2015年 12月 08日
無事、これ名馬 |
町火消「は組」の頭・吉蔵を、ある日、見知らぬ武家の少年が訪れ、弟子にしてくれと言ってきた。幕府の表ご祐筆役をしている村椿五郎太の長男、太郎左衛門だという。生来の臆病で手習いも剣術も不得手、このままでは父の跡を継ぐどころか、家禄も格下げになるやもしれず、なんとか男の道を教えてほしいというのだが・・・。
上のようなあらすじがカバーの裏に書いてあり、確かに話もそう始まったので、少年の成長物語を描く小説かと思ったのですが、それはひとつのエピソードに過ぎず、作者としてはお江戸の華と謳われた町火消たちの意気地や暮らしぶりを描きたかったようです。武家の子供たちが将来のために必死に文武両道でしのぎを削るさまを、現代の受験戦争に重ねて「もう少し長い目で見ようよ」と訴えたい気持ちもあったと、著者あとがきにはありました。だから、このタイトルになったというわけ。
そのほかにも吉蔵の娘お栄と昔の恋人との因縁やら、近所でひとり暮らしをするぼけ老人の話など、時代を超えて共通のテーマがいろいろ詰め込まれていて、時代小説だとかまえなくても気軽に読める内容です。
これまでに読んだ本にも町火消は出てきましたが、火事のエピソードの背景として出てくるだけでしたから、今回、どんなふうに組織されているのか、具体的にどんな仕事をするのかなど詳しく知ることができて興味深かったです。でも、結局火消になる人って、世のため人のためを考えてというよりも、女の子にもててかっこいいからという動機の人が圧倒的に多かったんだろうなあ。死と隣り合わせの危険な仕事だから、ちょっとおっちょこちょいなところがないとなったりはしなかっただろうと思う。
武士の息子と町人が親しくつきあっているので『ぼんくら』の弓之助を思い出しましたが(カバー絵も同じ人だし)、考えてみたら弓之助は武士の甥ではあるけれど、商家の子でしたね。それに、太郎左衛門は弓之助のように美形でもないし、《やっとう》の腕もへなちょこ、頭の出来もそれほどよくない。ひょっとしたら作者は『ぼんくら』を読んで(あるいはTVドラマを観て)、「世の中、こんなに出来のいい子ばかりじゃないよなあ」と思って書いたのかもしれないと思いました。著者あとがきには作者の長男の姿を重ね合わせて書いたとありますから、当たらずといえども遠からずかも。
無事、これ名馬 (新潮文庫)
作者:宇江佐 真理
出版社:新潮社
ISBN:410119923X
上のようなあらすじがカバーの裏に書いてあり、確かに話もそう始まったので、少年の成長物語を描く小説かと思ったのですが、それはひとつのエピソードに過ぎず、作者としてはお江戸の華と謳われた町火消たちの意気地や暮らしぶりを描きたかったようです。武家の子供たちが将来のために必死に文武両道でしのぎを削るさまを、現代の受験戦争に重ねて「もう少し長い目で見ようよ」と訴えたい気持ちもあったと、著者あとがきにはありました。だから、このタイトルになったというわけ。
そのほかにも吉蔵の娘お栄と昔の恋人との因縁やら、近所でひとり暮らしをするぼけ老人の話など、時代を超えて共通のテーマがいろいろ詰め込まれていて、時代小説だとかまえなくても気軽に読める内容です。
これまでに読んだ本にも町火消は出てきましたが、火事のエピソードの背景として出てくるだけでしたから、今回、どんなふうに組織されているのか、具体的にどんな仕事をするのかなど詳しく知ることができて興味深かったです。でも、結局火消になる人って、世のため人のためを考えてというよりも、女の子にもててかっこいいからという動機の人が圧倒的に多かったんだろうなあ。死と隣り合わせの危険な仕事だから、ちょっとおっちょこちょいなところがないとなったりはしなかっただろうと思う。
武士の息子と町人が親しくつきあっているので『ぼんくら』の弓之助を思い出しましたが(カバー絵も同じ人だし)、考えてみたら弓之助は武士の甥ではあるけれど、商家の子でしたね。それに、太郎左衛門は弓之助のように美形でもないし、《やっとう》の腕もへなちょこ、頭の出来もそれほどよくない。ひょっとしたら作者は『ぼんくら』を読んで(あるいはTVドラマを観て)、「世の中、こんなに出来のいい子ばかりじゃないよなあ」と思って書いたのかもしれないと思いました。著者あとがきには作者の長男の姿を重ね合わせて書いたとありますから、当たらずといえども遠からずかも。
無事、これ名馬 (新潮文庫)
作者:宇江佐 真理
出版社:新潮社
ISBN:410119923X
by timeturner
| 2015-12-08 22:12
| 和書
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