2016年 11月 23日
プリズン・ブック・クラブ コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年 |
刑務所内で受刑者たちが参加する読書会。ひとりの女性がボランティアとして一年間この読書会に参加し、受刑者たちの話を聞いた。本を読むこと、読んだ本について他の人々と話し合うことが人間にどんな影響を与えるかを描いたノンフィクション。
期待が大きすぎたのかな。読書メーターではとても評判がいいんだけど、私はいまいちだった。なんか生ぬるい。作者はニュース雑誌の記者だったそうで、それが悪いほうに出たような気がする。使い古された表現であたりさわりなく数ページにまとめたものが延々400ぺージ超も続いたらたまらない。
刑務所という、ありとあらゆる人種・背景を持った犯罪者が集まる場所にのりこみ、一年間もがんばってきたのだから、おそらくここに書かれている何倍もの重い体験をしているはずなのに、それが出ていない。目のつけどころはよかったのに作者の技量が追いつかなかったという感じ。もったいないなあ。テープに録音してたのもよくなかったのかもね。テープ起こしした原稿に少し手を入れただけ、みたいな構成だもの。
もちろん対象が対象なだけに考慮すべきことが多く、書きたくても書けないことが多かっただろうことは想像できるけれど、問題はそこじゃないと思う。
特に不満なのが読書会の様子を紹介したところ。分量も少ないし突っ込みも浅いので、発言している受刑者たちの気持ちがきちんと捉えられていない。この点については翻訳も関係しているのかもしれない。
もうひとつ読んでいてとても苛々させられたのは作者の自分語り。イギリスで強盗に襲われた体験談は必要だとしても、ことあるごとに「わたしは」「わたしが」と出てくるエピソードがどう考えてもこの本には必要ないもののように思える。作者としては、塀の中と外、どちらも描いてコントラストを見せたかったのかもしれないし、読書会によって受刑者たちが変わるのと同時に自分もまた変わったことを表現したかったのかもしれないけれど、成功していない。
たとえば、両親から本を読んでもらった記憶がないと語る受刑者の話のあとに、「なんて寂しいことだろう。私のほうは子どものころ、毎晩のように母親が添い寝をしながら、英語とフランス語の両方で童話を読んでくれたものだ」と言って、読んでもらった本のタイトルと作者を長々と列記します。それが受刑者の話とリンクしてより深い考察が出てくるのかと思っていると、何もない。ただ、語りたかっただけ。
かと思うと、「不安定な環境で育つのは、さぞ心のすさむ思いがしたことだろう」(こういう陳腐で安易な言い方そのものがもうダメ)と受刑者に同情したあとに続けて、「それに比べて、わたしは安心できる家庭で、愛情深い両親に育てられた感受性の強い人間だ」って……目を疑ってしまった。
カフェでランチを食べながら「タータンチェックのサッチェルバッグを開けて、キャロルから渡された手記を取りだ」す。《タータンチェックのサッチェルバッグ》が後になって重要な鍵になるのかと思いきや、最後まで何も起こらない。「バッグ」とか「かばん」ではプロの作家らしくないとでも思ったのかしら。そういう技巧はロマンス小説を書くときに使ってほしい。ご丁寧にも訳者がサッチェルバッグに【イギリスの伝統的な学生カバンふうのバッグ】なんて訳注を入れているからよけいに悪目立ちしてる。
でも、こういうところって本当だったら(原著の)編集者が口を出すべきなんじゃないかとも思う。だらだらしたところをカットし、構成がまずいところは入れ替え、よけいな自分語りは控えさせる。陳腐な表現は変えさせる。そうしたら5割増しくらいよくなると思うんだけどなあ。
なーんて、いきなり文句たらたら書いてしまったけど、題材が題材なので、興味深い話は多い。
カナダの刑事制度なんて何も知らなかったので、軽警備刑務所の話にはびっくりしたし、中警備の刑務所でも受刑者がみんな私服というのにも驚いた。そもそも、無期懲役の受刑者もいるような刑務所で読書会という発想自体が驚きでした。日本でもあるのかな。
何か危険物が所内に持ち込まれた疑いがあると、すべての監房を徹底的に捜索し、一週間ほどのあいだ、受刑者たちはあらゆる活動を制限され、風呂もシャワーも禁止。所内の掃除も行われないので非衛生的な環境に耐えなくてはならないというのも初めて知った。おかしかったのは、要領のいい受刑者はそういうときのために必要なものを非常用袋に入れて備えているという話。監房の洗面台で体を洗うためのスポンジや、ふだんは売店で買うおやつの類を入れておくんですって。
