2012年 03月 09日
マルコヴァルドさんの四季 |
イタリアの都市に住むマルコヴァルドさんは、倉庫で荷物の出し入れをする作業員で、地下の小さな家に奥さんとたくさんの子供と一緒に暮らし、かつかつの暮らしを送っています。都会暮らしには向かない夢見がちで自然好きな性格のため、しょっちゅうとんでもない羽目に陥ってしまいます・・・。
春夏秋冬の四季ごとにマルコヴァルドさんが遭遇するさまざまな事件を描いた短編小説が20編収められています。つまり、一冊の本の中では5年の歳月が過ぎるわけですが、特に作中人物たちが年を経ていくという描写はなく、単に季節の変わり目ごとに書いてみたという感じ。実際にも最初の作品から最後の作品までの間に10年の年月がかかっているそうです。もちろん、これだけにかかりきっていたわけではなく、そのときどきに楽しみに書いてたんじゃないかな。
読者に自然にそう思わせる、心地よくゆる~い内容なんですよね。最初の話でマルコヴァルドさんはこんなふうに紹介されています。
巻末の訳者解説に書かれているのですが、ほとんどの話はこんな展開になっています。
カルヴィーノの本は『木のぼり男爵』と『レ・コスミコミケ』しか読んだことがなかったので、子供向けの本があるというのに驚いたのですが、読んでみたらこれまで読んだカルヴィーノの中ではいちばんわかりやすく、面白かった。でも、決して子供向きの表現になんてしていないんですよね。訳者もそういう作者の意をくんで、ですます調にはしているものの使っている言葉は大人向けです。それでいいんだよな、と改めて思いました。子供は子供だけの世界に隔離されているわけではなく、大人と一緒の社会で生きているんだから、ふだんから難しい言葉だって耳に入ってきているはず。聞いたり読んだりすることで段々と言葉を覚えていくんですから、柔らかくて歯ごたえのないものばかり与えていたら、いつまでたっても大人になれない。とはいえ、難しい言葉を使って、難しく退屈なことが書いてあったら大人だって読もうとしません。カルヴィーノはそのあたりの配分が実にうまい。たとえば、こんな導入部。
また、とても詩的で美しい表現が頻出するのも特長。目の前の建物も見えないような濃い霧にすっぽり覆われてしまった街をさまよう「まちがった停留所」などは出来のいい短編映画を見ているかのように幻想的な風景が頭の中に広がりました。
動物実験に使われているウサギの視点から描かれた「毒入りウサギ」の苦く、切ない読後感も捨てがたいし、高層ビルだらけになった街で自分たちだけの「かげの町」を形成して生きる猫たちを描く「がんこなネコたちの住む庭」ではトラネコの友達になったマルコヴァルドさんと一緒にネコしか知らない道を這い回っているような気分を楽しめます。
上でも少しふれましたが翻訳(イタリア語⇒日本語)も素晴らしくて、「ですます」調でもまったくうっとおしいと感じない。詩的な部分はあくまで詩的に、ユーモラスなところはとことん面白く訳してあります。
マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)
原題:Marcovaldo
作者:イタロ・カルヴィーノ
訳者:関口英子
出版社:岩波書店
ISBN:4001141580
春夏秋冬の四季ごとにマルコヴァルドさんが遭遇するさまざまな事件を描いた短編小説が20編収められています。つまり、一冊の本の中では5年の歳月が過ぎるわけですが、特に作中人物たちが年を経ていくという描写はなく、単に季節の変わり目ごとに書いてみたという感じ。実際にも最初の作品から最後の作品までの間に10年の年月がかかっているそうです。もちろん、これだけにかかりきっていたわけではなく、そのときどきに楽しみに書いてたんじゃないかな。
読者に自然にそう思わせる、心地よくゆる~い内容なんですよね。最初の話でマルコヴァルドさんはこんなふうに紹介されています。
マルコヴァルドさんは、あまり都会の暮らしにふさわしくない目をしていました。道路の標識や信号、ショーウィンドウーやネオンサイン、ポスターなどは、どんなに人の注意をひくように工夫されたものであっても、けっしてマルコヴァルドさんの目にとまることはありません。砂漠の砂のうえをすべるように、とおりすぎてしまうのです。ところが、木の枝で黄色くなった葉っぱや、屋根瓦にひっかかっている鳥の羽根といったものは見のがしません。馬の背にまつわりつくアブや、テーブルにあいた木くい虫の穴、歩道にはりついているイチジクの皮などにも、マルコヴァルドさんの目は向けられます。そして、そこからいろいろな考えがひろがってゆき、季節の移り変わりや、自分が心から望んでいること、自分がどんなにちっぽけな存在かといったことに、思いをはせるのでした。そうはいっても、いわゆる夢想家、ロマンチストというわけでもなく、並木道にきのこが生えているのをみつけると、ほかの人には内緒にしてひとり占めしようとしますし、ハチを使ってリューマチを治す方法を考案し、素人治療で稼ごうとしたりと、なかなかヤマっけもあるのです。全体のトーンはあくまでもゆるく、ほのぼのしてはいますが、鋭い人間観察や社会風刺がぴりっと効いて、一編ごとにはっとさせられる部分があります。
