2011年 05月 06日
生粋の文京人が企画する「とっておきの文京区」ツアー その2 |
ゴールデンウィークの狭間なので欠席者が増えるんじゃないかと思ったのですが、集合した順に出発し、私は第1班になったので、結果的に何人が参加したのかわかりませんでした。第1班が13人、途中であとから追いついた第2班も同じくらいだったので、少なくとも25人は参加していたことになります。まあ、これもゴールデンウィークのレジャーのひとつと考えれば意外に欠席者は少なかったのかもしれません。
きょうのテーマは「土地の記憶」で、本郷界隈を歩きました。ルートは以下の通り。
本郷三丁目⇒本郷薬師⇒桜木神社⇒本郷小学校⇒日本基督教弓町本郷教会⇒大楠⇒福士邸(旧辻新次邸)⇒クリーニング熊谷本店⇒女子美術学校発祥の地⇒壱岐坂⇒三河稲荷神社⇒本郷給水所公園⇒トウキョーワンダーサイト本郷⇒済生学舎発祥の地⇒元町公園⇒建部坂⇒昌清寺⇒桜陰学園⇒宝生能楽堂⇒金刀比羅宮東京分社
大楠というのは旗本甲斐庄喜右衛門の屋敷跡にある大きな楠で、高さ24メートル、太さ9メートル、樹齢600年の木です。現代的なビルに囲まれた狭い場所にそびえているので、ものすごく目立ちます。でも、なんだか可哀そうだったな。
大楠の向かい側にあるビルの1階中央の駐車場入口のように見えるところから、よく見ると古風な日本建築が見えます。これは登録有形文化財「瀬川邸」で、明治20年頃に帝国大学初代工学部長を務めた古市公威氏の自邸として建てられ、大正12年の関東大震災後、瀬川家が譲り受けたものだそうで、苔庭が素晴らしいのだそうです。が、個人のお宅なので見ることはできず、たまに公開されるのも何年に一度という感じらしい。そう言われると見たくなるのは人情ですね。
先週のミニコースと違い、きょうは2時間かけてたっぷり回ったので充実感はあったのですが、情けない事実に気がつきました。日本史の知識がほとんどないので、説明を聞いても感動が薄いのです。まわりの方々は皆さん、「ほぉっ!」と感嘆の声をあげたり、中にはガイドさんの説明にさらに補足してくるほど知識豊富な様子で、私ひとりだけ置いてきぼりの気分。いや、すべて自分が悪いんですけど。
TVの大河ドラマを見ていないということもけっこう関係しているみたいです。昌清寺は徳川三代将軍の座をめぐって家光との争いに敗れ、自害した弟忠長をまつった寺で、家光を将軍の座につけるために奔走した春日の局の墓所とは直線距離で800メートルの距離なんだそうですが、そんな話でもまわりの方々と私の温度差がはっきりしてしまいました。
私が興奮したのは前から行ってみたかったトウキョーワンダーサイト本郷の場所がわかったこと、妹が卒業したのに見たことがなかった桜陰の校舎を見たこと、本郷小学校の校門のそばにポール・マッカートニーが植樹したハナミズキの碑があったこと、神田川の土手が城側だけの片土手で、これは川が氾濫したとき城を守るために反対側に水をあふれさすためだったこと(荒川放水路も同様に作られている)などでした。歴史と関係ないことばかりですなあ。
ガイドさんが参考のためにと見せてくれた広重の名所江戸百景「水道橋駿河台」はビルのない時代の川遊びを描いたものですが、たまたま鯉のぼりが配されていて季節にぴったりでした。そうそう、端午の節句に鯉のぼりをたてるのは庶民で、武士は吹流しだったんだそうですね。というか、平民は幟を立てることが許されていなかったので鯉にしたというか。
本郷給水所公園にはバラ園があるのですが、これがかなり咲いていてすごくいい香りでした。種類も多くて、名前をチェックしながら見ていくのも楽しい。どちらかというと小さな公園ですが、洋風、和風に分かれていて、緑も多く、とてもいいところでした。また行こう。
この公園から見えるところに森鴎外がドイツ語を学ぶために通った私学校「進文学舎」があったそうなんですが、そこに通っていた頃の鴎外はなんと10歳だったそうですから驚きます。明治の頃の(上流家庭の)教育熱というのはかなりのものだったんですね。それにこたえる子どもの能力もすごい。まあ、もちろん落ちこぼれもいたんでしょうが。
きょうのテーマは「土地の記憶」で、本郷界隈を歩きました。ルートは以下の通り。
