2015年 10月 03日
職業としての小説家 |
「MONKEY」に連載していた<村上春樹私的講演録>に、大幅な書き下ろし150枚を加え、小説家としてやっていること、考えていること、感じていることなどを、デビューの頃からの話も交えて語りつくしたエッセイ集。
<私的講演録>とあるのは、実際に行われた講演を記録したわけではなく、講演で聴衆に語りかけているような文体で書かれているということ。だから読者も村上春樹が目の前にいて語りかけてくれているような気分で読むことができる。すごく読みやすい。
とはいうものの、身も蓋もない言い方をしてしまえば単なる自分語りなわけで、それを飽きさせず心地よく読ませてしまうところが村上春樹が人気作家である所以なのだろうと思った。けっこう同じことを繰り返し書いたりしているところもあるのだけれど、不思議とくどいという印象はない。おそらくわかっていてあえて繰り返しているからだと思う。
いかにも小説家入門みたいなタイトルだけど、ここに書かれている通りにして売れっ子小説家になれる人は稀だと思う。でも、小説や作家について色々なことを考えるきっかけにはなる。もちろん、村上春樹ファンならとても興味深く読めるはず。
第一回 小説家は寛容な人種なのか
第二回 小説家になった頃
第三回 文学賞について
第四回 オリジナリティーについて
第五回 さて、何を書けばいいのか?
第六回 時間を味方につける──長編小説を書くこと
第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み
第八回 学校について
第九回 どんな人物を登場させようか?
第十回 誰のために書くのか?
第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア
第十二回 物語があるところ・河合隼雄先生の思い出
驚いたのは、デビューした頃にさんざん叩かれたという話。私は村上春樹とほとんど年が変わらないのでリアルタイムに読んでいるのだけれど、当時、とてつもない新人が現れたという評判は聞いても、作品がだめだという話はまったく耳に入ってこなかったので。まあ、小説は好きでも文壇の話とか文芸批評とかにはまったく興味がなかったからかもしれない。でも、世の中ってそういう人のほうが多いと思うから、小説家は批評家の言うことなんてあまり気にすることはないと思う。ふつうの人が読んで面白いと思えばそれでいいのだ。
ご本人も言っているように、才能だけでなく運にも恵まれた人だと思う。長編小説は時間に縛られずに書くことが信条で、実際、出版社からの依頼で書いたことはないというが、それは最初のうちに書いたものがすぐに認められ、それどころかベストセラーになって経済的基盤ができたからこその話で、それは誰にでも可能なことではないと思う。もっとも、経済的基盤がなくてもそうしようという気迫があったからこそ、そういう運も呼び寄せられたのかもしれない。
体が丈夫というのも大きな要素だと思った。いざとなれば肉体労働をしてでも食べていけるという自信があれば、肝が据わるからね。規則正しい執筆生活にも健康は必須条件。あ、でも、規則正しい生活が健康を招くとも言えるのかなあ。いずれにせよ、(精神的にも身体的にも)私にはとうてい到達しえない境地であります。
意外だったのはアメリカで自分の作品を翻訳出版するにあたっては自ら積極的に動き、かなりの努力をしていたということ。てっきり、どこかの出版社が日本での人気に目をつけて一冊出してみたら当たった、とかいうシンデレラ物語的なことを考えていたもので。しかも、そのきっかけになったのが日本での批評家・出版業界からの冷たい扱いであったというのはなんとも皮肉で面白い。でも、同じように「なにくそ」と思って海外に出てみてもうまくいかずに尻尾を巻いて帰国する人のほうが多いわけだから、ここでもまた才能とともに強運に恵まれている人だと思う。
海外での人気についての自己分析で、その国の社会基盤や構造が大きくシフトするとき(ロシアだったら共産主義の崩壊、ドイツだったら東西の統合)に受け入れられやすいと書いているのですが、これは実感として納得できた。
自分用のメモとして面白かったところをいくつか。
僕は三十五年くらいずっと小説を書き続けていますが、英語で言う「ライターズ・ブロック」、つまり小説が賭けなくなるスランプの時期を一度も経験していません。書きたいのに書けないと言う経験は一度もないということです。そういうと「すごく才能が溢れている」みたいに聞こえるかもしれませんが、そんなわけではなく、実はとても単純な話で、僕の場合、小説を書きたくないときには、あるいは書きたいという気持が湧いてこないときには、まったく書かないからです。書きたいと思ったときにだけ、「さあ、書こう」と決意して小説を書きます。そうじゃないときにはだいたい翻訳(英語→日本語)の仕事をしています。翻訳は基本的に技術的な作業なので、表現意欲とは関係なくほぼ日常的に仕事ができますし、同時にまた文章を書くためのとても良い勉強になります。
素材の重さに頼ることなく、自分の内側から物語を紡ぎ出していける作家は、逆に楽であるかもしれません。自分のまわりで自然に起こる出来事や、日々目にする光景や、普段の生活の中で出会う人々をマテリアルとして自分の中に取り込み、想像力を駆使して、そのような素材をもとに自分自身の物語をこしらえていけばいいわけです。そう、それはいわば「自然再生エネルギー」みたいなものです。わざわざ戦争に出かける必要もないし、闘牛を経験する必要も、チーターとかヒョウを撃つ必要もありません。
職業としての小説家 (Switch library)
作者:村上春樹
出版社:スイッチパブリッシング
ISBN:4884184432
<私的講演録>とあるのは、実際に行われた講演を記録したわけではなく、講演で聴衆に語りかけているような文体で書かれているということ。だから読者も村上春樹が目の前にいて語りかけてくれているような気分で読むことができる。すごく読みやすい。
とはいうものの、身も蓋もない言い方をしてしまえば単なる自分語りなわけで、それを飽きさせず心地よく読ませてしまうところが村上春樹が人気作家である所以なのだろうと思った。けっこう同じことを繰り返し書いたりしているところもあるのだけれど、不思議とくどいという印象はない。おそらくわかっていてあえて繰り返しているからだと思う。
いかにも小説家入門みたいなタイトルだけど、ここに書かれている通りにして売れっ子小説家になれる人は稀だと思う。でも、小説や作家について色々なことを考えるきっかけにはなる。もちろん、村上春樹ファンならとても興味深く読めるはず。
第一回 小説家は寛容な人種なのか
第二回 小説家になった頃
第三回 文学賞について
第四回 オリジナリティーについて
第五回 さて、何を書けばいいのか?
