2016年 09月 16日
ミッシング 森に消えたジョナ |
仲良しのジョーとジョナは、その日も一緒に学校へ向かっていた。だが、消防車が通りかかると、ジョナは火事の現場を見ようと走り出した。制止するジョーの声も聞き流し、「だれにも言うなよ」と釘を刺して走っていった。そして、それっきりいなくなった・・・。
親友が消えた理由を話すべきかどうか、失踪したとわかってからの自責の念、そして、まわりがなんと言おうとあきらめないという決意。前半のそうした展開はいかにもシアラーらしく繊細でリアルで、こちらの心に突き刺さってきます。
それが後半に入ると次第に不気味な影が落ちてきて、なにやら忌まわしい者の存在を示唆するようになる。このあたりも手慣れたものです。少年たちがどうなるのか、どうやって逃れるのか、手に汗にぎって読み終えたのですが、でも、なんだかちょっと不満。
いつものシアラーに比べると、完成度が低いというか、中途半端な気がしてしまいます。少年ふたりのキャラクターは実によく描けていて、文句のつけようがないのですが、ジョーの母親とその友人たちが体現しているスピリチュアル系の人たちとか、出稼ぎに行きっぱなしで子供をほっぽりっぱなしのジョナの父親とか、都合よくすぐに死んで退場するジョナの祖母とか、まわりの大人たちに現実味が感じられない。
ふだんはないはずの幻の路地は中途半端に立ち消えになってしまうし、ウィジャ盤の使い方もとってつけたようだし、携帯電話の出し方も意味がないような気がする。肝心のときに都合よく落とさせるくらいなら、最初から持たせなければいいのにと思うのだけれど、そんなことはありえなくて、かえって不自然に見えるほどイギリスでは中学生なら誰でも携帯を持ち歩いているのだろうか? だとすると小説家にとってはやりにくい時代ですよね。
愛する人を閉じ込めるという点では『スノードーム』と非常に近いものがあると思うのだけれど、残念ながらあれほど美しく切ない「歪んだ愛」とは思えなかったなあ。このページ数で子供向きに書いたことによる限界があったのかもしれません。
ところで、訳者あとがきによるとこの本の舞台になっているのはグラストンベリーらしい。あの「聖なるサンザシ」のあるグラストンベリーですよ。前に別記事の終わりに藪から棒にくっつけたグラストンベリーに関する話をこちらに移動します。二度読みになった方にはごめんなさい。
グラストンベリーのサンザシ(Thorn)について興味をもつようになったのは、宮脇先生の勉強会で昨年のクリスマスシーズンに「The Thorn」(by Eric Mayer and Mary Reed)という怪奇短編がテキストになり、Holy Thorn of Glastonburyについていろいろ調べてから。
グラストンベリーはイングランド南西部サマセット州にあり、今ではロックフェスで有名ですが、大昔にはアリマタヤのヨセフがイングランド最初のキリスト教会を設立した地として有名だったそうです。そのヨセフが聖杯をグラストンベリーに運んだとき、杖をウイロール・ヒルに突き立てたらそれがサンザシに育ったという言い伝え。ふつうのサンザシと違って冬と春(クリスマスとイースター)、年に二回花を咲かせることから聖なるサンザシになったらしい。
オリジナルの木はピューリタン革命の際に迷信のしるしだとして切り倒され燃やされましたが、その代わりが1951年に植えられたものの、2010年に何者とも知れぬ者の手によって一夜で切り倒されたそうで、おそらく代わりはもう植えられていないんじゃないかな。
そんなこんなの経緯があったので、2014年のクリスマスに自分へのプレゼントとしてこのブローチを買いました。
イギリスのクリスマス切手(使用済み)を皮の台に載せてコーティングしただけのものですが、絵柄がグラストンベリーのサンザシです。
【誤植メモ】 p.176 11行目 体格ががよくなり⇒体格がよくなり p.184 2行目 どこの学校の生徒がばれてしまう⇒どこの学校の生徒かばれてしまう p.209 10 行目 行方不明事件ことよ⇒行方不明事件のことよ p.224 13行目 口なかが⇒口のなかが p.232 8行目 こっちのに⇒こっちに p.286 2行目 とう言いはる⇒と言いはる p.322 3行目 すべのもの⇒すべてのもの p.325 9行目 血塗れで【ちぬ】れで⇒血塗【ちまみ】れで
ミッシング―森に消えたジョナ
原題:The lost
作者:アレックス・シアラー
