2014年 09月 01日
バルト三国の旅(9/1)タリン⇒プラングリ島⇒タリン |
朝8時、インフォメーションの前で女性2人がピックアップしてくれた。若い女性エロ(Elo)のほうがガイドで、中年女性は港まで車で送る係り。参加者は私たちのほかには母と娘、あるいは祖母と孫娘と思われるフィンランド人女性の2人だけ。娘さんのほうはオーストラリアに住んでいたことがあるそうで、こなれた英語だとオーストラリア在住の友人が言っていた。私にはエロの英語のほうが聞き取りやすいのだけれど、外国人向きの発音なのかもしれない。
プラングリ島は、下の地図で赤い矢印がさしているタリンの右上の小さな島。600年くらい前からある漁村らしい。
地図の左側にあるエストニアの定番観光地、サーレマー島、ヒーウマー島と比べると、プラングリ島がいかに小さいかわかるでしょう? 縦6km、横3.5km、面積はわずか6.44平方キロメートル。住人数は100人以下。
タリン-プラングリ間の船。所要50分。船内に売店もある。席は自由。
外から見るとこんな感じ。
港周辺はゴミ捨て場みたいになってるところもあり、さびれた雰囲気。
島での運転手をしてくれるおじさんが迎えにきてた。愛想はあまりないけれど、どうやら見慣れない東洋人が2人もいたので緊張していたらしい。だんだん慣れてきたら笑顔も見せるようになった。
マイクロバスかワゴン車かなと思ってたのだけれど、これ?! 荷台に平行棒みたいなものが2本固定してあり、そこに腰をおろすんだけど、幅が狭いから安定しない。車が揺れたはずみに振り落とされないようまわりの柵にしがみつく。ちょうどこのとき空がどんよりと曇り、雨も降ってきたので、市場に売られにいく羊の気分を味わえた。
ふだんの仕事(農業・漁業)の空いた時間にアルバイトで車を貸し、運転もするということらしい。こんな小さな島では専業農家、専業漁師ではなかなか現金収入が入りにくいのかもね。このあと訪ねた先の人たちはみんなそういう感じだった。貧しいから必死に働かなくてはならないというのではなくて、よく知ってる同士で都合を合わせて仕事を回してる感じだ。
なにしろ100人弱しか住んでいないので、一家4人で計算しても25戸しかない。だから、わざわざ隣りとくっつけて家を建てたりはしない。ぽつんぽつんと木々の間に現れる。感じのいい木造の家が多かった。
正規の郵便ポスト? ちょっと不安になる風情。
庭にボートがある。
森の中にストーブみたいなものが放置してあって、何かと思ったら天然ガスだった。
ソ連時代に爆弾製造用のウラニウムを掘ったら、代わりにメタンガスが出たらしい。で、ソ連はそのままにしていっちゃった。ふだんは炎が出ないようにしてある。エロが蓋をとって点火したらご覧の通り。ガスの噴出量は少ないので危険はないらしい。この近くでキャンプすると便利かもね。
プラングリ島にはすごくドラマチックな歴史がある。1941年8月にエストニアの蒸気船SS Eestirandがこの島の沖で難破した。第二次世界大戦の最中で、この船はソ連の軍事輸送に使われていたのだ。難破した時にはタリンから撤退してきたソ連軍兵士と、3500人のエストニア人徴集兵を乗せてレニングラードに向っていた。ところがドイツ軍に爆撃され、船は大きな損害をこうむり、死者もたくさん出た。艦隊を指揮するソ連人司令官はそのまま航行を続けるよう命じたが、エストニア人船長はこの命令を無視。プラングリ島に船をつけると、乗組員、2700人のエストニア人徴集兵と協力してソ連兵の武器を奪い、当時ソ連の支配下にあったプラングリ島を占拠した。その結果、エストニア人たちはレニングラードに送られる運命を免れた(ただし、船長はソ連によってエストニアを追放され、1972年にスウェーデンで亡くなった)。当然ながら現在のエストニアでは船長も乗組員も英雄視されていて、記念碑もある。
前振りが長くなったけれど、そのときに亡くなった人たちのお墓。
この岩は、上まで登ってすべり降りると子供が授かるという言い伝えがある。
子供が欲しい人本人だけでなく、その家族が代わりにやってもいいんだって。友人は娘のためにがんばった。エロもおつきあい。なめらかでたいして大きな岩には見えないけれど、目の前にするとかなりの急勾配。おまけにつるつる滑るので度胸がいる。特に滑り降りるとき。
博物館カフェMuseumi Tankla。
漁村で日常的に使う雑多なものが並べてあるだけで、誰かの家の物置に毛がはえたような感じだけど、どれも使っていた人たちの暮らしぶりが感じられて楽しい。
あ、バンドネオンがある! ドイツから渡ってきたんだろうな。
博物館はもうひとつあって、こちらは自然史博物館といった趣。
村の教会。
庭にある石を指して何か説明しているけど、完全に忘れた。化石?
