2012年 06月 17日
ウルフ・ホール(上・下) |
16世紀のイギリス。息子が生まれないことに不満を抱く国王ヘンリー八世は、王妃キャサリンと離婚し、恋人アン・ブーリンと結婚したいと願う。だが、教皇の反対で離婚協議は進まず、失敗の責任を負う形でウルジー枢機卿が失脚した。卑しい生まれから自らの才覚だけで生き抜いてきた男トマス・クロムウェルは、ウルジーの忠実な部下だったが、ウルジーの死後、国王から目をかけられ、イギリスの歴史を変える存在へとのしあがっていく・・・。
かなり癖のある文体で、慣れるまでは読みにくい。途中で挫折する人もいるんじゃないかな。この当時の歴史に興味をもっている私でも、全体の4分の1くらいまでは何度もやめようかと思いました。ほとんど現在形で書かれている文章は短編だったら新鮮だけど、長編はきついですよね。翻訳たいへんだったろうな。主人公であるトマス・クロムウェルが主語の場合に、かたくなに「He」だけを使うのも慣れるまでは誰が行動の主体なのか判然とせずに悩みました。英語だともっとわかりにくいのでは?
それと、とにかく登場人物が多くて、しかもそれが複雑にからみあっていて、読んでいる途中で何度も何度も巻頭にある登場人物表を見る羽目になります。この表がまた6ページもあるものだから探すのも大変。トマスやメアリが何人もいるし。前に朝カルの「英文学に親しむ」クラスでこの本を読もうかという話が出たことがあり、先生が先に読んでみたのですが、「面白いけれど登場人物が多すぎて読むのがとても大変」という感想だったのであきらめたことがあります。先生はアイルランド人だったのでイギリスの歴史にはそれほど詳しくないから(英語の読解力は別として)日本人の私たちと似たような条件だったんだと思う。
イギリス人でもこのあたりの歴史に詳しい人でないとすんなりとは読めなさそうな気がしますが、ヘンリー八世の時代は何度もTVドラマや映画になっているので、大体の流れはわかっているでしょうし、この本が刊行される2年前にBBCで「The Tudors」の放映が始まってブームになっていたからとっつきやすかったかも。そのドラマがあったからこの本が広く受け入れられ、ブッカー賞を受賞できたのかもしれない。
それはともかく、やっぱりこの時代は面白い! 500年も前のことをその場で見てきたように臨場感たっぷりに書く作者の想像力(だけではもちろんなく緻密な調査の結果だと思いますが)も素晴らしい。凝りすぎた文章に鼻白むときもあるけど、逆に「巧いな」と舌を巻くこともある。「朝の光が差したとき、部屋は彼までいなくなったように、ひどくがらんとしていた」とか。
ハンス・ホルバインも登場人物のひとりで、全体の流れとは関係のない部分ではあっても彼が色々な人の絵を描くシーンを挿入することで、今に残る彼の肖像画を読者の脳裏に喚起させ、いきいきとしたイメージを描き出すことに利用しています。このあたりの使い方は巧い。おそらく作者自身もこうした肖像画からインスピレーションを得ていたのでしょう。クロムウェルはもちろん、トマス・モア(とその家族)、ヘンリー八世、ノーフォーク公爵トマス・ハワード、ジェーン・シーモアなど、容姿を描写している箇所を読むと自然に頭の中にホルバインの絵が浮かんでくるのですから。
トマス・クロムウェルって冷酷非情な人間という印象があったんですが、これを読むとその人間らしさに好意をもってしまいそうになります。逆にトマス・モアがやな奴すぎて・・・。歴史というのは本当に視点によっていかようにも解釈できてしまうのですね。だからこそ小説の題材になりやすい。日本で言うとさだめし太閤記みたいなものでしょうか。鍛冶屋の息子が才覚だけで国王に次ぐ地位にまで登りつめるのですから。もっとも時代は織田信長より少し前の戦国時代にあたります。イギリスでは百年戦争、薔薇戦争と続く戦乱の世が一足先に終わり、チューダー王朝がすでに安定期に入っている時代です。そのままずっと100年先を行っていた国に日本は明治維新で一気に追いつこうとするわけですから、ものすごいタイムワープだったのだなあ。
読み終えたときには、頭の中ごちゃごちゃではありながら、少しはこの時代の流れがわかったような気がするので、忘れる前に関連書を読み継ぐといいのでしょう。そうだ、積読にしていたC.J. サンソムの『Dissolution』を読まなくちゃ。
ところで途中何度も記憶術に関する記述があります。クロムウェルはイタリアで記憶術を身につけたと書かれていますし、ほかにもフランスで実験されている箱の中に箱式の記憶術も出てきます。これって錬金術のように昔からずっと人間が追い求めてきた夢のひとつなのだろうか、と思ってウィキペディアを見てみたら、なんと2500年前からの記録があるんですね。そうか、文字もなかった時代、文字ができても印刷技術がなかった時代には記憶だけが頼りですもんねえ。
ウルフ・ホール(上)
ウルフ・ホール(下)
原題:Wolf Hall
作者:ヒラリー・マンテル
訳者:宇佐川晶子
出版社:早川書房
ISBN:415209205X
かなり癖のある文体で、慣れるまでは読みにくい。途中で挫折する人もいるんじゃないかな。この当時の歴史に興味をもっている私でも、全体の4分の1くらいまでは何度もやめようかと思いました。ほとんど現在形で書かれている文章は短編だったら新鮮だけど、長編はきついですよね。翻訳たいへんだったろうな。主人公であるトマス・クロムウェルが主語の場合に、かたくなに「He」だけを使うのも慣れるまでは誰が行動の主体なのか判然とせずに悩みました。英語だともっとわかりにくいのでは?
