2017年 10月 13日
妊娠小説 |
日本の近現代文学に望まない妊娠を扱った「妊娠小説」とでも呼ぶべき一大小説ジャンルがあることを発見した著者が、『舞姫』から『風の歌を聴け』まで、独自の視点と手法で妊娠小説のあゆみ・しくみ・なかみを解明する。一大センセーションを巻き起こした処女評論。
うわあ、煽る、煽る。この巧みな語り口ときたら。完全にのせられ、煽られ、舞い上がった。よくぞここまで書いてくださいましたと平伏したくなる。
単に奇をてらった切り口やネーミングで驚かそうというのではなく、きちんとした文芸評論になっているのがすごい。小説の中に出てくる妊娠をこんなふうに考えたことなんかなかったよ。
どういうところが凄いのかを書こうとしても、あまりに一度に大量のデータが脳内に流れ込んだので目が回っているし、そもそも私の貧弱な筆力ではとても表現しきれないと思うので、横着だとは思いつつ引用で紹介します。小説好きな女子ならぜひ読んでみて。目からウロコがごそっと落ちるから。
《妊娠小説/世界文学篇》読みたい!
妊娠小説 (ちくま文庫)
作者:斎藤美奈子
出版社:筑摩書房
ISBN:4480032819
うわあ、煽る、煽る。この巧みな語り口ときたら。完全にのせられ、煽られ、舞い上がった。よくぞここまで書いてくださいましたと平伏したくなる。
単に奇をてらった切り口やネーミングで驚かそうというのではなく、きちんとした文芸評論になっているのがすごい。小説の中に出てくる妊娠をこんなふうに考えたことなんかなかったよ。
どういうところが凄いのかを書こうとしても、あまりに一度に大量のデータが脳内に流れ込んだので目が回っているし、そもそも私の貧弱な筆力ではとても表現しきれないと思うので、横着だとは思いつつ引用で紹介します。小説好きな女子ならぜひ読んでみて。目からウロコがごそっと落ちるから。
1868年、といえば明治維新の年だけれども、妊娠文化史的にいうと、これは「堕胎薬の販売が禁止された年」と記憶されなければならない。新暦の十月二十日だから、正確には慶応四年。明治に改元される三日前のことだ。日本の近代は、大政奉還ではなく、「望まない妊娠の管理統制」からスタートしているのである。この本の中でわが国最初の「近代妊娠小説」と位置づけられている『舞姫』の価値を作者はこう言い切る。
妊娠小説は擬態が得意なのだ。どういうものか、みな「恋愛小説」や「青春小説」に化けている。念のためにいっておくと、書評や批評、新刊広告、文庫巻末の解説文といった各種外部インフォメーションもほとんど役に立たない。それらの大多数は、妊娠にまつわる箇所にはふれないように、ふれないようにと細心の注意をはらっているかのようでさえある。
妊娠小説で「生みたくない」という女は、環境庁のレッドデータブックに載せた方がよいと思うほどの希少種である。が、こっちサイドの意向は、こんどはまたしつこいほどの「動機づけ」がついてまわる。女が生みたがるのに理由はいらぬが、生みたがらないのには理由がいる。これが妊娠小説界の鉄則だ。
避妊というのは、愛情ではなく道徳でもなく正義でもなく、ちょっとした知性に属する行為だろう。そのうえで、人間はわかっていても同じテツを踏むおろかな動物で、だからこそ望まない妊娠もし、そこに人生の機微がある、とうなずくか、避妊も満足にできないやつらが人生だの生命だのを云々するのは笑止である、と一蹴するか。そのへんはもちろんあなたの自由だ。
ともあれ、処女性や貞操が特別に大切と考えられていた時代の話。「ユングルロイリヒカイト(処女性)」を本来守ってやるべき立場にあるインテリの男が自ら「ユングルロイリヒカイト」を傷つけただけでもこれだけの弁明が必要なのだ。妊娠させたとなれば、そうとうにヤバかったはずである。この本が書かれたときに『騎士団長殺し』がすでに刊行されていたら、どんな分析がされていたんだろうと興味津々。《妊娠濃度2 妊娠スパイス級》かな。
しかし、妊娠小説史にとってはそれがもっけの幸いだった。そのとき男ははじめて「妊娠」という現実に直面するからである。「どうでもいい女の問題」だった妊娠は、このとき「どうでもよくない男の問題」に昇格する。肝心なのは、妊娠が男のものになった、というこの点だ。男の問題にあらずば文学の問題にもあらず、の状況に照らせば、これは「妊娠の発見」といってよい。
《妊娠小説/世界文学篇》読みたい!
妊娠小説 (ちくま文庫)
作者:斎藤美奈子
出版社:筑摩書房
ISBN:4480032819
by timeturner
| 2017-10-13 19:00
| 和書
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