読書会で読まれた本のうちで読んだことがあったのは『夜中に犬に起こった奇妙な事件』『ガーンジー島の読書会』『怒りの葡萄』『賢者の贈り物』だけ。ほとんどは書名を聞いたこともないものが多くてびっくり。世の中まだまだ知らない本があるんですねえ。カナダでの話だからというのもあるのかも。同じ英語圏だし、地理的にも近いので、なんとなくカナダの動向はアメリカと同じような気がしてしまうのですが、こんなにも違うんだと再認識しました。
『The Book of Negroes』という本が課題になったときには、先日読んだラングストン・ヒューズのA Negro Speakes of Riversという詩を思い出しました。あれを読んだとき、自身が黒人だからこそNegroという言葉を使えるんだろうなと思ったからです。この本の読書会でもその言葉について話題になっていました。
プリズン・ブック・クラブ--コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年
原題:The Prison Book Club
作者:アン・ウォームズリー
訳者:向井和美
出版社:紀伊國屋書店
ISBN:4314011424
期待が大きすぎたのかな。読書メーターではとても評判がいいんだけど、私はいまいちだった。なんか生ぬるい。作者はニュース雑誌の記者だったそうで、それが悪いほうに出たような気がする。使い古された表現であたりさわりなく数ページにまとめたものが延々400ぺージ超も続いたらたまらない。
刑務所という、ありとあらゆる人種・背景を持った犯罪者が集まる場所にのりこみ、一年間もがんばってきたのだから、おそらくここに書かれている何倍もの重い体験をしているはずなのに、それが出ていない。目のつけどころはよかったのに作者の技量が追いつかなかったという感じ。もったいないなあ。テープに録音してたのもよくなかったのかもね。テープ起こしした原稿に少し手を入れただけ、みたいな構成だもの。
もちろん対象が対象なだけに考慮すべきことが多く、書きたくても書けないことが多かっただろうことは想像できるけれど、問題はそこじゃないと思う。
特に不満なのが読書会の様子を紹介したところ。分量も少ないし突っ込みも浅いので、発言している受刑者たちの気持ちがきちんと捉えられていない。この点については翻訳も関係しているのかもしれない。
もうひとつ読んでいてとても苛々させられたのは作者の自分語り。イギリスで強盗に襲われた体験談は必要だとしても、ことあるごとに「わたしは」「わたしが」と出てくるエピソードがどう考えてもこの本には必要ないもののように思える。作者としては、塀の中と外、どちらも描いてコントラストを見せたかったのかもしれないし、読書会によって受刑者たちが変わるのと同時に自分もまた変わったことを表現したかったのかもしれないけれど、成功していない。
たとえば、両親から本を読んでもらった記憶がないと語る受刑者の話のあとに、「なんて寂しいことだろう。私のほうは子どものころ、毎晩のように母親が添い寝をしながら、英語とフランス語の両方で童話を読んでくれたものだ」と言って、読んでもらった本のタイトルと作者を長々と列記します。それが受刑者の話とリンクしてより深い考察が出てくるのかと思っていると、何もない。ただ、語りたかっただけ。
かと思うと、「不安定な環境で育つのは、さぞ心のすさむ思いがしたことだろう」(こういう陳腐で安易な言い方そのものがもうダメ)と受刑者に同情したあとに続けて、「それに比べて、わたしは安心できる家庭で、愛情深い両親に育てられた感受性の強い人間だ」って……目を疑ってしまった。
カフェでランチを食べながら「タータンチェックのサッチェルバッグを開けて、キャロルから渡された手記を取りだ」す。《タータンチェックのサッチェルバッグ》が後になって重要な鍵になるのかと思いきや、最後まで何も起こらない。「バッグ」とか「かばん」ではプロの作家らしくないとでも思ったのかしら。そういう技巧はロマンス小説を書くときに使ってほしい。ご丁寧にも訳者がサッチェルバッグに【イギリスの伝統的な学生カバンふうのバッグ】なんて訳注を入れているからよけいに悪目立ちしてる。
