2012年 07月 28日
会津の旅1 7月28日(土) |
東京⇒《東北新幹線》⇒新白河⇒《東北本線》⇒泉崎⇒《東北本線》⇒郡山⇒《磐越西線》⇒会津若松
泉崎は小さな無人駅で、10畳くらいの広さの待合室があるだけ。外には駐車場がありますが、コンビニなどの店はまったくありません。マンスフィールド記念館は駅から2.5kmくらいの距離で、歩けないことはないのですが、なにしろ暑いのでタクシーに乗ったほうがいいと村役場の人が電話で言っていました。駅に掲示してある電話番号にかけてタクシーを呼べばいいって。
でも、記念館に電話して28日に開館しているかどうか確認した際に、館長さんが駅まで車で迎えにいきますとおっしゃってくださいました。ありがたくお言葉に甘えたのですが、そうしておいてよかった。あとから思い返してみるに、待合室にも駅の外にも公衆電話なんてなかった。つまり携帯をもっていない私にはタクシーなんて呼べなかったということではないか。まあ、この日は郡山に住む友人が一緒に来てくれたので、いざというときは彼女の携帯を使わせてもらえたと思いますが。
車に乗ってさっそく記念館へ、と思ったら昌建寺さんというお寺に。ここのしだれ桜が見事だというので、見せてくださったというわけ。なるほど確かに幹の太さが直径1メートルはあろうかという樹齢約230年の古木で、枝ぶりも見事です。桜の季節はさぞかし美しいのでしょうね。お寺そのものも上品で落ち着いた佇まいでした。このほかにも泉崎村には約3000本の桜の木があって、季節にはそれはそれは素晴らしい眺めだそうです。
思わぬ観光もさせていただき、いよいよマンスフィールド記念館に。ホームページの写真で見たとおりのブルーグリーンと黄色の可愛い木造二階建て。前庭にはさまざまな花が咲き乱れています。特に目立つのは淡い藤色がかったピンクのバラ。その名もキャサリン・マンスフィールドです。6月の一番花が終わり、今は二番花なので全体に小ぶりになっているそうですが、やさしい香りはちゃんとありました。
驚いたのは庭に植えられている花はすべてマンスフィールドの小説の中に登場していたものなのだそう。確かにマリーゴールド、ナスタチウム、パンジーなど出てたような。花の名前って外国語で読むと、そのときはわかったような気になっていても記憶に残っていないことが多いのでどれがどれだかわからなかったのですが。残念ながら梨の木はなかったようです。
まだ小さな若い葉だけが出ているのは月下香(Tuberose)という花で、「Her First Ball」に出てきます。夜にとても強く香るのだそうで、花が咲く頃に合わせてマンスフィールド関係の集まりを開かれるそうです。すてきですね。
入口階段の両脇に古瓦が波のような形に並べてあり、木のプレートに「キャサリンの滝」と書いてあります。館長さんが何かの栓をひねるとまあびっくり。瓦の上のほうから水(雨水をためているそう)がしみ出てきて、それが少しずつ瓦を伝って下に落ちていくではないですか。乾ききっていた瓦がしっとりと濡れていくのもきれいですし、水がしたたる様子も風情がある。そしてなにより、チロチロという軽く涼しげな音がいかにもキャサリン・マンスフィールドの雰囲気です。
裏庭まですべて見せていただいたあたりで、私も友人も汗だくだく。駅についたときには「さすがにこのあたりは東京にくらべたら涼しい」なんて思っていたのですが、それはまだ朝方だったからのようで、気温はどんどん上がってきています。
冷房の効いた家の中に案内され、冷たい麦茶をいただいてほっとしました。1階は館長さんご夫妻の住居として使っていらっしゃるようですが(本宅は千葉にあり、こちらは別宅)、ダイニングキッチンの中にもマンスフィールドやニュージーランドを思わせるものがいっぱい。
汗がひいてきたところで二階へ。ひとつ目はニュージーランドの部屋。マンスフィールドを生んだ国の素晴らしい自然や人々を写真や美術品、CD、ビデオなどで紹介できるようにしてあります。
