2021年 08月 22日
猫が歩いた近現代 |
化ける・祟るなど、江戸時代には狡猾で恐ろしいイメージだった猫は、どのように今日の地位を獲得していったのか。文豪たちに愛され、ネズミ駆除で重宝された一方、虐待、軍用毛皮の供出、食糧難による猫食いなど、苦難の路を辿った猫たちへの日本人のまなざしの変化を描き、人間社会のなかに猫の歴史を位置づける・・・。
カバー写真の猫は早稲田大学構内で暮らす地域猫だそう。
「猫の歴史」を考える意味―プロローグ
猫の「夜明け前」―前近代の猫イメージ
猫の「明治維新」と江戸の「猫ブーム」
明治初期の猫認識
近代猫イメージの誕生―猫が「主役」になるまで
明治の文筆家たちと猫
絵画における「猫の近代」の成立
国家が起こした「猫ブーム」―猫の三日天下
「猫畜」を飼え! の大号令
「猫イラズ」と猫捕り
猫の地位向上と苦難―動物愛護と震災・戦争
虐待と愛護のはざまで
震災・戦争と猫
猫の戦後復興と高度成長―猫の「ベビーブーム」
「猫食い」の密行から戦後復興へ
猫文化勃興と猫の社会問題化
現代猫生活の成立―高度成長終焉以降
猫生活の劇的変化の時代
慢性的「猫ブーム」の光と影
「社会の一員」としての猫
猫の近代/猫の現代とはなにか―エピローグ
浮世絵の国芳が注目されるようになったため、江戸時代は猫好きな人が多く猫ブームだったと思ってしまいがちだけど(実は私も半ばそんな気分でいた)、実際には猫をしきりに描いたのは国芳だけ。ブームだったら他の浮世絵師もこぞって描いたはずだという説明になるほどと納得した。
また、国芳にしろ他の絵師にしろ、猫を描いたのは擬人化するためであって、猫そのものの愛らしさを描こうとしたわけではないという説にもうなずいた。
この本では触れられていないけれど、身近にいて観察しやすいペットのうち、猫のほうが犬よりも圧倒的に擬人化しやすいよね。犬は四本足で立っていることが多いのに比べて、猫は2本足で立ったり、おっさん座りをしたり、顔を洗ったりする。江戸時代のペットに多かったと言われる鳥や金魚・鯉に至っては、体の構造が違いすぎて擬人化をしても無理がある。
昔の人が猫を飼う第一の目的は愛玩ではなく鼠取りだったし、猫好きの意識も今とはまったく異なり、子猫が生まれたら海や川に投げ込んで始末するし、人間の食べ物を盗んだら殴り、時には殺してしまう。良心の呵責は全く感じない。人間と畜生は同列では考えられないものだった。
それに江戸時代には化け猫の話がたくさん出回ったから、猫の印象は今の私たちが考えるようなものではなかったのよね。
明治41年に細菌学者のコッホが来日したおりに、ペスト対策には猫を飼って鼠を駆除するのがいちばんだと聞き、猫の飼育を国民に義務付けることが検討されたという話は初めて知った。実際、東京府では各家庭で「猫畜」を飼育するようにとの告諭を警視庁が発したという。それを受けて警察官が各戸を回って猫を飼っているかどうかを調べ、飼うように説いてまわったそうだ。
横浜では猫が生まれると一匹につき50銭の飼育手当が衛生組合から下付され、その子猫は組合内の希望者に分与された。猫を飼っている家ではペスト予防消毒を行う際に天井の羽目板を外さなくてもいいという特典もあったらしい。
こうやって猫を飼う家庭が増え、猫万々歳かと思っていると、「猫イラズ」が簡単に手に入るようになり、猫は御用済みになってしまった。もちろん、飼っているうちに猫好きになった人はそのまま飼い続けただろうけど、実用のために飼っていた人はとたんに捨てる。
特にこの頃は女性に猫嫌いが多かった。可愛がるだけですむ男性や女中を使える奥様・お嬢様は別として、家事を一手に引き受けていた女性たちにとって、そこらじゅうに抜け毛を散らし、泥足で畳の上を歩き、人間の食べ物を盗み食いし、ところかまわず排泄したり吐いたりする猫は厄介者としか思えなかっただろう。
そういえば私の祖母も猫が嫌いで、台所に近寄ってきたりすると水をかけてたなあ。彼女の猫嫌いにはある種の「恐怖」も混じっていたような気がする。
ところで、猫の皮で三味線という話、伝説みたいなものかと思っていたら本当なのね! そういえば子どもの頃、「猫捕り」「猫さらい」なんて言葉を聞いたことがある気がする。
三味線の材料にする猫皮については、三味線製作職人の話で「猫は矢張り若くて大切に育てられたのに限る。粗末に飼われた猫の皮は疱瘡が多くて駄目」と述べられており、必然的に、猫捕りの手は大事に育てられている飼い猫や子猫に向かうことになった。
多くは猫を捕まえた後に公衆便所などで皮を剝いだので、公衆便所は通称「手術室」という隠語で呼ばれた。猫を捕るときはインバネスや外套を着てちょっと紳士風にする。まず鳥屋に行って雀を買い、これをポケットに押し込める。そして雀の足に紐をつけて、猫を釣る。雀が羽をバタバタさせる音を聞いて猫が近づいてくるので、これを捕まえて懐に入れる。飼い猫であるから、外套で暖かくくるまれると猫はさほど暴れない。中にはゴロゴロ咽を鳴らすものまでいる。それをそのまま「手術室」に連れていくのである。昭和に入り、日本でも本格的な動物シェルターが生まれたという話の中に、フランセス・バーネットが援助したと書いてあったので、『小公女』のバーネット?と驚いたのだけれど、新聞記事の日付が1926年とか1929年なのよね。バーネットは1924年に死亡しているので別人だな。
せっかく動物愛護の風潮が育ってきたと思ったところで戦争が始まってしまう。そうなるとペットなんて二の次、三の次。おそろしいことに猫も犬も「お国のために」処分されたり徴用されたりするようになった。
