2016年 06月 23日
レディーの赤面 ヴィクトリア朝社会と化粧文化 |
観相学の流行によって作り上げられたヴィクトリア朝の理想、「美しく赤面する純真な乙女」像がどこから生まれたのか、そうした理想をかなえるべく当時の女性たちはどんな苦労をしたのかを文学作品、服飾、化粧品などの資料から考察する。
面白いテーマですよね。書名を見るなり手にしてしまいましたが、正直言ってちょっと読みにくかったです。大衆向けに書かれたというよりは論文として書かれたような文章で、引用した文献の訳もまた論文調。まあ、その手の文章に弱い私だからということもありますが。
でも、書いてあることはどれも面白かったです。観相学についてはジェフリー・フォードの小説『白い果実』を読んで以来、興味をもっていたのですが、わかりやすく全体をまとめたノンフィクション本はないかな。
『The Story of Doctor Dolittle 』には白人的な価値観にとらわれた黒人の話が出てきましたが、当の白人自体が色白幻想に囚われていて、だからこそ『白雪姫』を筆頭に色白美人が理想とされてきたわけですね。ですから、昔の文献には今の時代ではとうてい受け入れられないような記述がいっぱいあって、あまりの能天気さに思わず笑ってしまいます。以下は18世紀末から19世紀初頭の解剖学者チャールズ・ベルの論法です。
驚いたのは、イギリス人女性旅行作家の書いたものの中に「イスラム教国では赤面する女性奴隷のほうがそうでないものより高い値段がついた」という記述があるそうです。ほんとかなあ。
そんな価値観の世界で生きた女性たちは大変でしたよね。生まれつき色白できめの細かい肌の持ち主はいいでしょうが、sallowでmuddyでpastyな女性だっていっぱいいたはずですから。今だったら化粧でごまかせるけど、それも禁じられて、結婚しか生きる道のなかった当時の女性だと、生まれたときからまともな人生が送れない運命なわけです。
とはいえ、当然ながら女性のほうは簡単にあきらめたりしません。ボンネットの裏に赤い布を使って顔色を明るく見せたり、「ただしい化粧品」を使って肌を整えたり、時にはブラッシング・ボンネット(結び紐の後ろにスチール製のバネがついていて、頭を傾げると側頭部の動脈を擦って赤面を生じさせる)なるものを使ったり、ブラッシュ・ローズという花芯付近が薄赤のバラ(生花・造花)をドレスや髪、日傘などに飾って自分が美しく赤面するかわりにしたりして対抗しました。
そういう女心を食い物にする業者も当然ながら現れ、中でもマダム・ラシェルなる女性がニュー・ボンド・ストリートに開いた美容サロンは、「永遠に美しく」を売り言葉に大繁盛。顔にエナメルを塗って(!)陶器のような艶を出したり、1000ギニー(当時の上層中流階級の年収に匹敵)もする入浴コースを提供したりしました。この入浴コースで使われたお風呂の成分はお湯にふすまを入れただけのものだったというから、いやはやなんとも大胆な商売です。でも、考えてみれば現代のエステだって似たようなものかもしれません。
ブラッシュ・ローズというのは19世紀のイギリス、フランスで育種されるようになった品種で、さまざまな種類の交配種が作りだされて大流行したのだそうです。
面白いのは、女性の赤面は美しいと考えられたのに、男性の場合は欠点とみなされたこと。「不本意な赤面」のために退職せざるをえなくなったりと、日常生活に重大な支障をきたす例が多かったようです。これは、女性の赤面が道徳的な羞恥心からもたらされるものとして好ましく思われたのとは正反対に、男性の場合は理性や意思の力の欠如、過度の自慰行為、精神異常を示すものと考えられたからです。
そういえば、私が子どもの頃には電信柱に「赤面 どもり」と大書した看板をよく見かけました。あれも、おそらく相談に行くのは男性がほとんどだったんじゃないかなあ。家庭内にいることがほとんどだった当時の女性が赤面で困る場面ってそれほどなかったと思う。外で働く男性にとって赤面は厄介なものだったんでしょうね。今でもその手の本など出てはいますが、ヴィクトリア朝のイギリス、昭和の日本ほどに生活を脅かすほどの害はないんじゃないかな(当事者にとってはもちろん大変なことですが)。
ところで、この本の中に「リベイローによると、フランス革命以降、若々しいことが美の主要素になり、軽くシンプルなドレスによって誇張された華奢な身体と、若々しい顔色が少女期を過ぎたずっと後まで珍重されたという」と書いてありました。出典は『Facing Beauty』(Aileen Rebiero, New Haven and London: Yale Univ. Pr., 2012, p.216)となっています。これ、どんな根拠によるものなんだろう。女は若いほうがいい(=健康な子供をたくさん産める)なんていう、男にとって都合のいい価値観は大昔からあったんじゃないかと思うんですが。フランス革命によって何か別の要素が加わったのかな。
【誤植メモ】 p.12 12行目 押さておくべき⇒押さえておくべき p.176 15行目 だっだ。⇒だった。 p.207 3行目 ひねり出さなければならなり⇒ひねり出さなければならなくなり
レディーの赤面―ヴィクトリア朝社会と化粧文化
作者:坂井妙子
出版社:勁草書房
ISBN:4326653795
面白いテーマですよね。書名を見るなり手にしてしまいましたが、正直言ってちょっと読みにくかったです。大衆向けに書かれたというよりは論文として書かれたような文章で、引用した文献の訳もまた論文調。まあ、その手の文章に弱い私だからということもありますが。
でも、書いてあることはどれも面白かったです。観相学についてはジェフリー・フォードの小説『白い果実』を読んで以来、興味をもっていたのですが、わかりやすく全体をまとめたノンフィクション本はないかな。
