ったときはもう3時。お腹がすいて倒れそうだったので津和野名物「うずめ飯」でもと思ったんですが、なんと店が軒並み閉まってる! 鷗外記念館の前にあった観光客向けの大食堂は開いていたんですが、あそこまで戻る気力はない。観光案内所でもらった飲食店マップに載っている店をひとつずつチェックしていくと駅近くにようやく1軒開いている甘味屋「能濃」をみつけました。ラッキーなことに「うずめ飯」もメニューにあり、無事に念願を果たせました。「うずめ飯」というのは「埋め飯」の意味で、ぱっと見にはただのお茶漬けなのですが、ご飯をかき混ぜると下からいろんな具が出てくるというもの。素朴だけれど野菜がとれるし栄養学的にも優れています。お腹がすいていたせいもありますが、とーってもおいしかった。
お腹がふくれたところで最後の観光スポットである安野光雅美術館へ。森鷗外記念館に勝るとも劣らない立派な建物です。
安野光雅は『旅の絵本』が刊行された頃にとても好きだったのですが、あの絵はヨーロッパを旅した結果生まれたものだと思い込んでいました。今回、萩から津和野へはバスで行ったのですが、山道を走ってきて下り坂になり、目の前が開けると山に囲まれた小さな盆地に赤い瓦屋根の小さな家々と菜の花や桜に彩られた川が目に入ります。その童話の世界のような風景がまさに安野光雅の世界なのです。ああ、これがルーツだったのか!と納得しました。
美術館には彼の数多い出版物の原画が展示されていますが、中でも津和野での子供時代を絵と文で綴った『昔の子どもたち』と、シェイクスピアの全戯曲の1場面を描いた『絵本シェイクスピア劇場』はとても楽しめました。この人は文章も上手なので、ついつい絵を見ずに文章を読んでしまうのが難ですね。途中からはあえて文章は見ないようにして絵だけを鑑賞し、帰宅してから図書館で本を借りてきてゆっくり読みました。
美術館の2階は昔の小学校のように作られていて、木の床や下駄箱、小さな机と椅子、黒板、教卓などとても懐かしかった。安野さんのアトリエもありましたが、帰郷されたときにはあそこで実際に制作されるのかしら。プラネタリウムもあるのですが、時間が限られていたので残念ながらパス。
駅に戻ると着いたときには気づかなかったSLが駅舎の横にあるのを発見。最初の計画では津和野から新山口までSLやまぐちに乗るはずだったんですよねえ。途中で土日しか走っていないことに気づき、泣く泣くあきらめたのでした。小さな駅は電車を待つ人も少なく、街中の混雑が嘘のようです。やっぱり不便だからバスツアーで来る人が多いんだろうな。不便なところに電車を乗り継いで行くにも旅の楽しさのひとつなんですけどね。点から点へと車で移動するツアーは旅ではなくて名所見物なんだと思う。もちろん、人それぞれだからそれを非難する気はないけれど。
本当に楽しい旅行でした。よく歩き、よく食べ、よく笑い、よく喋った。ひとり旅も気楽でいいけど、感動をわかちあえる連れがいるというのは素敵ですね。またこういう旅がしたいです。
by timeturner
| 2009-04-03 16:19
| 旅行
|
Comments(2)
おぉ、D51だ!(笑
山陰地方はまだ行ったことがなく、「いつかは!」と思っているのですが、とっても楽しませていただきました。
SLやまぐち号は残念でしたね。大井川鉄道をのぞいて、ほとんどのSL が夏休み以外は土・日しか運行していないんですよね。
山陰地方はまだ行ったことがなく、「いつかは!」と思っているのですが、とっても楽しませていただきました。
SLやまぐち号は残念でしたね。大井川鉄道をのぞいて、ほとんどのSL が夏休み以外は土・日しか運行していないんですよね。
0
Commented
by
shoh
at 2009-04-15 10:04
x
今回の旅行で利用した公共交通機関(新幹線を除く)の利用者の少なさを考えると土日だけ運行というのも理解できます。次にSLに乗れそうな場所を旅行するときには日程に土日を入れるようにしなくてはと思うあたり、ちょっと危ない(^^;)? でも蒸気機関車でなくても地方の各駅停車に乗るのは楽しいなあ、と今回つくづく思いました。