でも、こういうところって本当だったら(原著の)編集者が口を出すべきなんじゃないかとも思う。だらだらしたところをカットし、構成がまずいところは入れ替え、よけいな自分語りは控えさせる。陳腐な表現は変えさせる。そうしたら5割増しくらいよくなると思うんだけどなあ。
なーんて、いきなり文句たらたら書いてしまったけど、題材が題材なので、興味深い話は多い。
カナダの刑事制度なんて何も知らなかったので、軽警備刑務所の話にはびっくりしたし、中警備の刑務所でも受刑者がみんな私服というのにも驚いた。そもそも、無期懲役の受刑者もいるような刑務所で読書会という発想自体が驚きでした。日本でもあるのかな。
何か危険物が所内に持ち込まれた疑いがあると、すべての監房を徹底的に捜索し、一週間ほどのあいだ、受刑者たちはあらゆる活動を制限され、風呂もシャワーも禁止。所内の掃除も行われないので非衛生的な環境に耐えなくてはならないというのも初めて知った。おかしかったのは、要領のいい受刑者はそういうときのために必要なものを非常用袋に入れて備えているという話。監房の洗面台で体を洗うためのスポンジや、ふだんは売店で買うおやつの類を入れておくんですって。
読書会で読まれた本のうちで読んだことがあったのは『夜中に犬に起こった奇妙な事件』『ガーンジー島の読書会』『怒りの葡萄』『賢者の贈り物』だけ。ほとんどは書名を聞いたこともないものが多くてびっくり。世の中まだまだ知らない本があるんですねえ。カナダでの話だからというのもあるのかも。同じ英語圏だし、地理的にも近いので、なんとなくカナダの動向はアメリカと同じような気がしてしまうのですが、こんなにも違うんだと再認識しました。
『The Book of Negroes』という本が課題になったときには、先日読んだラングストン・ヒューズのA Negro Speakes of Riversという詩を思い出しました。あれを読んだとき、自身が黒人だからこそNegroという言葉を使えるんだろうなと思ったからです。この本の読書会でもその言葉について話題になっていました。
アメリカをはじめ英語圏の出版社のなかには、この本を『Someone Knows My Name』というタイトルに変えたところもある。というのも、〝ニグロ"という言葉に読者が嫌悪感を抱く恐れがあったからだ。タイトルを変えて出版することに最初は抵抗したものの、出版社の多くがなぜそれほど強く主張するのか理解できるようになった、とヒルは言う。「要するに、カナダで〝ニグロ"という言葉を使ったとしても、一五年ほど新聞を読んでいないちょっと時流に遅れた人間とみなされる程度でしょうが、もしニューヨークのブルックリンでその言葉を口にしたら殴られてしまう。それほど深刻で挑発的な言葉だからこそ、アメリカの出版社はもとのタイトルだと読者が敬遠して手に取ってくれないんじゃないかと懸念したのです。いまでは、黒人としての自尊心に欠ける人物を、同じ黒人が侮蔑するのに使うほど、彼らの文化圏では切れ味の鋭い言葉なんです」【誤植メモ】 p.31 9-11行目 祖父であるジョージ・ウィリアムズ卿から受け継いだらしい。ウィリアムズ卿は、ヴィクトリア朝のイギリスで布地の商売を手がけて成功するいっぽうで⇒誤訳とは言えないのですが「卿」はLordの敬称をつけられる男爵以上の貴族に使うものです。商売をしていた人間は貴族ではありえませんから、おそらく原文はSir George Williamでしょう。だったら、今の文芸翻訳の世界ではサー・ジョージ・ウィリアムとすればよいと宮脇先生からは教わりました。 p.66 後ろから5行目 あと一回で出てきたら⇒あと一回出てきたら p.334 後ろから4行目 またもしても⇒またしても p.368 1行目 どうにかして外に世界に⇒どうにかして外の世界に
プリズン・ブック・クラブ--コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年
原題:The Prison Book Club
作者:アン・ウォームズリー
訳者:向井和美
出版社:紀伊國屋書店
ISBN:4314011424
by timeturner
| 2016-11-23 19:00
| 和書
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