2016年 04月 09日
A Daughter of The Samurai |
明治初期に生まれたひとりの女性が、武士の娘としての教育を受けながらも不思議な縁でアメリカに嫁ぎ、さまざまな人と出会い、さまざまな経験をするなかで日本とアメリカの違いと共通点を見いだし、自分らしく生きていく姿を描いた半世紀。
明治6年に代々長岡藩の家老をつとめた越後の名家・稲垣家に生れた鉞子(えつこ)は、武士の娘として厳しく躾けられました。14歳のときに兄の友人でアメリカ在住の骨董店主・杉本松雄と婚約、15歳で上京し、ミッションスクール(現在の青山学院)で英語を中心とした教育を受けます。その後アメリカ・シンシナティに渡って結婚し、娘二人に恵まれ、幸せな家庭生活を送っていましたが、夫の破産・死亡(盲腸炎による)と不幸が続き、娘ふたりを連れて帰国。嫁ぎ先の援助を受けながら自らも英語教師として働き娘たちを育てますが、大正5年に実母が亡くなったのを契機に再びアメリカへと渡り、新聞・雑誌などへの執筆で暮らしを支えながらニューヨークで暮しました。大正9年から7年間、コロンビア大学で日本語と日本文化の講座も受け持ちました。
ちくま文庫から訳書が出ていますが、明治時代にアメリカに渡った女性がどういう英語を書くのか興味があったので原書のほうを読みました。
1925年(大正15年)にアメリカで刊行されたとき、鉞子はもちろん無名の日本人。それなのにその年のベストセラー・リストに載るほどの売れゆきで『グレート・ギャツビー』と並ぶ8万部が売れたんだそうです。
日本の文化について語る部分では、英語に該当する言葉がない場合は日本語のままアルファベット表記してあります。中にはしばらく考えないと元の言葉がわからないものもあって、文字通り「明治は遠くなりにけり」なんだなあと思いました。長岡家の家宝の中にSaihaiがあるのですが、「采配をふるう」という言い回しは知っていても、采配そのものがどんな形のものなのか頭に浮かびませんでした。八丈島が女護ヶ島だという話も出てきて、えーっ!と驚いたのですが、そういう伝説があったそうですね。でも鉞子さんてば、まるっきり事実のように語ってます。
それにしても、明治の日本はなんとまあ不思議な世界なんでしょう。自然がたくさん残っていることは予想の範囲ですが、家々の造りや日々の暮らし、人々の考え方、すべてが今とは別世界です。雪深い長岡の冬を描いた第一章なんて、東京生まれ東京育ちの私には絵が浮かばないくらいの別世界でした。おそらく、今の長岡に住む人でもお年寄りでないとわからないんじゃないのかなあ。
正月、雛祭り、お盆といった四季折々の行事や、語り継がれてきた神話や昔話など、アメリカ人にもわかるようにやさしく説明されているのですが、現代の日本人が読むと「へえ~っ、そんなことをしていたのか!」と驚くことがたくさんあります。子どもの頃の楽しかった記憶がうっすら浮かんでくるものもあり、百年かそこらの間に失われてしまったものたちを思って哀しく苦い気持ちを味わいました。
自伝ですし、明治生まれの人ですから、登場する人たちの悪口などはいっさい書かれていないのですが、そのことを差し引いたにしても、作者の父親は武家の家長にしては娘に対して公平だったように思えます。もしかしたら幼い頃から賢さがきわだっていたためかもしれません。
お姉さんはふつうの女の子としての教育を受けただけなのに、Etsu-boは尼僧になるための教育を受けます。生まれたときにへその緒が首に巻きついていた子どもはブッダから自分に仕えるように指示が下ったと考える迷信があったからだと作者は説明していますが、それだけじゃなくて、それなりに見込みのある子だったからじゃないのかな。尼僧にすることを願ったのは祖母と母だけれど、師となる高僧は父が選んだと書いてありますから。
面白いのは普通の人以上に仏教教育を受けたにもかかわらず、ミッションスクールに進んだEtsu-boがクリスチャンに改宗すること。そういうことに染まりやすい年頃だったということもありますが、ふつうの人より真剣に宗教や生き方について考える習慣ができていたからだとも思えます。また、仏教よりもキリスト教のほうが宗教らしい点も魅力だったのかもしれない。
