2014年 07月 14日
思い出のマーニー |
ジブリがアニメ化するというので、原作の新訳が一度に3冊(2冊は同じ訳者の大人版と子ども版ですが)も出ました。まずは高見浩訳を読んでみました。
作者のジョーン・G・ロビンソンは1988年に亡くなっているので、まだ著作権は切れていないはず。ということは、岩波が独占翻訳の契約を交わしていなかったということなんでしょうか。とはいえ、普通だったら先行の訳書が出て、それなりにロングセラーとしての実績がある場合、わざわざ経費をかけて新訳なんて出さないのが普通です。それも新潮社と角川の2社が同時に新訳で出すなんて、よほど旨味があるからですよね。ジブリが映画にすると原作がそれほど売れるのか。
そして確かにジブリ向きの話だと思いました。少し古い時代の少女たちが出てくるあたりもぴったり。それにしても、最後のほうの推理小説の謎解きのような部分、完全に忘れていたのには我ながらびっくり。前半のアンナの屈託やマーニーとの交流部分はちゃんと覚えていたのにね。あるいは、高見訳がサスペンス部分を盛り上げる技にたけているからでしょうか。
松野訳を読んだときにも感じた『トムは真夜中の庭で』との類似点、高見さんも訳者あとがきで触れていました。やっぱり、だれが読んでもそう感じるんだな。
高見訳には満足しましたが、ひとつだけ疑問が。読書メーターのレビューに誰かも書いていましたが、マーニーが「あんたはね――あんたは見かけどおりの顔してんのよ」と言われて傷つくのは意味不明だった。顔がすごく醜い子が「あんたは見かけどおりの心をしてる」と言われたら傷つくだろうけど、「見かけ」イコール「顔」なんだから当たり前のことを言われただけなんじゃないの? 原文は"You look like - just what you are." サンドラはマーニーのことを「意地っ張りで退屈な子」だと母親に言っていたのだから、つまり、「あんたは意地っ張りで退屈な子そのものに見える」と言っているのよね? 松野訳では「あんたはね――、あんたは、“あんたのとおりに”見えてんのよ」です。わかりにくいけど、こっちのほうが作者の意図に近いような気がする。越前・ないとう訳がどうなっているのか気になるので、そちらも読む予定。
話の中に何度か出てくるSea Lavender(松野訳も高見訳もシー・ラベンダー)は、日本ではスターチスといって売られている花の仲間のようですね。いろんな呼び方があるようだけど、海辺に生えること、花の色が紫色であることがわかるシー・ラベンダーという訳語がいちばんいいと思う。湿地の館のパーティではこの花が幸運を呼ぶ花として喜ばれていましたが、そういう言い伝えがあるのでしょうか。少し調べてみたけどわからなかった。
岩波少年文庫にあった村の地形図は、こっちにもあったほうが親切だと思うな。湿地と入江と海と館の関係が文字だけだとよくわからない。
原題:When Marnie Was There
作者:ジョーン・G・ロビンソン
訳者:高見 浩
出版社:新潮社
ISBN:4102185518
作者のジョーン・G・ロビンソンは1988年に亡くなっているので、まだ著作権は切れていないはず。ということは、岩波が独占翻訳の契約を交わしていなかったということなんでしょうか。とはいえ、普通だったら先行の訳書が出て、それなりにロングセラーとしての実績がある場合、わざわざ経費をかけて新訳なんて出さないのが普通です。それも新潮社と角川の2社が同時に新訳で出すなんて、よほど旨味があるからですよね。ジブリが映画にすると原作がそれほど売れるのか。
そして確かにジブリ向きの話だと思いました。少し古い時代の少女たちが出てくるあたりもぴったり。それにしても、最後のほうの推理小説の謎解きのような部分、完全に忘れていたのには我ながらびっくり。前半のアンナの屈託やマーニーとの交流部分はちゃんと覚えていたのにね。あるいは、高見訳がサスペンス部分を盛り上げる技にたけているからでしょうか。
松野訳を読んだときにも感じた『トムは真夜中の庭で』との類似点、高見さんも訳者あとがきで触れていました。やっぱり、だれが読んでもそう感じるんだな。
高見訳には満足しましたが、ひとつだけ疑問が。読書メーターのレビューに誰かも書いていましたが、マーニーが「あんたはね――あんたは見かけどおりの顔してんのよ」と言われて傷つくのは意味不明だった。顔がすごく醜い子が「あんたは見かけどおりの心をしてる」と言われたら傷つくだろうけど、「見かけ」イコール「顔」なんだから当たり前のことを言われただけなんじゃないの? 原文は"You look like - just what you are." サンドラはマーニーのことを「意地っ張りで退屈な子」だと母親に言っていたのだから、つまり、「あんたは意地っ張りで退屈な子そのものに見える」と言っているのよね? 松野訳では「あんたはね――、あんたは、“あんたのとおりに”見えてんのよ」です。わかりにくいけど、こっちのほうが作者の意図に近いような気がする。越前・ないとう訳がどうなっているのか気になるので、そちらも読む予定。
話の中に何度か出てくるSea Lavender(松野訳も高見訳もシー・ラベンダー)は、日本ではスターチスといって売られている花の仲間のようですね。いろんな呼び方があるようだけど、海辺に生えること、花の色が紫色であることがわかるシー・ラベンダーという訳語がいちばんいいと思う。湿地の館のパーティではこの花が幸運を呼ぶ花として喜ばれていましたが、そういう言い伝えがあるのでしょうか。少し調べてみたけどわからなかった。
岩波少年文庫にあった村の地形図は、こっちにもあったほうが親切だと思うな。湿地と入江と海と館の関係が文字だけだとよくわからない。
作者:ジョーン・G・ロビンソン
訳者:高見 浩
出版社:新潮社
ISBN:4102185518
by timeturner
| 2014-07-14 21:38
| 和書
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