本郷三丁目⇒本郷薬師⇒桜木神社⇒本郷小学校⇒日本基督教弓町本郷教会⇒大楠⇒福士邸(旧辻新次邸)⇒クリーニング熊谷本店⇒女子美術学校発祥の地⇒壱岐坂⇒三河稲荷神社⇒本郷給水所公園⇒トウキョーワンダーサイト本郷⇒済生学舎発祥の地⇒元町公園⇒建部坂⇒昌清寺⇒桜陰学園⇒宝生能楽堂⇒金刀比羅宮東京分社
大楠というのは旗本甲斐庄喜右衛門の屋敷跡にある大きな楠で、高さ24メートル、太さ9メートル、樹齢600年の木です。現代的なビルに囲まれた狭い場所にそびえているので、ものすごく目立ちます。でも、なんだか可哀そうだったな。
大楠の向かい側にあるビルの1階中央の駐車場入口のように見えるところから、よく見ると古風な日本建築が見えます。これは登録有形文化財「瀬川邸」で、明治20年頃に帝国大学初代工学部長を務めた古市公威氏の自邸として建てられ、大正12年の関東大震災後、瀬川家が譲り受けたものだそうで、苔庭が素晴らしいのだそうです。が、個人のお宅なので見ることはできず、たまに公開されるのも何年に一度という感じらしい。そう言われると見たくなるのは人情ですね。
先週のミニコースと違い、きょうは2時間かけてたっぷり回ったので充実感はあったのですが、情けない事実に気がつきました。日本史の知識がほとんどないので、説明を聞いても感動が薄いのです。まわりの方々は皆さん、「ほぉっ!」と感嘆の声をあげたり、中にはガイドさんの説明にさらに補足してくるほど知識豊富な様子で、私ひとりだけ置いてきぼりの気分。いや、すべて自分が悪いんですけど。
TVの大河ドラマを見ていないということもけっこう関係しているみたいです。昌清寺は徳川三代将軍の座をめぐって家光との争いに敗れ、自害した弟忠長をまつった寺で、家光を将軍の座につけるために奔走した春日の局の墓所とは直線距離で800メートルの距離なんだそうですが、そんな話でもまわりの方々と私の温度差がはっきりしてしまいました。
私が興奮したのは前から行ってみたかったトウキョーワンダーサイト本郷の場所がわかったこと、妹が卒業したのに見たことがなかった桜陰の校舎を見たこと、本郷小学校の校門のそばにポール・マッカートニーが植樹したハナミズキの碑があったこと、神田川の土手が城側だけの片土手で、これは川が氾濫したとき城を守るために反対側に水をあふれさすためだったこと(荒川放水路も同様に作られている)などでした。歴史と関係ないことばかりですなあ。
ガイドさんが参考のためにと見せてくれた広重の名所江戸百景「水道橋駿河台」はビルのない時代の川遊びを描いたものですが、たまたま鯉のぼりが配されていて季節にぴったりでした。そうそう、端午の節句に鯉のぼりをたてるのは庶民で、武士は吹流しだったんだそうですね。というか、平民は幟を立てることが許されていなかったので鯉にしたというか。
本郷給水所公園にはバラ園があるのですが、これがかなり咲いていてすごくいい香りでした。種類も多くて、名前をチェックしながら見ていくのも楽しい。どちらかというと小さな公園ですが、洋風、和風に分かれていて、緑も多く、とてもいいところでした。また行こう。
この公園から見えるところに森鴎外がドイツ語を学ぶために通った私学校「進文学舎」があったそうなんですが、そこに通っていた頃の鴎外はなんと10歳だったそうですから驚きます。明治の頃の(上流家庭の)教育熱というのはかなりのものだったんですね。それにこたえる子どもの能力もすごい。まあ、もちろん落ちこぼれもいたんでしょうが。
by timeturner
| 2011-05-06 23:08
| 学習
|
Comments(6)
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滝夜叉
at 2011-05-06 23:58
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ツアー、たいへん面白そうですね^^
鯉のぼり・・・するってぇ~と “江戸っ子は五月の鯉の吹流し”って、庶民じゃなくて武士を揶揄したものなんでしょうか?
鯉のぼり・・・するってぇ~と “江戸っ子は五月の鯉の吹流し”って、庶民じゃなくて武士を揶揄したものなんでしょうか?