次の部屋は資料室。壁際に置かれた本棚4つにマンスフィールド関連の書籍がぎっしり。洋書ももちろんですが、日本語の本もたくさんあって、こんなに出ていたのかと驚きました。館長の大澤さんは長いあいだ大学で英語学、英文学を教えてこられたのですが、かつては大学、特に女子大では教材としてマンスフィールドの短編がとても好まれたのだそうで、館長さんもたくさんの教科書(英語の原文に註釈を付したもの)を出されています。今では手に入らないものばかりで、「売っていただけるのですか?」と興奮して聞いたら、「あげますよ」とさらっとおっしゃいました! さらに『写真と資料でみるマンスフィールド雑記録』もいただいてしまい、これではまるで親戚の家に遊びにきてお土産もらって帰る子どもみたい。
三番目の部屋はマンスフィールドやその友人、恋人などの写真などとともにその生涯を見ていける部屋。ロレンスの写真と並んでウルフの写真があったので、翻訳の課題でウルフに苦しめられている私としては一瞬息がつまりました。
館長さんはニュージーランドだけでなく、ヨーロッパのマンスフィールドゆかりの地にも何度も足を運ばれていて、時にはツアーを引き連れていらしてもいるので、それぞれの土地に関する話も実に豊富で面白く、時間がいくらあっても聞き足りません。
マンスフィールドの生涯を描いた映画「孤独な果実」(ジェーン・バーキン、ジョン・ギールグッド出演)もお持ちで、時間があれば見せていただけたのですが、今回は残念ながらパス。この映画、日本未公開でDVD化もされていないので、ぜひまた伺って見せていただきたいものです。
帰りも車で駅まで送っていただき、本当にお世話になりっぱなしの訪問でした。ありがとうございました。
郡山では友人の案内で一軒家を使ったお洒落なベトナム料理のレストランへ。窓を開け放っているのでベトナムらしくしてるのかと思ったのですが、どうやらあまりの暑さにエアコンが効かなくなっていたようで、エアコンもつけながら窓を開けていたらしい。さすがにそんな中で熱いフォーを食べるのはためらわれたのでパヤオ飯(生春巻、ベトナムプリン付き)にしましたが(もちろんビールと)、ごはんの上にかかってるミートソースが辛くてやっぱり大汗かきました。でもまあ、こういう雰囲気の中だと汗かくのもそれほど気にならないですね。
郡山も震災のときにはかなりの被害を受けたと友人から聞いていたのですが、駅周辺の繁華街をぱっと見ただけではまったくわかりませんでした。人が集まる場所だけに修復も早かったのと、被害がひどかったところは完全に取り壊して撤去してしまったのでわからないのだそうです。個人経営の店の中には営業再開できずにいるところもあるようですし、軽々しく判断してはいけませんね。
駅まで戻り、会津若松行きの電車が来るまでスタバでおもいきりお喋り。この友人と会うのはすごくひさしぶりなので積もる話が盛りだくさんで、すごく楽しかった。
とうとう列車の時間になり、友人と別れて赤べこのついた磐越西線に乗り込み会津若松へ。郡山-会津若松間はつねに混雑すると『定年からの鉄道ひとり旅』に書いてあったので指定をとったのですが、暑い時期だからか電車はすいてました。
会津若松駅の観光案内所で街の地図をもらい、駅前のホテル東横インにチェックイン。なんだかものすごく混んでいる様子。受付のお姉さんが他の客に「今夜は満室ですので明朝のエレベーターや食堂が混みあいます」と注意していました。なにかイベントでもあるのかな。それとも単に駅前で安いから客が集中しているだけなのかな。
部屋に荷物を置くと明るいうちに街の様子を見ておこうと出かけました。ホテルの前の道が大町通りで、これをずっと歩いていくと野口英世青春通りなるものにつながるはずなのですが、そこに行くまでのあいだはなんともまあ閑散とした、いわゆるシャッター通りです。営業はとっくにやめて住居だけになっていたり、あるいは完全に放置されて崩れかかっている店が多い。車の通りはけっこうあるし、営業している店はそれなりにがんばっているふうではあるんですが、なにしろ人通りが少ない。土曜日でこれってまずいのでは?