クリスチャンになっても仏教や神道の儀式が必要な場合はごく自然にそれに従うあたりは、鉞子ならではの柔軟性をよく表していて、私はとても気に入りました。この柔軟性があったからこそ、アメリカでの暮らしも実り多いものになり、多くの人たちとの長く続く友情を育めたのだと思います。お隣に住んでいた女性フローレンスをアメリカの母と慕い、フローレンスからも実の娘のように可愛がられていたのも、武士の娘としての芯をしっかり保持し、それでいてうちにとじこもることはなく、新しい考えもバランスよくとりいれて自立した女性として生きた女性だったからこそと思います。
明治の日本では家の中のことはすべて妻が責任をもち家計も握っているのに対して、家庭内で一家の女主人として威厳のある立場にいるアメリカの女性たちが、たった1ドルでも夫に頼まなくてはお金が自由にならないのを不思議だと書いている章があるのですが、ああ、そうか、20世紀初頭のアメリカだものなあと納得しました。今のアメリカでも、働いて収入を得ていない女性は同じような立場にいることが多いのかもしれない。ロックスターの奥さんがスーパーに食料を買いに行くことになり、夫からお金を渡されているのを見て日本人の音楽評論家が驚いたという記事を読んだことがありますが、あれは特別な話じゃないのかも。
笑っちゃったエピソードは、15歳で初めて汽車に乗って上京したときに、途中駅でプラットフォームに降りて散歩し、再度汽車に乗り込む際に下駄を脱いでプラットフォームに置いてきてしまったというもの。同行のお兄さんが気づいてとってきてくれたそうです。確かに、当時の習慣から言えば屋根のあるものの中に入るときには履物を脱ぐのが当たり前ですものね。置きっぱなしにならなくてよかった(^^)。
アメリカに行く前に母親が鉞子に、西洋の人々の間ではお互いを犬のように舐め合う習慣があるらしいよと警告したという話にも笑いました。そんなこと言われたら行くのが怖かっただろうなあ。
あと、アメリカ行きの船ではイギリス人のミスター・ホームズとその夫人の世話になったというエピソードにもちょっとくすぐられました。
A Daughter of the Samurai (English Edition)
邦題:武士の娘
作者:Etsu Inagaki Sugimoto
ISBN:Kindle版
明治6年に代々長岡藩の家老をつとめた越後の名家・稲垣家に生れた鉞子(えつこ)は、武士の娘として厳しく躾けられました。14歳のときに兄の友人でアメリカ在住の骨董店主・杉本松雄と婚約、15歳で上京し、ミッションスクール(現在の青山学院)で英語を中心とした教育を受けます。その後アメリカ・シンシナティに渡って結婚し、娘二人に恵まれ、幸せな家庭生活を送っていましたが、夫の破産・死亡(盲腸炎による)と不幸が続き、娘ふたりを連れて帰国。嫁ぎ先の援助を受けながら自らも英語教師として働き娘たちを育てますが、大正5年に実母が亡くなったのを契機に再びアメリカへと渡り、新聞・雑誌などへの執筆で暮らしを支えながらニューヨークで暮しました。大正9年から7年間、コロンビア大学で日本語と日本文化の講座も受け持ちました。
ちくま文庫から訳書が出ていますが、明治時代にアメリカに渡った女性がどういう英語を書くのか興味があったので原書のほうを読みました。
1925年(大正15年)にアメリカで刊行されたとき、鉞子はもちろん無名の日本人。それなのにその年のベストセラー・リストに載るほどの売れゆきで『グレート・ギャツビー』と並ぶ8万部が売れたんだそうです。
日本の文化について語る部分では、英語に該当する言葉がない場合は日本語のままアルファベット表記してあります。中にはしばらく考えないと元の言葉がわからないものもあって、文字通り「明治は遠くなりにけり」なんだなあと思いました。長岡家の家宝の中にSaihaiがあるのですが、「采配をふるう」という言い回しは知っていても、采配そのものがどんな形のものなのか頭に浮かびませんでした。八丈島が女護ヶ島だという話も出てきて、えーっ!と驚いたのですが、そういう伝説があったそうですね。でも鉞子さんてば、まるっきり事実のように語ってます。