それと、とにかく登場人物が多くて、しかもそれが複雑にからみあっていて、読んでいる途中で何度も何度も巻頭にある登場人物表を見る羽目になります。この表がまた6ページもあるものだから探すのも大変。トマスやメアリが何人もいるし。前に朝カルの「英文学に親しむ」クラスでこの本を読もうかという話が出たことがあり、先生が先に読んでみたのですが、「面白いけれど登場人物が多すぎて読むのがとても大変」という感想だったのであきらめたことがあります。先生はアイルランド人だったのでイギリスの歴史にはそれほど詳しくないから(英語の読解力は別として)日本人の私たちと似たような条件だったんだと思う。
イギリス人でもこのあたりの歴史に詳しい人でないとすんなりとは読めなさそうな気がしますが、ヘンリー八世の時代は何度もTVドラマや映画になっているので、大体の流れはわかっているでしょうし、この本が刊行される2年前にBBCで「The Tudors」の放映が始まってブームになっていたからとっつきやすかったかも。そのドラマがあったからこの本が広く受け入れられ、ブッカー賞を受賞できたのかもしれない。
それはともかく、やっぱりこの時代は面白い! 500年も前のことをその場で見てきたように臨場感たっぷりに書く作者の想像力(だけではもちろんなく緻密な調査の結果だと思いますが)も素晴らしい。凝りすぎた文章に鼻白むときもあるけど、逆に「巧いな」と舌を巻くこともある。「朝の光が差したとき、部屋は彼までいなくなったように、ひどくがらんとしていた」とか。
ハンス・ホルバインも登場人物のひとりで、全体の流れとは関係のない部分ではあっても彼が色々な人の絵を描くシーンを挿入することで、今に残る彼の肖像画を読者の脳裏に喚起させ、いきいきとしたイメージを描き出すことに利用しています。このあたりの使い方は巧い。おそらく作者自身もこうした肖像画からインスピレーションを得ていたのでしょう。クロムウェルはもちろん、トマス・モア(とその家族)、ヘンリー八世、ノーフォーク公爵トマス・ハワード、ジェーン・シーモアなど、容姿を描写している箇所を読むと自然に頭の中にホルバインの絵が浮かんでくるのですから。
トマス・クロムウェルって冷酷非情な人間という印象があったんですが、これを読むとその人間らしさに好意をもってしまいそうになります。逆にトマス・モアがやな奴すぎて・・・。歴史というのは本当に視点によっていかようにも解釈できてしまうのですね。だからこそ小説の題材になりやすい。日本で言うとさだめし太閤記みたいなものでしょうか。鍛冶屋の息子が才覚だけで国王に次ぐ地位にまで登りつめるのですから。もっとも時代は織田信長より少し前の戦国時代にあたります。イギリスでは百年戦争、薔薇戦争と続く戦乱の世が一足先に終わり、チューダー王朝がすでに安定期に入っている時代です。そのままずっと100年先を行っていた国に日本は明治維新で一気に追いつこうとするわけですから、ものすごいタイムワープだったのだなあ。
読み終えたときには、頭の中ごちゃごちゃではありながら、少しはこの時代の流れがわかったような気がするので、忘れる前に関連書を読み継ぐといいのでしょう。そうだ、積読にしていたC.J. サンソムの『Dissolution』を読まなくちゃ。
ところで途中何度も記憶術に関する記述があります。クロムウェルはイタリアで記憶術を身につけたと書かれていますし、ほかにもフランスで実験されている箱の中に箱式の記憶術も出てきます。これって錬金術のように昔からずっと人間が追い求めてきた夢のひとつなのだろうか、と思ってウィキペディアを見てみたら、なんと2500年前からの記録があるんですね。そうか、文字もなかった時代、文字ができても印刷技術がなかった時代には記憶だけが頼りですもんねえ。
ウルフ・ホール(上)
ウルフ・ホール(下)
原題:Wolf Hall
作者:ヒラリー・マンテル
訳者:宇佐川晶子
出版社:早川書房
ISBN:415209205X
by timeturner
| 2012-06-17 17:24
| 和書
|
Comments(2)
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by
八朔
at 2012-06-17 20:41
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この時代背景とブッカー賞受賞に魅かれて、読み始めたけれど、挫折した一人です。一巻だけが、私の本棚に…それさえも読みかけ(^^)。夏休みにもう一度チャレンジ!
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timeturner at 2012-06-17 22:36
八朔さん
やはり挫折しますよね。上の半分近くまでくれば慣れもあってすいすい読めるようになるのですが、それまでが本当にきつい。間があくと前の部分を忘れちゃうから、夏休みのようにまとまった時間がとれるときに挑戦するのは賢明だと思います(^^)。
やはり挫折しますよね。上の半分近くまでくれば慣れもあってすいすい読めるようになるのですが、それまでが本当にきつい。間があくと前の部分を忘れちゃうから、夏休みのようにまとまった時間がとれるときに挑戦するのは賢明だと思います(^^)。