2016年 10月 27日
夜のパパ |
シングルマザーで看護婦として働く母親は、夜勤の間娘のユリアが家でひとりぼっちになることを心配し、泊まりがけで来てくれる子守を募集した。雇われたのは石に関する本を書こうとしている青年で、狭いアパートが資料の本で埋め尽くされて寝る場所がなくなりかけていたので好都合だったのだ。ユリアは青年を「夜のパパ」と呼び、ふたりは一緒にさまざまな夜の時間を過ごす・・・。
子供の本とは思えないような、不思議に静かな空気をまとった本でした。長い間絶版になっていたのが、「復刊ドットコム」で多くの人の投票や応援を得て復刊されたそうですが、なるほど、これは復刊する価値のある作品です。
とにかくユリアがとてもいい。友達からからかわれたり苛められると本気で悩む子供らしさは残したままで、まるで天啓のように鋭い真理をしばしば口にして「夜のパパ」を恐れいらせます。それが、ちっとも生意気そうじゃなくて、賢いけどかわいいんですよね。相手より優位に立つために言い負かそうとして言ってるわけじゃないから。自分にも他人にも正直で、どんなことにも一生懸命なのがいじらしい。
「夜のパパ」のほうも、現実にこんなに人のいい人はいないだろうと思うほど善良で、変に子どもに気をつかわないところがユリアに気に入られたわけですが、私も気に入りました。フクロウのスマッグルもいい味を出しています。夜が主役の話にフクロウって最高ですよね。
ふたりが交互に書く本(相手の書いたところは読んじゃいけないルール)という体裁なので、ふたりの視点から見られるのも楽しいです。お互いに相手を気遣っているのに、それに気づかなかったり、片方が考えていることをもう片方が完全に誤解していたり、よけいなことを考えたり。人間関係ってほんとに難しいなあと気づかされます。お互いに好意をもっている善意のふたりの間でさえこうなんですから、そうでない場合は推して知るべしですよね。世間づきあいがうまくいかないのは当たり前のことなんだと開き直りたくなります。
でも逆に考えると、このふたりがうまくいったのは、血がつながっていない他人同士だったからだとも言えますね。血がつながっているだけで親は子供を自由にできると考えがちだし、子供のほうは何をしても許されると考える。他人同士だから遠慮というか礼儀が前提にあって、実の親子だったら感情的になってしまうようなときでも、一歩さがって相手の主張を冷静に客観的に考慮できるのかもしれない。
とはいえ、今では考えられない設定だなあと思います。小学生の娘がいる家に、よく知りもしない(母親は電話で簡単に相手のことを聞いたあと、一度会ってすぐ家の鍵を渡しています)若い男を泊まらせるなんて、今の時代にもし実際にあったら、なに考えてるんだって非難されますよね。
この本が刊行されたのは1968年ですが、スウェーデンではその頃はまだ平和だったんですね。東京ではあり得なかったと思う。いや、それとも、その設定そのものがファンタジーなのかな。スウェーデンでもそんなことはありえない風潮だったからこそ、こういう本を書いたのかもしれませんね。
夜のパパ
原題:Nattpappan
作者:マリア・グリーペ
イラスト:ハラルド・グリーペ
訳者:大久保貞子
出版社:ブッキング
ISBN:483544135
子供の本とは思えないような、不思議に静かな空気をまとった本でした。長い間絶版になっていたのが、「復刊ドットコム」で多くの人の投票や応援を得て復刊されたそうですが、なるほど、これは復刊する価値のある作品です。
とにかくユリアがとてもいい。友達からからかわれたり苛められると本気で悩む子供らしさは残したままで、まるで天啓のように鋭い真理をしばしば口にして「夜のパパ」を恐れいらせます。それが、ちっとも生意気そうじゃなくて、賢いけどかわいいんですよね。相手より優位に立つために言い負かそうとして言ってるわけじゃないから。自分にも他人にも正直で、どんなことにも一生懸命なのがいじらしい。
「夜のパパ」のほうも、現実にこんなに人のいい人はいないだろうと思うほど善良で、変に子どもに気をつかわないところがユリアに気に入られたわけですが、私も気に入りました。フクロウのスマッグルもいい味を出しています。夜が主役の話にフクロウって最高ですよね。
ふたりが交互に書く本(相手の書いたところは読んじゃいけないルール)という体裁なので、ふたりの視点から見られるのも楽しいです。お互いに相手を気遣っているのに、それに気づかなかったり、片方が考えていることをもう片方が完全に誤解していたり、よけいなことを考えたり。人間関係ってほんとに難しいなあと気づかされます。お互いに好意をもっている善意のふたりの間でさえこうなんですから、そうでない場合は推して知るべしですよね。世間づきあいがうまくいかないのは当たり前のことなんだと開き直りたくなります。
でも逆に考えると、このふたりがうまくいったのは、血がつながっていない他人同士だったからだとも言えますね。血がつながっているだけで親は子供を自由にできると考えがちだし、子供のほうは何をしても許されると考える。他人同士だから遠慮というか礼儀が前提にあって、実の親子だったら感情的になってしまうようなときでも、一歩さがって相手の主張を冷静に客観的に考慮できるのかもしれない。
とはいえ、今では考えられない設定だなあと思います。小学生の娘がいる家に、よく知りもしない(母親は電話で簡単に相手のことを聞いたあと、一度会ってすぐ家の鍵を渡しています)若い男を泊まらせるなんて、今の時代にもし実際にあったら、なに考えてるんだって非難されますよね。
この本が刊行されたのは1968年ですが、スウェーデンではその頃はまだ平和だったんですね。東京ではあり得なかったと思う。いや、それとも、その設定そのものがファンタジーなのかな。スウェーデンでもそんなことはありえない風潮だったからこそ、こういう本を書いたのかもしれませんね。
夜のパパ
原題:Nattpappan
作者:マリア・グリーペ
イラスト:ハラルド・グリーペ
訳者:大久保貞子
出版社:ブッキング
ISBN:483544135
by timeturner
| 2016-10-27 19:00
| 和書
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