ようやく野口英世青春通りに着きました。なるほど、ここまで来ると歩道にタイルが張られ、道の両脇にはガス灯を模した街灯が等間隔に並んで、それなりの雰囲気があります。古い蔵や屋敷を改修して記念館や土産物品、カフェ、レストランなどにしているので、観光客らしき人たちもぽつぽつといますが、数えるほどです。
広場には屋台が出て、屋外のテーブルと椅子で食事をしたりビールを飲んだりできるようにしてあり、盛んに呼び込みもしているのですが、なにしろこの暑さですから、実際に座って飲み食いしている人たちは全部で30人くらいだったでしょうか。
疲れてきたので古い建物を利用した「大町ガス燈」というビヤホール(?)に入りました。中もクラシックでいい雰囲気です。ガイドブックには地ビールがあると書いてあったのですが、店の人によると会津ではビールは作っていないとのこと。考えてみれば酒どころですもんね。仕方がないのでアサヒが出している少量限定ビール「琥珀の時間」というのを頼みました。エールタイプのビールで意外においしかった。これ、ふつうの酒屋では売ってないのかな。
ビールと一緒に軽くおつまみでもと思っていたけれど、昼食が遅かったのでお腹はすかない。もうホテルに帰って早く寝ることにしよう。疲れた脚にむちうって、閑散としているだけに長く感じる大町通りを駅のほうに戻り、お風呂に入ってオリンピックのニュースを見ながらベッドに入りました。そうそう、ホテルの部屋のエアコンは28度に設定してあり、上げたり下げたり変更できないようになっていました。
泉崎は小さな無人駅で、10畳くらいの広さの待合室があるだけ。外には駐車場がありますが、コンビニなどの店はまったくありません。マンスフィールド記念館は駅から2.5kmくらいの距離で、歩けないことはないのですが、なにしろ暑いのでタクシーに乗ったほうがいいと村役場の人が電話で言っていました。駅に掲示してある電話番号にかけてタクシーを呼べばいいって。
でも、記念館に電話して28日に開館しているかどうか確認した際に、館長さんが駅まで車で迎えにいきますとおっしゃってくださいました。ありがたくお言葉に甘えたのですが、そうしておいてよかった。あとから思い返してみるに、待合室にも駅の外にも公衆電話なんてなかった。つまり携帯をもっていない私にはタクシーなんて呼べなかったということではないか。まあ、この日は郡山に住む友人が一緒に来てくれたので、いざというときは彼女の携帯を使わせてもらえたと思いますが。
車に乗ってさっそく記念館へ、と思ったら昌建寺さんというお寺に。ここのしだれ桜が見事だというので、見せてくださったというわけ。なるほど確かに幹の太さが直径1メートルはあろうかという樹齢約230年の古木で、枝ぶりも見事です。桜の季節はさぞかし美しいのでしょうね。お寺そのものも上品で落ち着いた佇まいでした。このほかにも泉崎村には約3000本の桜の木があって、季節にはそれはそれは素晴らしい眺めだそうです。
思わぬ観光もさせていただき、いよいよマンスフィールド記念館に。ホームページの写真で見たとおりのブルーグリーンと黄色の可愛い木造二階建て。前庭にはさまざまな花が咲き乱れています。特に目立つのは淡い藤色がかったピンクのバラ。その名もキャサリン・マンスフィールドです。6月の一番花が終わり、今は二番花なので全体に小ぶりになっているそうですが、やさしい香りはちゃんとありました。
驚いたのは庭に植えられている花はすべてマンスフィールドの小説の中に登場していたものなのだそう。確かにマリーゴールド、ナスタチウム、パンジーなど出てたような。花の名前って外国語で読むと、そのときはわかったような気になっていても記憶に残っていないことが多いのでどれがどれだかわからなかったのですが。残念ながら梨の木はなかったようです。