役場の人間は「氷点下40度にもなるアッツ島を守る兵隊さんのコートの裏毛になる。お国の役に立つめでたいことだ」と話していたという。
そもそも毛皮が必要だというのであれば、然るべき手段を整えて養殖するのが本来のあり方である。国民の飼育している猫や犬を場当たり的に供出させれば、再生産はできず、そのうち資源は尽きてしまう。撲殺に関わった人の証言では、多数の猫が撲殺されまいと木の上に逃げて震えており、その風景はさながら「ねこの木」が出現し大きく震えているようであったというものがある。
とはいえ、国家の観点からすれば、非合理だからこそ、それを乗り越えて戦争に協力させることに意味があったとも考えられる。苦しい戦時下の生活のなかで、人々の不満は高まり、また他人に対する監視や密告も横行していた。雑誌『日本犬』に筆を執っていた石川忠義は、食糧難を理由に畜犬撲殺を主張する議論に対して、飼い主はそのために特別な配給を受けているわけでもなく、自分の食べ物を節約して与えているのであり、犬を殺しても配給量が増えるわけではないと述べ、「かゝる世間一部の批難は、戦時下に次第に緊迫し来る生活に、神経質となり他人の生活を自己の生活感情と同一のもとに律しやうとする我儘と、ゆとりあるこゝろのひろさを失つた人々の、おせつかいから出るものであらう」と批判している。
札幌では、猫が水の汲まれたドラム缶のなかに沈められて殺された様子を目撃した人がおり、また静岡では、飼い猫をどうしても供出したくないために、代わりに捨て猫を捕まえて差し出したといった体験談が残されている。猫を出し出した人々は、自分の愛する猫を守れなかったとして戦後長らく自分を責め続けた。また猫を撲殺する仕事を引き受けた人のなかにも、その時の光景が忘れられず、心のなかに悔いを抱えつづけた人がいた。供用はされなくても、疎開のときや爆撃のときに置き去りにされて死んだ猫も多かった。また、食料難から猫を食べる人たちもいた。
この時期猫の数が減少したことは前述したが、猫を食べる人々の存在もその一因となっていた可能性もある。戦後、平和になり、高度経済成長期が訪れると人々の暮らしに余裕が生まれ、ペットを飼う人が増える。さらに少子化や独身者の増加もあいまって、ペットが「家族」に近づいていく。
そもそも、猫を食べる行為は江戸期から一部で行われており、江戸時代の副数の書物に薬としての猫食の効能が書いてあったりもする。猫が持つと考えられていた魔力や霊性のイメージと結びついたものであったと考えられる。
当時、戦争で住む家を失って公園や駅などに寝泊まりする人も多かったが、大分県別府市では、公園にたむろするこうした人々が猫を食べてしまうために、猫を飼っている人が猫に紐をつけて縛り外に出ないようにしていたという目撃証言もある。また長崎県では、牛肉不足はドコ吹く風、人々が猫を「庭うさぎ」と呼んで食べることが流行し、人々が美味に酔いしれているという記事が新聞で報道されている。
でも、だからといって犬や猫にとって暮らしやすい世の中になったかというと、そうはいかないのがペットの宿命。猫ブームと平行して起こる捨て猫の増加、隣近所からの苦情、猫の虐待など、室内飼いされる猫と外に出されて野良になる猫の格差がどんどん開いていく。また、人間社会の歪みが力の弱い猫に向けられる事例も増える。
保健所の担当者が「猫好きは連帯するけど、猫嫌いは孤立するから心配」と話したように、極端な行動に出る人には、地域社会とのコミュニケーションがなく、疎外・孤立している人であることが多かった。逆に、猫の多頭飼い、飼育崩壊などもこの頃からたびたび問題になるが、そうした人もまた、地域社会から孤立した人であることが多い。そもそもペットブームの背景の一端には、人間社会の複雑化のなかで、人間よりも猫や犬の方が信頼できる、というような意識を持つ人が増えていたこともあった。人間社会の機能不全のしわ寄せが、猫ブームと猫への苦情との両者に影響していたのであった。災害時のペットの取り扱いも、猫を虐待する人への懲罰も、猫を愛する人々の絶えざる努力で少しずる改良されてきた。これからもさまざまな問題は起こるだろうが、そのつど真面目に考え対処していけば大丈夫だと作者も認識している。
全体的に見れば、猫は人間に都合のいいように扱われ、さまざまな酷い目に遭わされ続けてきた。しかし、本書でみてきたように、日本の猫と人間の関係は、近現代史のなかで大きく変化してきたのもまた事実である。猫の問題は人間社会の問題であり、人間社会は大きく変わりうる、変えうるものである。【誤植メモ】 p.23 9行目 多いの対し⇒多いのに対し
社会のシステムに絡め取られていることの自覚は必要だが、しかし我々も猫も、そのシステムを離れては存在しえないのだとすれば、そのシステムの制約のなかで、微調整を続け、試行錯誤を重ねながら双方の幸福度を上げていくことしか、問題に対処する方法はない。
猫が歩いた近現代―化け猫が家族になるまで
作者:真辺将之
出版社:吉川弘文館
ISBN:978-4642083980
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by timeturner
| 2021-08-22 19:00
| 和書
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