2009年 03月 21日
マンスフィールド・パーク(本) |
貧しく子だくさんの家庭の長女として生まれたファニー・プライスは、9歳のときに美人の伯母が嫁いだバートラム准男爵家に引き取られ、広大なマンスフィールド・パークで育った。引っ込み思案なファニーは居候的な立場に怯えるが、年上の従兄弟で次男坊エドマンドの庇護と教育を受け、控えめで道徳心の強い娘に成長した。平穏無事な日々が永遠に続くと思われたのだが、厳格な伯父の海外渡航をきっかけに、ファニーとバートラム家の上に運命の嵐が襲いかかる・・・。
オースティンの作品でこれほど読むのがつらかったのは初めてかも。いえその、ストーリーテリングは相変わらず巧みで先へ先へと読ませるんですが、主人公に感情移入できないことおびただしい。
ファニーは控えめで上品で知的で、常に(当時の)道徳的に正しいと思うことしかしないし、他人のために役立とうと心を配ります。が、それがすべて本人の認識なのよねえ。たかが18かそこらの小娘が、しかもマンスフィールド・パークという狭い世界しか知らない人間が、自らが神であるかのように他人を断罪する姿を見ると腹が立って先に進めなくなるんですよ。久しぶりに帰った実家で両親や兄弟姉妹を「品がない」といって嫌悪する姿には「何様のつもり?」と殴ってやりたくなりました。エマより気に入らないわ、この娘。
オースティンの小説を現代のモラルで読んではダメというのはわかっているものの、これはちょっと行きすぎなのでは? ところどころそんなファニーを揶揄しているかのような作者の心が見え隠れしているような気がするのは私の気の迷い? 表面的にはハッピーエンドですが、自己満足の権化のようなファニーが同じような性格のエドマンドと結ばれて最後まで「マンスフィールド・パーク」という(ファニーにとって)唯一絶対の善の中で小市民的な満足を得ていく、というのがいちばんの皮肉でなくてなんでしょう?
訳者あとがきの中でファニーのことを「彼女だけはなに一つ過ちを犯さない。ただじーっと坐ったまま、なにもしないで、蛇のように陰険に、狙った獲物から目を離さない」と書いているのですが、(訳者の意図とは別に)言い得て妙だなあと笑ってしまいました。
確かに計算高くはあるけれど、メアリー・クロフォードのほうが性格的にはエリザベス・ベネットに近く魅力的だと感じるのは私だけじゃないと思う。
世界文学全集 17 ジェーン・オースティン (17) マンスフィールド・パーク
原題:Mansfield Park
作者:ジェーン・オースティン
訳者:臼田 明
出版社:集英社世界文学全集17
ISBN:4081680175
オースティンの作品でこれほど読むのがつらかったのは初めてかも。いえその、ストーリーテリングは相変わらず巧みで先へ先へと読ませるんですが、主人公に感情移入できないことおびただしい。
ファニーは控えめで上品で知的で、常に(当時の)道徳的に正しいと思うことしかしないし、他人のために役立とうと心を配ります。が、それがすべて本人の認識なのよねえ。たかが18かそこらの小娘が、しかもマンスフィールド・パークという狭い世界しか知らない人間が、自らが神であるかのように他人を断罪する姿を見ると腹が立って先に進めなくなるんですよ。久しぶりに帰った実家で両親や兄弟姉妹を「品がない」といって嫌悪する姿には「何様のつもり?」と殴ってやりたくなりました。エマより気に入らないわ、この娘。
オースティンの小説を現代のモラルで読んではダメというのはわかっているものの、これはちょっと行きすぎなのでは? ところどころそんなファニーを揶揄しているかのような作者の心が見え隠れしているような気がするのは私の気の迷い? 表面的にはハッピーエンドですが、自己満足の権化のようなファニーが同じような性格のエドマンドと結ばれて最後まで「マンスフィールド・パーク」という(ファニーにとって)唯一絶対の善の中で小市民的な満足を得ていく、というのがいちばんの皮肉でなくてなんでしょう?
訳者あとがきの中でファニーのことを「彼女だけはなに一つ過ちを犯さない。ただじーっと坐ったまま、なにもしないで、蛇のように陰険に、狙った獲物から目を離さない」と書いているのですが、(訳者の意図とは別に)言い得て妙だなあと笑ってしまいました。
確かに計算高くはあるけれど、メアリー・クロフォードのほうが性格的にはエリザベス・ベネットに近く魅力的だと感じるのは私だけじゃないと思う。
世界文学全集 17 ジェーン・オースティン (17) マンスフィールド・パーク
原題:Mansfield Park
作者:ジェーン・オースティン
訳者:臼田 明
出版社:集英社世界文学全集17
ISBN:4081680175
by timeturner
| 2009-03-21 19:31
| 和書
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