巻末の訳者解説に書かれているのですが、ほとんどの話はこんな展開になっています。
1 身の回りのできごとや、動物や植物など生きもののかすかな気配に、季節のおとずれを感じとる。つまり、必ずオチがある。声を出して笑ってしまうようなオチもあれば、ちょっとしんみりさせられるものもありますが、基本的にはいかにもイタリア人らしい楽観主義が底を流れているので、「あ~あ」と思いながらも、まあそんなものだよねと納得できます。なにしろ20回も裏切られるような羽目に陥ってもマルコヴァルドさん自身がへこたれていないのですから。
2 自然のままの姿にもどることを夢見る
3 最後には、決まってがっかりさせられる。
カルヴィーノの本は『木のぼり男爵』と『レ・コスミコミケ』しか読んだことがなかったので、子供向けの本があるというのに驚いたのですが、読んでみたらこれまで読んだカルヴィーノの中ではいちばんわかりやすく、面白かった。でも、決して子供向きの表現になんてしていないんですよね。訳者もそういう作者の意をくんで、ですます調にはしているものの使っている言葉は大人向けです。それでいいんだよな、と改めて思いました。子供は子供だけの世界に隔離されているわけではなく、大人と一緒の社会で生きているんだから、ふだんから難しい言葉だって耳に入ってきているはず。聞いたり読んだりすることで段々と言葉を覚えていくんですから、柔らかくて歯ごたえのないものばかり与えていたら、いつまでたっても大人になれない。とはいえ、難しい言葉を使って、難しく退屈なことが書いてあったら大人だって読もうとしません。カルヴィーノはそのあたりの配分が実にうまい。たとえば、こんな導入部。
夕方の六時、町は消費者のものとなります。昼のあいだじゅう、生産者は物をつくることに専念しています。消費財を生産するのです。そして、決まった時間になると、スイッチが切りかわったかのように生産するのをやめ、よーいドンとばかりに消費をはじめます。いやあ、新鮮ですよねえ、こういう児童文学。50年も前に書かれたものだなんて信じられません。本物ではない危険な食品におびえる話や、広告合戦で無料のサンプルを配りまくる企業の話など、現代の話と言われてもそのまま受け取れます。
また、とても詩的で美しい表現が頻出するのも特長。目の前の建物も見えないような濃い霧にすっぽり覆われてしまった街をさまよう「まちがった停留所」などは出来のいい短編映画を見ているかのように幻想的な風景が頭の中に広がりました。
動物実験に使われているウサギの視点から描かれた「毒入りウサギ」の苦く、切ない読後感も捨てがたいし、高層ビルだらけになった街で自分たちだけの「かげの町」を形成して生きる猫たちを描く「がんこなネコたちの住む庭」ではトラネコの友達になったマルコヴァルドさんと一緒にネコしか知らない道を這い回っているような気分を楽しめます。
上でも少しふれましたが翻訳(イタリア語⇒日本語)も素晴らしくて、「ですます」調でもまったくうっとおしいと感じない。詩的な部分はあくまで詩的に、ユーモラスなところはとことん面白く訳してあります。
マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)
原題:Marcovaldo
作者:イタロ・カルヴィーノ
訳者:関口英子
出版社:岩波書店
ISBN:4001141580
by timeturner
| 2012-03-09 20:15
| 和書
|
Comments(2)
Commented
by
nobara
at 2014-05-16 11:36
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この作品、子供の頃から大好きで、娘が成人した歳になっても何度も読み返します。6時から消費者のものになる町でマルコヴァルドさん一家がスーパーで狂ったように籠に商品を入れて裏口から逃れ、ショベルカーの口に投げ込むラストは、毎日の買い物の度に思い浮かべます。
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timeturner at 2014-05-16 21:06
子どもが読んでも大人が読んでも、それぞれに楽しめる本ですよね。私も子どもの頃に読んでみたかった。
ところで、nobaraさんがお持ちの本は関口訳になる前、安藤美紀夫さんの訳ですね? どこがどんなふうに違うのか興味があります。いま調べたら、近所の図書館にあるようなので今度読んでみようっと。
ところで、nobaraさんがお持ちの本は関口訳になる前、安藤美紀夫さんの訳ですね? どこがどんなふうに違うのか興味があります。いま調べたら、近所の図書館にあるようなので今度読んでみようっと。