それにしても、明治の日本はなんとまあ不思議な世界なんでしょう。自然がたくさん残っていることは予想の範囲ですが、家々の造りや日々の暮らし、人々の考え方、すべてが今とは別世界です。雪深い長岡の冬を描いた第一章なんて、東京生まれ東京育ちの私には絵が浮かばないくらいの別世界でした。おそらく、今の長岡に住む人でもお年寄りでないとわからないんじゃないのかなあ。
正月、雛祭り、お盆といった四季折々の行事や、語り継がれてきた神話や昔話など、アメリカ人にもわかるようにやさしく説明されているのですが、現代の日本人が読むと「へえ~っ、そんなことをしていたのか!」と驚くことがたくさんあります。子どもの頃の楽しかった記憶がうっすら浮かんでくるものもあり、百年かそこらの間に失われてしまったものたちを思って哀しく苦い気持ちを味わいました。
自伝ですし、明治生まれの人ですから、登場する人たちの悪口などはいっさい書かれていないのですが、そのことを差し引いたにしても、作者の父親は武家の家長にしては娘に対して公平だったように思えます。もしかしたら幼い頃から賢さがきわだっていたためかもしれません。
お姉さんはふつうの女の子としての教育を受けただけなのに、Etsu-boは尼僧になるための教育を受けます。生まれたときにへその緒が首に巻きついていた子どもはブッダから自分に仕えるように指示が下ったと考える迷信があったからだと作者は説明していますが、それだけじゃなくて、それなりに見込みのある子だったからじゃないのかな。尼僧にすることを願ったのは祖母と母だけれど、師となる高僧は父が選んだと書いてありますから。
面白いのは普通の人以上に仏教教育を受けたにもかかわらず、ミッションスクールに進んだEtsu-boがクリスチャンに改宗すること。そういうことに染まりやすい年頃だったということもありますが、ふつうの人より真剣に宗教や生き方について考える習慣ができていたからだとも思えます。また、仏教よりもキリスト教のほうが宗教らしい点も魅力だったのかもしれない。
クリスチャンになっても仏教や神道の儀式が必要な場合はごく自然にそれに従うあたりは、鉞子ならではの柔軟性をよく表していて、私はとても気に入りました。この柔軟性があったからこそ、アメリカでの暮らしも実り多いものになり、多くの人たちとの長く続く友情を育めたのだと思います。お隣に住んでいた女性フローレンスをアメリカの母と慕い、フローレンスからも実の娘のように可愛がられていたのも、武士の娘としての芯をしっかり保持し、それでいてうちにとじこもることはなく、新しい考えもバランスよくとりいれて自立した女性として生きた女性だったからこそと思います。
明治の日本では家の中のことはすべて妻が責任をもち家計も握っているのに対して、家庭内で一家の女主人として威厳のある立場にいるアメリカの女性たちが、たった1ドルでも夫に頼まなくてはお金が自由にならないのを不思議だと書いている章があるのですが、ああ、そうか、20世紀初頭のアメリカだものなあと納得しました。今のアメリカでも、働いて収入を得ていない女性は同じような立場にいることが多いのかもしれない。ロックスターの奥さんがスーパーに食料を買いに行くことになり、夫からお金を渡されているのを見て日本人の音楽評論家が驚いたという記事を読んだことがありますが、あれは特別な話じゃないのかも。
笑っちゃったエピソードは、15歳で初めて汽車に乗って上京したときに、途中駅でプラットフォームに降りて散歩し、再度汽車に乗り込む際に下駄を脱いでプラットフォームに置いてきてしまったというもの。同行のお兄さんが気づいてとってきてくれたそうです。確かに、当時の習慣から言えば屋根のあるものの中に入るときには履物を脱ぐのが当たり前ですものね。置きっぱなしにならなくてよかった(^^)。
アメリカに行く前に母親が鉞子に、西洋の人々の間ではお互いを犬のように舐め合う習慣があるらしいよと警告したという話にも笑いました。そんなこと言われたら行くのが怖かっただろうなあ。