鐘楼に登った。
教会のとんがった屋根の内側ってこんなふうになってるんだ。
鐘楼からの眺め。木々がとぎれたところが海。
ランチは農家のテラスで。その家のご夫婦が作ってくれた、釣ってきたばかりの魚のムニエル(量を見て! お代わり自由)と自分ちの畑でとれた野菜。いやあ、おいしかった!
かなり広い敷地にいくつも小屋があるんだけど、働き手が足りなくて手入れが行き届いてない感じもした。夏は観光業が忙しいから、これから冬までに手を入れていくのかな。
住んでいるのは夫婦と小学生くらいの子供2人、犬が2匹、猫が1匹。こんなところで育つ子は幸せだねえ。犬猫がみんな長毛なのは冬の厳しさを示しているのかも。
子供たちが弓で矢を射って遊ぶ的らしい。
腹ごなしに庭(?)を散歩して、犬や猫と遊んでからおいとま。ごちそうさまでした。
エロはどこか地方都市(タルトゥだったかな)出身で、生っ粋の田舎っ子ってわけではないようだが、この仕事のために勉強したのか、あるいはもともと好きだったのか、植物の名前や生態をよく知っていて、歩く道々、「あ、これは食べられるわよ。試してみて」と教えてくれる。残念ながらすっかり忘れちゃったけど。
この黒っぽいのはジュニパーベリー。
これだけはメモしてあった。英語名がAsh Treeで、オレンジ色の実は食べられる。ひょっとしてリトアニアで果実酒やジュースにしていたあの実かな。
実際のところ、それほどおいしいとは思わない。コンビニのないところで育つ子供たちが、遊んでる途中で食べればおいしく感じるのだろう。私も子供のころ、オシロイバナの蜜を喜んで吸ってたっけ。
雨が降ったのでキノコも生えてたけど、これは怖くて食べられない。
どこかの家の庭に落ちてたリンゴ(?)。みんなで1個ずついただいて食べた。
花もたくさん。
これは浜辺に茂ってたからハマナスだよね?
コテージ村のようなものもあり、敷地内にレストランもある。ただし、営業はシーズン中だけ。
レストランとテラス。
すぐそばに船着き場もある。
これはコテージ村のサウナ。
中はこんな。たぶん籠の中の石を熱して水をかけるのよね。
手作り感いっぱいのブランコ。見た目は素朴でのんびりした感じだけど、実際に乗るとかなり怖い。向かいあって漕ぐ形だから、力のつりあった大人が思い切りこぐと、ほとんど垂直になるくらい上がる。私はジェットコースターやスキーなど、急速に落ちる動きがすごく苦手なので、途中で気持ち悪くなってきておろしてもらった。情けない。
ビーチは岩がごろごろしていて海水浴向きとは思えないけれど、磯遊びは楽しめる。水鳥も40種類くらい見られるらしい。
村で唯一の食料品店(?)。
タリンに戻り、迎えの車で旧市街まで送ってもらってみんなとさようなら。ああ、楽しかった!
昼食がたっぷりだったので、夕食はBeer Houseでビールとつまみ程度。醸造所がついているからビールはおいしかったけど、店の造りはいかにも観光客向けという雰囲気。
プラングリ島は、下の地図で赤い矢印がさしているタリンの右上の小さな島。600年くらい前からある漁村らしい。
タリン-プラングリ間の船。所要50分。船内に売店もある。席は自由。
なにしろ100人弱しか住んでいないので、一家4人で計算しても25戸しかない。だから、わざわざ隣りとくっつけて家を建てたりはしない。ぽつんぽつんと木々の間に現れる。感じのいい木造の家が多かった。
エロはどこか地方都市(タルトゥだったかな)出身で、生っ粋の田舎っ子ってわけではないようだが、この仕事のために勉強したのか、あるいはもともと好きだったのか、植物の名前や生態をよく知っていて、歩く道々、「あ、これは食べられるわよ。試してみて」と教えてくれる。残念ながらすっかり忘れちゃったけど。
雨が降ったのでキノコも生えてたけど、これは怖くて食べられない。
昼食がたっぷりだったので、夕食はBeer Houseでビールとつまみ程度。醸造所がついているからビールはおいしかったけど、店の造りはいかにも観光客向けという雰囲気。
by timeturner
| 2014-09-01 11:33
| 旅行
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