『The Story of Doctor Dolittle 』には白人的な価値観にとらわれた黒人の話が出てきましたが、当の白人自体が色白幻想に囚われていて、だからこそ『白雪姫』を筆頭に色白美人が理想とされてきたわけですね。ですから、昔の文献には今の時代ではとうてい受け入れられないような記述がいっぱいあって、あまりの能天気さに思わず笑ってしまいます。以下は18世紀末から19世紀初頭の解剖学者チャールズ・ベルの論法です。
赤面する能力を有する白色人種は精神の発達、それが示すキャラクター(「若者にふさわしく」、「可憐さによく調和する」)、容貌の美しさのどの点から見ても、高い水準に達していると考えたのである。逆に言えば、肌の色が濃いために赤面する能力のない人種――「黒人で、赤面が見られる可能性を私自身ほとんど信ずることができない」――は、精神の未発達とキャラクターの劣性を外面に表示していることになる。右の絵はディケンズの『バーナビー・ラッジ』に登場する理想的赤面乙女ドリー・ヴァーデンをW・P・フリスがディケンズ自身の依頼で描き、とても気に入ってもらえたという作品。この頬の赤みはかなり化粧くさいですが、これが自然に出せる娘さんが結婚市場で有利だったということですね。
驚いたのは、イギリス人女性旅行作家の書いたものの中に「イスラム教国では赤面する女性奴隷のほうがそうでないものより高い値段がついた」という記述があるそうです。ほんとかなあ。
そんな価値観の世界で生きた女性たちは大変でしたよね。生まれつき色白できめの細かい肌の持ち主はいいでしょうが、sallowでmuddyでpastyな女性だっていっぱいいたはずですから。今だったら化粧でごまかせるけど、それも禁じられて、結婚しか生きる道のなかった当時の女性だと、生まれたときからまともな人生が送れない運命なわけです。
すべての化粧の魅力は、それがつくられたものであると解ったときに消え失せます。私たちは、その下にあるものを想像すると身震いがします。(『上流階級の習慣』)どうしてそこまで化粧が貶められたのかというと、頬紅をつけることで実際はすれっからしの女性が純真に見えたり、病弱で子どもを産み育てることができそうにないような女性の顔色をごまかしたりしたからです。つまり、男性側の論理。
とはいえ、当然ながら女性のほうは簡単にあきらめたりしません。ボンネットの裏に赤い布を使って顔色を明るく見せたり、「ただしい化粧品」を使って肌を整えたり、時にはブラッシング・ボンネット(結び紐の後ろにスチール製のバネがついていて、頭を傾げると側頭部の動脈を擦って赤面を生じさせる)なるものを使ったり、ブラッシュ・ローズという花芯付近が薄赤のバラ(生花・造花)をドレスや髪、日傘などに飾って自分が美しく赤面するかわりにしたりして対抗しました。
そういう女心を食い物にする業者も当然ながら現れ、中でもマダム・ラシェルなる女性がニュー・ボンド・ストリートに開いた美容サロンは、「永遠に美しく」を売り言葉に大繁盛。顔にエナメルを塗って(!)陶器のような艶を出したり、1000ギニー(当時の上層中流階級の年収に匹敵)もする入浴コースを提供したりしました。この入浴コースで使われたお風呂の成分はお湯にふすまを入れただけのものだったというから、いやはやなんとも大胆な商売です。でも、考えてみれば現代のエステだって似たようなものかもしれません。
ブラッシュ・ローズというのは19世紀のイギリス、フランスで育種されるようになった品種で、さまざまな種類の交配種が作りだされて大流行したのだそうです。
面白いのは、女性の赤面は美しいと考えられたのに、男性の場合は欠点とみなされたこと。「不本意な赤面」のために退職せざるをえなくなったりと、日常生活に重大な支障をきたす例が多かったようです。これは、女性の赤面が道徳的な羞恥心からもたらされるものとして好ましく思われたのとは正反対に、男性の場合は理性や意思の力の欠如、過度の自慰行為、精神異常を示すものと考えられたからです。
そういえば、私が子どもの頃には電信柱に「赤面 どもり」と大書した看板をよく見かけました。あれも、おそらく相談に行くのは男性がほとんどだったんじゃないかなあ。家庭内にいることがほとんどだった当時の女性が赤面で困る場面ってそれほどなかったと思う。外で働く男性にとって赤面は厄介なものだったんでしょうね。今でもその手の本など出てはいますが、ヴィクトリア朝のイギリス、昭和の日本ほどに生活を脅かすほどの害はないんじゃないかな(当事者にとってはもちろん大変なことですが)。
ところで、この本の中に「リベイローによると、フランス革命以降、若々しいことが美の主要素になり、軽くシンプルなドレスによって誇張された華奢な身体と、若々しい顔色が少女期を過ぎたずっと後まで珍重されたという」と書いてありました。出典は『Facing Beauty』(Aileen Rebiero, New Haven and London: Yale Univ. Pr., 2012, p.216)となっています。これ、どんな根拠によるものなんだろう。女は若いほうがいい(=健康な子供をたくさん産める)なんていう、男にとって都合のいい価値観は大昔からあったんじゃないかと思うんですが。フランス革命によって何か別の要素が加わったのかな。
【誤植メモ】 p.12 12行目 押さておくべき⇒押さえておくべき p.176 15行目 だっだ。⇒だった。 p.207 3行目 ひねり出さなければならなり⇒ひねり出さなければならなくなり
レディーの赤面―ヴィクトリア朝社会と化粧文化
作者:坂井妙子
出版社:勁草書房
ISBN:4326653795
by timeturner
| 2016-06-23 19:05
| 和書
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