あと、アメリカ行きの船ではイギリス人のミスター・ホームズとその夫人の世話になったというエピソードにもちょっとくすぐられました。
A Daughter of the Samurai (English Edition)
邦題:武士の娘
作者:Etsu Inagaki Sugimoto
ISBN:Kindle版
by timeturner
| 2016-04-09 19:05
| 洋書
|
Comments(2)
Commented
by
ppjunction at 2016-04-09 22:37
今晩は。
久々に昔に読んだ事がある本の登場で嬉しい!です。
と言っても筑摩の日本語本ですが、面白くて何度も読み返しました。
元ご家老の父上が明治になって養蚕をはじめようと蚕の卵(半紙に植え付けてある)を買ったらそれが実は茄子の種で完全に大金を騙しとられた、って下りがありませんでしたか?私は妙にその部分が鮮明です。
蚕の卵=茄子の種 まさに噂に聞く「武士の商法」を地でいってますよね。
ーー働いて収入を得ていない女性は同じような立場にいることが多いのかもしれない。ーー
これは今もそのようですよ。
知り合った50代の夫人(ご主人が一流企業の偉いさんの奥様)ですけど、ランチに誘ったらお金が無いからと断られビックリしました。一週間分の生活費を渡され、そこから色々と捻出しているらしいのよね! 洋服を新調するにもダーリンの見立てが必要で、自由にならないそうです。
window shopping はそういう意味合いもあるらしく、前もって奥様が目星を付けておき、後でダーリンと連れ立って店に行きお金を出させる。
私は婦人服を2人揃って買いに行くなんて、仲が良いなあ〜と羨ましく思って見てましたがー。
久々に昔に読んだ事がある本の登場で嬉しい!です。
と言っても筑摩の日本語本ですが、面白くて何度も読み返しました。
元ご家老の父上が明治になって養蚕をはじめようと蚕の卵(半紙に植え付けてある)を買ったらそれが実は茄子の種で完全に大金を騙しとられた、って下りがありませんでしたか?私は妙にその部分が鮮明です。
蚕の卵=茄子の種 まさに噂に聞く「武士の商法」を地でいってますよね。
ーー働いて収入を得ていない女性は同じような立場にいることが多いのかもしれない。ーー
これは今もそのようですよ。
知り合った50代の夫人(ご主人が一流企業の偉いさんの奥様)ですけど、ランチに誘ったらお金が無いからと断られビックリしました。一週間分の生活費を渡され、そこから色々と捻出しているらしいのよね! 洋服を新調するにもダーリンの見立てが必要で、自由にならないそうです。
window shopping はそういう意味合いもあるらしく、前もって奥様が目星を付けておき、後でダーリンと連れ立って店に行きお金を出させる。
私は婦人服を2人揃って買いに行くなんて、仲が良いなあ〜と羨ましく思って見てましたがー。
1
Commented
by
timeturner at 2016-04-10 01:17
翻訳は司馬遼太郎が絶賛していた「今では失われた美しい日本語」だと知ったので、日本語でも読み直そうかと思っていたところです。英語だとやっぱり日本特有の空気みたいなものが伝わってこないですものね。
蚕の卵の代わりに使ったのはmustard seedsでした。で、買ったんじゃなくて外国人にそれを売りつけたので大変なことになったんじゃないかな?>読解に自信なし(^^;)。
アメリカの専業主婦、今でもそうなんですね。まあ、ご主人がお金持ちで奥さんに甘ければそれでもいいけれど、収入の少ないご亭主でおまけにケチだったら最悪ですね(^^;)。はっ!だから離婚率が高いのか?!
蚕の卵の代わりに使ったのはmustard seedsでした。で、買ったんじゃなくて外国人にそれを売りつけたので大変なことになったんじゃないかな?>読解に自信なし(^^;)。
アメリカの専業主婦、今でもそうなんですね。まあ、ご主人がお金持ちで奥さんに甘ければそれでもいいけれど、収入の少ないご亭主でおまけにケチだったら最悪ですね(^^;)。はっ!だから離婚率が高いのか?!