まだ小さな若い葉だけが出ているのは月下香(Tuberose)という花で、「Her First Ball」に出てきます。夜にとても強く香るのだそうで、花が咲く頃に合わせてマンスフィールド関係の集まりを開かれるそうです。すてきですね。
入口階段の両脇に古瓦が波のような形に並べてあり、木のプレートに「キャサリンの滝」と書いてあります。館長さんが何かの栓をひねるとまあびっくり。瓦の上のほうから水(雨水をためているそう)がしみ出てきて、それが少しずつ瓦を伝って下に落ちていくではないですか。乾ききっていた瓦がしっとりと濡れていくのもきれいですし、水がしたたる様子も風情がある。そしてなにより、チロチロという軽く涼しげな音がいかにもキャサリン・マンスフィールドの雰囲気です。
裏庭まですべて見せていただいたあたりで、私も友人も汗だくだく。駅についたときには「さすがにこのあたりは東京にくらべたら涼しい」なんて思っていたのですが、それはまだ朝方だったからのようで、気温はどんどん上がってきています。
冷房の効いた家の中に案内され、冷たい麦茶をいただいてほっとしました。1階は館長さんご夫妻の住居として使っていらっしゃるようですが(本宅は千葉にあり、こちらは別宅)、ダイニングキッチンの中にもマンスフィールドやニュージーランドを思わせるものがいっぱい。
汗がひいてきたところで二階へ。ひとつ目はニュージーランドの部屋。マンスフィールドを生んだ国の素晴らしい自然や人々を写真や美術品、CD、ビデオなどで紹介できるようにしてあります。
次の部屋は資料室。壁際に置かれた本棚4つにマンスフィールド関連の書籍がぎっしり。洋書ももちろんですが、日本語の本もたくさんあって、こんなに出ていたのかと驚きました。館長の大澤さんは長いあいだ大学で英語学、英文学を教えてこられたのですが、かつては大学、特に女子大では教材としてマンスフィールドの短編がとても好まれたのだそうで、館長さんもたくさんの教科書(英語の原文に註釈を付したもの)を出されています。今では手に入らないものばかりで、「売っていただけるのですか?」と興奮して聞いたら、「あげますよ」とさらっとおっしゃいました! さらに『写真と資料でみるマンスフィールド雑記録』もいただいてしまい、これではまるで親戚の家に遊びにきてお土産もらって帰る子どもみたい。
三番目の部屋はマンスフィールドやその友人、恋人などの写真などとともにその生涯を見ていける部屋。ロレンスの写真と並んでウルフの写真があったので、翻訳の課題でウルフに苦しめられている私としては一瞬息がつまりました。
館長さんはニュージーランドだけでなく、ヨーロッパのマンスフィールドゆかりの地にも何度も足を運ばれていて、時にはツアーを引き連れていらしてもいるので、それぞれの土地に関する話も実に豊富で面白く、時間がいくらあっても聞き足りません。
マンスフィールドの生涯を描いた映画「孤独な果実」(ジェーン・バーキン、ジョン・ギールグッド出演)もお持ちで、時間があれば見せていただけたのですが、今回は残念ながらパス。この映画、日本未公開でDVD化もされていないので、ぜひまた伺って見せていただきたいものです。
帰りも車で駅まで送っていただき、本当にお世話になりっぱなしの訪問でした。ありがとうございました。
郡山では友人の案内で一軒家を使ったお洒落なベトナム料理のレストランへ。窓を開け放っているのでベトナムらしくしてるのかと思ったのですが、どうやらあまりの暑さにエアコンが効かなくなっていたようで、エアコンもつけながら窓を開けていたらしい。さすがにそんな中で熱いフォーを食べるのはためらわれたのでパヤオ飯(生春巻、ベトナムプリン付き)にしましたが(もちろんビールと)、ごはんの上にかかってるミートソースが辛くてやっぱり大汗かきました。でもまあ、こういう雰囲気の中だと汗かくのもそれほど気にならないですね。