訳者:金原瑞人
出版社:竹書房
ISBN:4812422957
親友が消えた理由を話すべきかどうか、失踪したとわかってからの自責の念、そして、まわりがなんと言おうとあきらめないという決意。前半のそうした展開はいかにもシアラーらしく繊細でリアルで、こちらの心に突き刺さってきます。
それが後半に入ると次第に不気味な影が落ちてきて、なにやら忌まわしい者の存在を示唆するようになる。このあたりも手慣れたものです。少年たちがどうなるのか、どうやって逃れるのか、手に汗にぎって読み終えたのですが、でも、なんだかちょっと不満。
いつものシアラーに比べると、完成度が低いというか、中途半端な気がしてしまいます。少年ふたりのキャラクターは実によく描けていて、文句のつけようがないのですが、ジョーの母親とその友人たちが体現しているスピリチュアル系の人たちとか、出稼ぎに行きっぱなしで子供をほっぽりっぱなしのジョナの父親とか、都合よくすぐに死んで退場するジョナの祖母とか、まわりの大人たちに現実味が感じられない。
ふだんはないはずの幻の路地は中途半端に立ち消えになってしまうし、ウィジャ盤の使い方もとってつけたようだし、携帯電話の出し方も意味がないような気がする。肝心のときに都合よく落とさせるくらいなら、最初から持たせなければいいのにと思うのだけれど、そんなことはありえなくて、かえって不自然に見えるほどイギリスでは中学生なら誰でも携帯を持ち歩いているのだろうか? だとすると小説家にとってはやりにくい時代ですよね。
愛する人を閉じ込めるという点では『スノードーム』と非常に近いものがあると思うのだけれど、残念ながらあれほど美しく切ない「歪んだ愛」とは思えなかったなあ。このページ数で子供向きに書いたことによる限界があったのかもしれません。
ところで、訳者あとがきによるとこの本の舞台になっているのはグラストンベリーらしい。あの「聖なるサンザシ」のあるグラストンベリーですよ。前に別記事の終わりに藪から棒にくっつけたグラストンベリーに関する話をこちらに移動します。二度読みになった方にはごめんなさい。
グラストンベリーのサンザシ(Thorn)について興味をもつようになったのは、宮脇先生の勉強会で昨年のクリスマスシーズンに「The Thorn」(by Eric Mayer and Mary Reed)という怪奇短編がテキストになり、Holy Thorn of Glastonburyについていろいろ調べてから。
グラストンベリーはイングランド南西部サマセット州にあり、今ではロックフェスで有名ですが、大昔にはアリマタヤのヨセフがイングランド最初のキリスト教会を設立した地として有名だったそうです。そのヨセフが聖杯をグラストンベリーに運んだとき、杖をウイロール・ヒルに突き立てたらそれがサンザシに育ったという言い伝え。ふつうのサンザシと違って冬と春(クリスマスとイースター)、年に二回花を咲かせることから聖なるサンザシになったらしい。
オリジナルの木はピューリタン革命の際に迷信のしるしだとして切り倒され燃やされましたが、その代わりが1951年に植えられたものの、2010年に何者とも知れぬ者の手によって一夜で切り倒されたそうで、おそらく代わりはもう植えられていないんじゃないかな。
そんなこんなの経緯があったので、2014年のクリスマスに自分へのプレゼントとしてこのブローチを買いました。
イギリスのクリスマス切手(使用済み)を皮の台に載せてコーティングしただけのものですが、絵柄がグラストンベリーのサンザシです。
【誤植メモ】 p.176 11行目 体格ががよくなり⇒体格がよくなり p.184 2行目 どこの学校の生徒がばれてしまう⇒どこの学校の生徒かばれてしまう p.209 10 行目 行方不明事件ことよ⇒行方不明事件のことよ p.224 13行目 口なかが⇒口のなかが p.232 8行目 こっちのに⇒こっちに p.286 2行目 とう言いはる⇒と言いはる p.322 3行目 すべのもの⇒すべてのもの p.325 9行目 血塗れで【ちぬ】れで⇒血塗【ちまみ】れで
ミッシング―森に消えたジョナ
原題:The lost
作者:アレックス・シアラー
訳者:金原瑞人
出版社:竹書房
ISBN:4812422957
by timeturner
| 2016-09-16 19:08
| 和書
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