第六回 時間を味方につける──長編小説を書くこと
第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み
第八回 学校について
第九回 どんな人物を登場させようか?
第十回 誰のために書くのか?
第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア
第十二回 物語があるところ・河合隼雄先生の思い出
驚いたのは、デビューした頃にさんざん叩かれたという話。私は村上春樹とほとんど年が変わらないのでリアルタイムに読んでいるのだけれど、当時、とてつもない新人が現れたという評判は聞いても、作品がだめだという話はまったく耳に入ってこなかったので。まあ、小説は好きでも文壇の話とか文芸批評とかにはまったく興味がなかったからかもしれない。でも、世の中ってそういう人のほうが多いと思うから、小説家は批評家の言うことなんてあまり気にすることはないと思う。ふつうの人が読んで面白いと思えばそれでいいのだ。
ご本人も言っているように、才能だけでなく運にも恵まれた人だと思う。長編小説は時間に縛られずに書くことが信条で、実際、出版社からの依頼で書いたことはないというが、それは最初のうちに書いたものがすぐに認められ、それどころかベストセラーになって経済的基盤ができたからこその話で、それは誰にでも可能なことではないと思う。もっとも、経済的基盤がなくてもそうしようという気迫があったからこそ、そういう運も呼び寄せられたのかもしれない。
体が丈夫というのも大きな要素だと思った。いざとなれば肉体労働をしてでも食べていけるという自信があれば、肝が据わるからね。規則正しい執筆生活にも健康は必須条件。あ、でも、規則正しい生活が健康を招くとも言えるのかなあ。いずれにせよ、(精神的にも身体的にも)私にはとうてい到達しえない境地であります。
意外だったのはアメリカで自分の作品を翻訳出版するにあたっては自ら積極的に動き、かなりの努力をしていたということ。てっきり、どこかの出版社が日本での人気に目をつけて一冊出してみたら当たった、とかいうシンデレラ物語的なことを考えていたもので。しかも、そのきっかけになったのが日本での批評家・出版業界からの冷たい扱いであったというのはなんとも皮肉で面白い。でも、同じように「なにくそ」と思って海外に出てみてもうまくいかずに尻尾を巻いて帰国する人のほうが多いわけだから、ここでもまた才能とともに強運に恵まれている人だと思う。
海外での人気についての自己分析で、その国の社会基盤や構造が大きくシフトするとき(ロシアだったら共産主義の崩壊、ドイツだったら東西の統合)に受け入れられやすいと書いているのですが、これは実感として納得できた。
自分用のメモとして面白かったところをいくつか。
僕は三十五年くらいずっと小説を書き続けていますが、英語で言う「ライターズ・ブロック」、つまり小説が賭けなくなるスランプの時期を一度も経験していません。書きたいのに書けないと言う経験は一度もないということです。そういうと「すごく才能が溢れている」みたいに聞こえるかもしれませんが、そんなわけではなく、実はとても単純な話で、僕の場合、小説を書きたくないときには、あるいは書きたいという気持が湧いてこないときには、まったく書かないからです。書きたいと思ったときにだけ、「さあ、書こう」と決意して小説を書きます。そうじゃないときにはだいたい翻訳(英語→日本語)の仕事をしています。翻訳は基本的に技術的な作業なので、表現意欲とは関係なくほぼ日常的に仕事ができますし、同時にまた文章を書くためのとても良い勉強になります。
素材の重さに頼ることなく、自分の内側から物語を紡ぎ出していける作家は、逆に楽であるかもしれません。自分のまわりで自然に起こる出来事や、日々目にする光景や、普段の生活の中で出会う人々をマテリアルとして自分の中に取り込み、想像力を駆使して、そのような素材をもとに自分自身の物語をこしらえていけばいいわけです。そう、それはいわば「自然再生エネルギー」みたいなものです。わざわざ戦争に出かける必要もないし、闘牛を経験する必要も、チーターとかヒョウを撃つ必要もありません。
職業としての小説家 (Switch library)
作者:村上春樹
出版社:スイッチパブリッシング
ISBN:4884184432
by timeturner
| 2015-10-03 17:47
| 和書
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