郡山も震災のときにはかなりの被害を受けたと友人から聞いていたのですが、駅周辺の繁華街をぱっと見ただけではまったくわかりませんでした。人が集まる場所だけに修復も早かったのと、被害がひどかったところは完全に取り壊して撤去してしまったのでわからないのだそうです。個人経営の店の中には営業再開できずにいるところもあるようですし、軽々しく判断してはいけませんね。
駅まで戻り、会津若松行きの電車が来るまでスタバでおもいきりお喋り。この友人と会うのはすごくひさしぶりなので積もる話が盛りだくさんで、すごく楽しかった。
とうとう列車の時間になり、友人と別れて赤べこのついた磐越西線に乗り込み会津若松へ。郡山-会津若松間はつねに混雑すると『定年からの鉄道ひとり旅』に書いてあったので指定をとったのですが、暑い時期だからか電車はすいてました。
会津若松駅の観光案内所で街の地図をもらい、駅前のホテル東横インにチェックイン。なんだかものすごく混んでいる様子。受付のお姉さんが他の客に「今夜は満室ですので明朝のエレベーターや食堂が混みあいます」と注意していました。なにかイベントでもあるのかな。それとも単に駅前で安いから客が集中しているだけなのかな。
部屋に荷物を置くと明るいうちに街の様子を見ておこうと出かけました。ホテルの前の道が大町通りで、これをずっと歩いていくと野口英世青春通りなるものにつながるはずなのですが、そこに行くまでのあいだはなんともまあ閑散とした、いわゆるシャッター通りです。営業はとっくにやめて住居だけになっていたり、あるいは完全に放置されて崩れかかっている店が多い。車の通りはけっこうあるし、営業している店はそれなりにがんばっているふうではあるんですが、なにしろ人通りが少ない。土曜日でこれってまずいのでは?
ようやく野口英世青春通りに着きました。なるほど、ここまで来ると歩道にタイルが張られ、道の両脇にはガス灯を模した街灯が等間隔に並んで、それなりの雰囲気があります。古い蔵や屋敷を改修して記念館や土産物品、カフェ、レストランなどにしているので、観光客らしき人たちもぽつぽつといますが、数えるほどです。
広場には屋台が出て、屋外のテーブルと椅子で食事をしたりビールを飲んだりできるようにしてあり、盛んに呼び込みもしているのですが、なにしろこの暑さですから、実際に座って飲み食いしている人たちは全部で30人くらいだったでしょうか。
疲れてきたので古い建物を利用した「大町ガス燈」というビヤホール(?)に入りました。中もクラシックでいい雰囲気です。ガイドブックには地ビールがあると書いてあったのですが、店の人によると会津ではビールは作っていないとのこと。考えてみれば酒どころですもんね。仕方がないのでアサヒが出している少量限定ビール「琥珀の時間」というのを頼みました。エールタイプのビールで意外においしかった。これ、ふつうの酒屋では売ってないのかな。
ビールと一緒に軽くおつまみでもと思っていたけれど、昼食が遅かったのでお腹はすかない。もうホテルに帰って早く寝ることにしよう。疲れた脚にむちうって、閑散としているだけに長く感じる大町通りを駅のほうに戻り、お風呂に入ってオリンピックのニュースを見ながらベッドに入りました。そうそう、ホテルの部屋のエアコンは28度に設定してあり、上げたり下げたり変更できないようになっていました。
by timeturner
| 2012-07-28 21:17
| 旅行
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