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shoh
at 2011-05-07 10:35
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滝夜叉さん
私も気になって調べてみたのですが、どうやら「鯉のぼり」という名称の「のぼり」がポイントみたいです。実際は「吹流し」なのに武家にしか許されていない「幟」をくっつけて張り合ったというところじゃないでしょうか。
ネットで検索して絵をよく見てみました。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/11/100_views_edo_063.jpg
富士山の下あたりに赤い吹流しが見えますが、これが武家のもので、よく見るとその隣りに幟も立っていますね。ツアーで見せてもらったときには赤い吹流ししか見えなかったので、これが幟かと思ってしまったのですが、どうやら武家は吹流しと幟のセットを掲げ、庶民は吹流しだけなのに鯉「のぼり」と呼んだようです。
私も気になって調べてみたのですが、どうやら「鯉のぼり」という名称の「のぼり」がポイントみたいです。実際は「吹流し」なのに武家にしか許されていない「幟」をくっつけて張り合ったというところじゃないでしょうか。
ネットで検索して絵をよく見てみました。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/11/100_views_edo_063.jpg
富士山の下あたりに赤い吹流しが見えますが、これが武家のもので、よく見るとその隣りに幟も立っていますね。ツアーで見せてもらったときには赤い吹流ししか見えなかったので、これが幟かと思ってしまったのですが、どうやら武家は吹流しと幟のセットを掲げ、庶民は吹流しだけなのに鯉「のぼり」と呼んだようです。
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shoh
at 2011-05-07 10:37
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あ、URLが2行になってしまった(^^;)。
1行につなげて検索してください。
1行につなげて検索してください。
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Saki
at 2011-05-08 01:24
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この大楠には思い出があります。
以前この地に「楠亭」という民家を改造して作られた風のフレンチレストランがあり、そこで食事をしたことがあります(20年以上も前の話です)。
私の最初の職場が本郷三丁目のV社だったのですが、その当時会社絡みで食事会があったのです。そんなことでもなければ一生足を踏み入れることもないような高級な店でした(笑)
その食事会の時にこの大楠を見て、とても印象に残っていました。
何十年も経ってからふとその楠亭を思い出し、まだ残っているのかな?なんて思いながらネット検索してみたら、もう取り壊されてマンションになっているという情報でした。
新築されたマンションの1階で営業されていたらしい楠亭も、今はもう別のお店になっているようですね。
その当時の建物&大楠の写真が個人のブログですが掲載されていましたので参考までにリンク貼っておきます(リンクだめなら削除してくださいね)
http://blog.goo.ne.jp/ryuw-1/e/95a146a27285459a1da651b780182821
以前この地に「楠亭」という民家を改造して作られた風のフレンチレストランがあり、そこで食事をしたことがあります(20年以上も前の話です)。
私の最初の職場が本郷三丁目のV社だったのですが、その当時会社絡みで食事会があったのです。そんなことでもなければ一生足を踏み入れることもないような高級な店でした(笑)
その食事会の時にこの大楠を見て、とても印象に残っていました。
何十年も経ってからふとその楠亭を思い出し、まだ残っているのかな?なんて思いながらネット検索してみたら、もう取り壊されてマンションになっているという情報でした。
新築されたマンションの1階で営業されていたらしい楠亭も、今はもう別のお店になっているようですね。
その当時の建物&大楠の写真が個人のブログですが掲載されていましたので参考までにリンク貼っておきます(リンクだめなら削除してくださいね)
http://blog.goo.ne.jp/ryuw-1/e/95a146a27285459a1da651b780182821
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滝夜叉
at 2011-05-08 11:43
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shohさん、URLありがとうございます。
なるほど当時の人は身分によって様々な制約が、あったのですね。
まぁ、吹流しだけなのを鯉「のぼり」と音にしてみた方が、語感が良いというか、出世や目出度さを連想させますものね。
男の子の節句にピッタリです。
なるほど当時の人は身分によって様々な制約が、あったのですね。
まぁ、吹流しだけなのを鯉「のぼり」と音にしてみた方が、語感が良いというか、出世や目出度さを連想させますものね。
男の子の節句にピッタリです。
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shoh
at 2011-05-08 14:33
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Sakiさん
なんと、楠亭で食事をされたことがあるとは! うらやましいです。
教えてくださったリンク先の写真からすると本格的な洋館で、こんなところでフランス料理をいただいたら気分がよさそう。味もよかったのかしら?
ツアーのときに聞いた話によると、ここにあった屋敷の主、甲斐庄喜右衛門は楠木正成の弟正季の子孫で、明治になったときには楠と改姓したのだそうです。
今あるレストランのオーナーがついこの間まで働いていた職場の同僚の知人で、お店のパンフレットを持って事務所にいらしたことがあります。うちの近所だからと同僚から「ぜひ行ってください」と言われましたが、家の近所の高級レストランで食事する機会なんてまずありませんよね。友人を誘うのは、昔の楠亭のようなたたずまいだったらともかく、普通の店では自分がラクな場所に呼びつけるみたいで気がひけるし、ひとりで食事するのは気まずい。なので、きっといつまでも行かないままだと思います。
なんと、楠亭で食事をされたことがあるとは! うらやましいです。
教えてくださったリンク先の写真からすると本格的な洋館で、こんなところでフランス料理をいただいたら気分がよさそう。味もよかったのかしら?
ツアーのときに聞いた話によると、ここにあった屋敷の主、甲斐庄喜右衛門は楠木正成の弟正季の子孫で、明治になったときには楠と改姓したのだそうです。
今あるレストランのオーナーがついこの間まで働いていた職場の同僚の知人で、お店のパンフレットを持って事務所にいらしたことがあります。うちの近所だからと同僚から「ぜひ行ってください」と言われましたが、家の近所の高級レストランで食事する機会なんてまずありませんよね。友人を誘うのは、昔の楠亭のようなたたずまいだったらともかく、普通の店では自分がラクな場所に呼びつけるみたいで気がひけるし、ひとりで食事するのは気まずい。なので、きっといつまでも行かないままだと思います。